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身体で思いを形にするワークショップblog

karadaws.exblog.jp

「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

今朝は久しぶりに感情的にズシンとくる夢を見ました。



何やら足を検査されている。
検査官の指示が何やらわかりにくくて、どうしたらいいのかわからない。
どうしたらいいかわからないせいで、どうやら何かができないとみなされて失格の烙印を押されてしまった。
「説明のしかたが悪いから出来ないのだ。ちゃんと説明してくれればわかるはずだ」とこちらは主張するのだが、それに対する検査官の返答も理解不能なものでどうしようもない。
けれども、何かに失格させられたのは確かなようで何ともやるせない気持ちが胸にズシンと残りながら目が覚めた。



足に関する夢になったのは、先週MBTシューズを買ったせいのような気がする。
確かに「今までの歩き方ではダメだ!」とMBTシューズには言われたような気がしてるけど、おかげで、1週間経って、かなりいい感じで歩けるようになってきた。靴擦れはまだあるんだけどね。

履いてて足が痛くなったのは「失格の烙印」のような気も確かにしてたけど、いい感じになってきたのだから、この夢はMBTシューズのことだけではない。

理不尽な説明不足による、失格の烙印。
失格させられた感覚は、本気で気分が悪い。
しかも、努力しても無駄といわれた気分なのだ。MBTシューズは慣れたらいい感じになってきたのだから、無駄ではない。

これが何なのか探ってみたくて、自分が味わった失格者の視点から離れて、「検査官」の立場へ意識を移動させてみる。

「私が基準だ。私の指示する検査方法の通りに出来ないヤツは、みんな失格だ。意義は認めない。私の指示がわかりにくい?そんなの分からないやつが悪いんだ」

・・・こんなことを検査官は言っている。

超強気。相手の意向など抹殺している。自分の落ち度も認めないし。

けれどもバシバシと相手を裁いていくのは、どこか気持ちいいところもある。その気持ちよさを味わうことも時には必要かも。

けれども、裁かれる方はたまらない。
裁かれた方の気持ちも、生々しく残っている以上、そんな風には裁きたくないと思う。

何らかの基準で合格・失格を分けざるを得ない立場に、立たざるを得ないこともあるだろうけど、特に失格を告げられるものの気持ちにも配慮しながら進めたいものです。

失格者には被害者意識が起こりやすいけど、検査官には加害者意識がない。そこのギャップにも気づくことが出来たなぁ。加害者になる可能性を自覚することで、検査官の姿勢も変わってくることでしょう。

ふとあることを思い出した。

小学校のとき色覚異常の検査があって、赤地の丸の中に緑で数字が書いてあって、それを読む・・・というようなことをさせられた。

数字を、問題なくいくつも読めた後、数字ではなく、赤地に緑の模様が入っているものが出てきた。
今までのように読めなかったけど、「読めませ。ん・・・ねぇ~・・・」と答えた
だって読めないんだもん。「ん・・・ねぇ~・・・」の辺りには、「これは読めるわけないでしょう???」という含みを持たせていたと思う。
けれども、検査官(校医?)は、そんな含みをおそらく読み取れなかったのでしょう、僕はどうやら色覚異常が疑われる児童リストへと入れられて、後日再検査となった。

再検査には少なからぬ生徒達がいた。それも男子ばっかり。
wikipediaで調べたら、男性20人に1人、女性500人に1人くらいあるそうだ。男子ばっかりが少なからずいたというのもうなずける。

僕は再検査では何の問題もなく、すぐに帰らされた。

再検査というセーフティネットがあったから、烙印までは押されなかったのだが、あのときの検査官は明らかにコミュニケーションに問題があったと思う。

それにしても、20人に1人は少なくないよなぁ・・・と思う。日本人全体では300万人近くになるという。

色覚異常にもいろいろある中、赤と緑が区別しにくいののが、最も一般的らしい。

逆に区別しにくい人が当たり前で、区別できる人が少数派という世の中が、ふと夢想された。
赤と緑の違いが区別できる人が「色覚異常」とされる。「区別できる人もいるらしい」というのは何となく知れ渡ってはいるが、区別できないのが前提で、世の中のいろんなものは彩色されている。
赤と緑がくっきり区別できる人は、その違いに美しさを感じても、それが伝えられなくて、もどかしい思いをすることもあるだろうな。

・・・そんな夢想をしていると、同じように普通の人なら気づかないような差異に気づいてしまって、もどかしい思いをしている人は、そんな夢想をしなくてもいっぱいいることに気づく。
僕にもそういう部分はなくはない。

