8月22日=3日目午前
Cさんの体験記
参加者個人の課題をみんなで共有する「オープンシート」。
電車に置き石をして遊んでいたことを、ふと思い出したという方の話を展開していった。
「脱線するかもしれないから、やめようね」と優しく諭してくれた駅員さんの思い出。
人生は電車だ。
安定走行は大事だが、ついつい、スリルを求めて、脱線させたくもなる。
やり取りをみてるうちに、まつぞうは、自分の人生が脱線中のように思えてきた。
安定走行の道を外れて、自分で自分に置き石して脱線させて、いつまた安定走行に戻れるかわからなくなっているかのような気分に駆られて、なんだか泣けてきた。
このセッション以降、いつの間にか、TRAIN-TRAINが頭の中にループし始めた。
なんと胸にしみるよい歌詞なんだろうか、とあらためてかみしめつつ。
前から好きな歌なのだが、自分=電車となぞらえて、この歌を味わったのは初めてだと思う。
「あの列車に乗って行こう」とする人の気持ちで今までいたのが、そんな人たちを乗せていく列車の気分で、歌詞を感じてみた。
そして、脱線したまま走る列車があってもいいんじゃないの?って思えた。
レールの上しか走らないんじゃつまらない。
道なき道を自ら切り拓く、そんな電車があってもいいんじゃない?
そんな思いとともに、ワークの最後にTRAIN-TRAINを歌って、しめました。
人前で1人アカペラで歌うのって、どうやら初めてらしくって、かなり緊張したけど。
一生の思い出に残る歌になりそうな、そんな気がします。
8月21日夜、
この日の朝、キャンプファイアーをやろうと思えばできるけど、やるかい?という話があり、なんだか面白そうなので、やる!ということになった。
小中学生のときの野外活動で「やらされた」覚えはある。前の仕事の時に、子どもの引率せなあかんことがあって、そのときも自然観察の先生方がやるというので、なんとなくそこにいたことはある。
でも、自分の意志で参加する、自分たちで創るキャンプファイアー、って初めてやん。
大の大人が集まって。どうなるんやろ?
火がともるだけで場作りとしては最高です。
燃え盛る炎に、どこか神聖な気分になる。太古の昔に返ったような。
歌を歌うとか、フォークダンスを踊るとか、ゲームをするとか、決め事は一切なし。
最初はただ眺めながら、思い思いにからだ動かしたり、座ってたり、してた。
しかし、なんとなく太鼓とかドラムがあればなぁ・・・という気がしてきた。こういう場面にはなんだか似合う。
何かないかなぁ・・・と思って探してみると、遠くないところに一斗缶があったので、力まかせに叩いてみる。
ちゃんと習ったこととかないけど、それなりにリズムキープはできるので、それに合わせて何人かは踊りだした。
しかしパワー不足。そんなに大きな音は出ないし、すでに叩き続けるのもすぐ限界が来る。
そこへ誰が見つけたか、大きなドラム缶登場。
かなりデカい音が出る。
他に叩く人がいたので、まつぞうはそれにあわせて踊る。
雄たけびを上げたくなったので、意味のない言葉をメロディに乗せて、叫んでみる。
先住民っぽい雰囲気になる。
あとで思ったのは、台湾の先住民族のDifang(郭英男。ニュースステーションのテーマ曲とかにもなってた。エニグマのリターン・トゥ・イノセンスで使われてる。本人は不本意な使われ方らしいけど。)のパクリっぽい雄叫びだったな、と。
真似したつもりはないけど、似てた。
雄叫びは楽しかったなぁ。めちゃめちゃ大声出してたと思うが、のどのダメージとか一切ない。太古の昔に、野生に、帰れば、それくらいの声は平気で出るのだろう。
現代の都会生活は、声を萎縮させているに違いない。
プリミティブなリズムと雄叫びは疲れてきたのと飽きてきたので、終わり。
そして何となくまつぞうはドラム缶を叩きたくなった。雄叫びも楽しいけど、パーカッションも好きだでよ~。
同じようなリズムでもつまらないので、盆踊りリズムを供給してみました。
どんどんどん たかたった どどんどどん たかたっ
これもなかなか面白かった。自然とそういう踊りが始まるし。
叫んで叩いて踊って楽しかったぁ~。
現代人に失われた野性の心を取り戻すために、一度いかがですか?