そして、そういう差異に気づかずにいられることが幸せ(プロセスワーク的に言えばランクが高い)ということもよくある。

結局はそれが多数派/少数派であることが最も強く影響するんだよなぁ。
多数派/少数派の力学は強力だから、気の持ちようでそこからある程度は抜け出せるけれど、完全に自由になるのは、なかなかに難しいことだ。
多数派は、多数派であることの持つ力になかなか気づかないからなぁ・・・。
# by matsuzoh2002 | 2007-12-09 11:41 | 見た夢・目覚めの気づき
ある人がいいというので見た。

LAを舞台にした黒人のダンスの映画・・・ということは知っていたけどドキュメンタリーだとは知らなかった。

トミー・ザ・クラウンという男が、麻薬の売人→刑務所を経て、このままでは人生ヤバいと、クラウン(ピエロ)をするようになる。

ヒップホップ・クラウンを自称して、独自のダンス=クラウン・ダンスもするようになる。

そのクラウン活動が広まって、貧困地域の若者・子ども達がギャングの道へ進むのを防ぐ大きな役割を果たしている。

・・・いい活動だなぁと思う。

ギャングという暴力の世界の拡大を阻む、これも1つの非暴力運動なんだな・・・と思う。

身体を動かして楽しむ・・・というのは僕にとっても大事なことなので、素直に共感した。

そんな彼らのダンスの世界のすぐ隣に、暴力・犯罪の世界はあって、トミーや子ども達も容赦なく巻き込まれるところも描かれている。

そんな環境で行なわれている活動だからこそ意義はデカいと思う。
例えば、ただダンスを頑張る若者・・・を描いても、だからどうしたの?と思うだろうけれどもね。
彼らのダンスというか身体の動きは素晴らしいと思うけど、それだけでなく、応援したくなる。

こないだ観た、同じLAを舞台にした「クラッシュ」なんかよりこっちの方がよかったな。
やはり僕は映画にもリアリティを求めている部分も強いのかな。

ダンスは誰にとっても価値あることだと思う。
そんな思いとともに、明日はビオダンサを楽しんで来よう~っと。
# by matsuzoh2002 | 2007-12-08 01:43 | 見た映画
アメリカで銃の乱射事件とのニュース。

もはや珍しくもないニュースだけど・・・。

「ネブラスカ州」と聞いて、反応する。
僕が西海岸以外で唯一行った事があるアメリカの州ではないか。

TVでは州の名前しか行ってなかったので、ネットにあたってヤフーで発見。

オマハ。僕の行った所だ。
中心部に滞在して、そこからほとんど動かなかったので、現場となったショッピングモールは郊外らしいし、おそらく行っていない。

とは言え、めったに行かないような街だし、今後2度と行くような気もしないので、こんな形でニュースに出会うだけでも、軽い衝撃だ。

Wikipediaでオマハをチェック。
ネブラスカ州最大の都市。人口41万で、都市圏人口100万弱・・・というのだけど、中心部に高層ビルもあんまりなく、そんなにいるのかな?という印象だった。

そんな小さな町だった。

そんな小さな町になんで行ったかというと、「被抑圧者の演劇」の創始者アウグスト・ボアールがブラジルからやってくるというので、ワークショップを受けに行ったのだ。

前の仕事を辞めてすぐ、2004年4月のこと。

「被抑圧者の演劇&教育学」の年に1度の大会がアメリカ国内持ち回りで行なわれていて、その年はたまたまオマハが会場だった。(来年またオマハが会場らしいけど)

ボアールは毎年のようにこのイベントのためにアメリカに来ているようだったので、事前に調べをつけておいて、満を持して会いに行ったのでした。

3日間のワークショップでフォーラムシアターを創る・・・というのがメインで、英語が分からないなりに何とか日本人留学生役として作品に加わって、4グループのうち2グループしか上演されないところで、上演される方に選ばれて、「出演」してきましたよ。

「授業の中で日本の戯曲の一節を披露する」という設定で、日本人が他にまったくいなかったのをいいことに、でたらめなセリフをそれらしく演じて遊んでた。

あるいは、その大会が10周年記念だということでパーティがあったので、日本語でラップを作って披露したりもした。アメリカ人を中心とした人たちから拍手喝采をもらったのは今までの人生の中でも最高に気持ちよかった瞬間の1つ。