謎解き物のゲームのはしごをして過ごした。達成感を味わうのが好きなのだな。
謎を前に悩むよりも、攻略サイトとか見つけて、すぐに進んでしまう。邪道でも何でもかまうものか。「こりゃ本気で考えたら、いつまで経ってもできへんぞ」という謎も多いし。
あぁでもない、こうでもないと考えるのはそんなに好きでもないらしい。以前より、ゆとりがなくなってきてるんだろか。
仕事にも、こういう、たとえ答えを見ちゃうという「邪道」でもいいから、「謎が解けた」的な達成感があれば日々楽しいんだろうなぁ。
明日はまた台風が近づくらしいな。続くな、今年は。
昨日は地震まで続いたし。
復習は連鎖する。人が死にまくる。キリがない。でもエンターテインメントとして成立している。
POPで重い映画。
これがリオのファベイラ(スラム)か。もちろん行ったことないが、リアリティは感じる。
まつぞうが実践する「身体で語り合うワークショップ」のルーツ、「被抑圧者の演劇」のボアールは、今リオ拠点で活動中。
こういうとこでもボアールは活動している、危機管理はしながらだろうけど。
本でファベイラの危険さはチラリと読んだが、映像にしてみると、えらいところですな。
エンターテインメントとして成立しているとは言え、これは現実に基づいたお話。
復習の連鎖は今も続いているのだろうきっと。
どこかで断ち切るべく、断ち切るための技、ワールドワークを身につけて、現実に立ち向かいたい。できるかなぁ?
8月21日午前
この時間はトピックを決めてのワールドワークになりました。
「生きていることのうそっぽさ」というところから始まって、いじめの問題が浮上してきました。
いじめられた体験を語ったXさんが、いじめられている自分を、自分を離れた視点から見るために、Xさん役を誰かがやるのですが、まつぞうがすることになりました。
まつぞうは、実際のところ、ひどくいじめられた経験というのはないのですが、いじめられる「おびえ」は常に抱いている時期があったので、気持ちはわかります。
いじめる役を何人かがやってみたのですが、今ひとつ迫力不足だということで、Xさん自らがいじめる役になりました。
迫力あるいじめっぷりに、まつぞうは反抗して余計いじめられてもイヤなので、自然とひたすら防御姿勢になりました。
反抗する気なし。
防御のプロセスを増幅していったら、地面にもぐっていくイメージになった。昨日の「蝉」を思い出した。
今この攻撃をしのいで、もぐって行ったら、その先で反転していくイメージが浮かんできた。動作に移すのは無理だけど。
「inside out」。内側のものが、反転して、外側にひっくり返る、って感じ。そこに別の世界が開けている。いじめる側と同じ土俵で勝負しても仕方ない。暴力なんてもってのほか。違う土俵で勝負すればいいさ、という感覚だった。
場全体としては、Xさんがいじめる側で発揮したエネルギーを、あらためていじめられる側に周っても、活かしてみる、というように進みました。
反抗して、いじめる側と友達になっていくという展開は、面白かったけれど、どこかリアリティがないようにも感じられた。
まつぞうにとっては、「inside out」の感覚が鮮烈でした。
暴力とは違う土俵。いじめられてるのに突然踊りだしたらどうなるだろう?って夢想してた。
それもリアリティないけど、どうなったかなぁ・・・???