・・・オマハにはそんな楽しい思い出があるんですけどね。

それを思い出させてくれたのが、乱射事件というのが何とも複雑ですわ。
# by matsuzoh2002 | 2007-12-06 23:49 | ニュースとつぶやき
日曜日にMBTという靴を買いました。30000円という、靴にしてはけして安くはない買い物ですが、友達が「これ履いて健康になった!」・・・ということなので、ウォーキングくらいしか運動をしない僕にもいいかな・・・と思ったのでした。

サイトによると
広大な自然を生活の場としているマサイの人々は主に裸足で歩きます。柔らかで決して平坦でない不安定な大地を歩く事で、人間の潜在的な歩行能力は覚醒します。

その優れた歩行技術をスイスのシューズテクノロジーがMBTに結集しました。


・・・ということだそうです。

MBTのMはマサイのM。Bは裸足(barefoot).

平坦でない不安定な大地を、裸足で歩いているかのように歩ける靴。

都会は舗装されて平坦になり過ぎてしまったので、あえて不安定な感触を味わえるように靴底内部が特殊加工されているのであります。

「自然の不安定さ」を再現するために、テクノロジーによって生まれた靴。MBTのTはテクノロジー。

さてさて、僕の足は、靴の減り方が左右非対称だったり、左足の足首がポキポキと鳴ったり、都会の中で不自然なことになっていたようです。

MBTの靴を履いて3日。まだ慣れません。徐々に履く距離を伸ばしているのですが、靴擦れやら痛みが出てきてヤバいです。

そのうち慣れるとは思うんですが、不自然に安定してしまった僕の足は、「自然の不安定さ」に対して、脆さを露呈しております。

日曜日に買って、その日は室内でちょっと履いただけ。

月曜も室内で鳴らして、夜片道5分のコンビニまで外出。

火曜、片道10分ちょいの本屋まで行くが、明らかに左右の足の底の感じ方が違う。非対称な歩き方になってる。それを裏付けるように、左足の裏が痛む。右足かかとは靴擦れ。

水曜、片道20分くらいのところまで行く。後ろ目の所に重心がくるように着地するべきところが、どうも前傾気味になってしまってるっぽい。
左足の痛みは今日はない。左足の方が上手く歩けてるっぽい。右足が思うような感触にならない。前傾気味のせいっぽい。やがて痛み出す右足。靴擦れも悪化。
後半になって、やっと正しい歩き方ってこうかな・・・という感触をつかむ。しかし右足が痛み出しているので、キツイ。どうもビッコを引いてしまっている・・・

・・・そんな状況です。
でも、だんだん感触をつかみつつある。つかめれば、きっといい感じの変化が生まれてくるはず。そう信じてます。

それを信じさせる何かが、この不安定な靴底内部にはあります。

もともと考案した人は、砂浜を裸足で歩いたら、腰痛が治った・・・というところから考案したらしく、なるほどな・・・と思える不安定さです。

もうちょっと履いてまた報告したいと思います。
# by matsuzoh2002 | 2007-12-06 02:34 | つぶやき
今度の日曜日の「ドラマチックしゃべり場!」現在の申し込み6名です。

もう少し来てほしいですね。

10月の第1回は、1週間前まで3人くらいしか申し込みがなかったのが、最後の数日でじわじわ増えて、11人。

11月の東京での「からだであそび場」も、数日前まで2人とかそんな状況だったのが、最後の2日くらいでどっと増えて、これまた11人。

このブログに人が少ないからヘルプ!と書くと、増える・・・という公式ができればいいなぁ・・・。

もちろん事前に十分人が集まってるのがベターですが、この直前にどどどどどってくるのも、なんか嫌いではないです。

急に参加できるようになったり、急に参加できなくなったり、そんなことが気軽にできる場っていいな・・・って思います。

出入りの自由な場。

自由な意見が出せる場。

リラックスできる場。

そういう場を創っていきたいんですね。

ワークショップの実践を通して、コミュニティを創っていきたい・・・そんな思いがあります。

コミュニティを創っていきたい・・・という思いからすれば、第2回のドラマティックしゃべり場、第1回からのリピーターの申し込みは、今のところゼロ・・・というのは気になります。

リピーターあってのコミュニティ・・・という気はしますけど、まだまだはじまったばかりの試みなので、じわじわ育ってくれたらいいなと思います。
# by matsuzoh2002 | 2007-12-05 22:57 | ワークショップ開催のお知らせ

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