8月20日夜
子どものころ最初に見た夢のワーク。
まつぞうの夢は「死ぬ夢」なのだな。
一つは干からびて死ぬ夢。
不思議なのだが、ビジュアル的には何も覚えがない。身体感覚的に記憶が残る夢なのだ。夢と呼ぶのかどうかさえ不明。
からだ中から水分が、じわじわと抜けていくかのような感覚。あるいは血液までも抜けていくかのような。「死ぬんだ」という認識がなんとなくあった。
しかし、この頃から身体感覚が敏感な子だったのですね。小学校はいる前くらいのはずですよ。この頃寝てた場所の記憶は何となくある。
もう1つ、死んだ瞬間のイメージ。血液が固まった顕微鏡写真のような画面。
これはテレビで何か見たんちゃうかな?
ワークとしては4コマ漫画のように絵で描く、ということだったので、
1、砂漠に迷い込んで水がなくなる
2、力尽きて倒れる
3、干からびて死ぬ
4、血液が固まった映像
最初の夢が死ぬ夢とはねぇ・・・
それも繰り返し見ているのだ。
干からびる夢は、今年も見た。
「背中の痛みは不安から来るものだ」というメッセージを、夢うつつの中で受け取ったあと、身体が干からびる感覚に久方ぶりに襲われた。
背中の痛みについてワークしてみて、「背中の痛み=創造の源」というメッセージをそれ以前に受け取っていて、つまり「背中の痛み=不安=創造の源」というのがつながったのはそのときだ。
だから貴重な夢です。
干からびるというイメージは、
八王子にて、100歳の自分と出会う
でも出てきたもんね。
干からびが高じて死ぬんだよ、100歳=完成形のあとで。
干からびないためには、水分補給が大事です。そんな人生さ。
死んだら、干からびて、砂に還るから。・・・それは高野山のワークで受け取ったメッセージ。
いろんなワークを受けて、イメージが多層的に重なってきて、面白い。
ますますハマるなぁ、プロセスワーク。
気を取り直して、おなじ内容を。
*
八王子ワールドワークレポート
八王子ワールドワークから2週間近くも経っちまったが、まだ書き足りないことがある・・・
8月20日午後、
この「ワールドワークに期待すること」を左手で表現し、「それを邪魔するもの」を右手で表現する、というインナーワークがあった。
まつぞうの左手は、「ワールドワークって、いったいなんなのよ!」っていうのを、もっと、つかもうとする動き。
右手は、「そんな訳のわからんもん、やめときゃぁ」という動き。
そして、「右手と左手を同時に動かして、どうなるか流れにまかせてみましょう」という指示。
左手の動きを右手が止める。左手は、もうつかめない。動けない。どうしようもない。
どうする、左手?
振り払っても、また止められるだろう。叩きのめすわけにもいかない。右手を使い物にならないようにしたところで、それは左手にとっても痛いのだ。そんなことは左手もわかってる。
止める右手に邪魔されないようにするためには、左手は自分の思いを伝えていくしかない。
左手は、優しく右手に自分の意図を伝える動きをした。伝わるかどうかはわからないけど、精一杯。
・・・結局、右手は母親なんだろう。
コミュニケーションが足りないのだ。
伝わるかどうかはわからないけど、精一杯伝えていくしかない。
実家に帰る、という選択肢が浮上しているのも、このワークのせいもあるような・・・。
実際、最初は止めるけど、あとはわりと思い通りにさせてくれるので、そんなにひどいわけでもないのだし・・・
なにせ、コミュニケーションは必要。
年に3日しか帰らないので、まったくまともなコミュニケーションが成立してないのは実情ではありますが・・・・
そんなことに気づかされたインナーワークでした。
今朝は珍しく夢を鮮明に覚えてた。そんなに面白いものでもないのだが、自分的には興味深かった。
*
何かのゲームをプレイしているらしい。
アメリカの都市を少しずつ攻めていって領土拡大していくようなゲームのようだが、よくわからない。
最初はなぜか南部の都市から攻めるのがセオリーらしく、そこをすでに拠点にしているらしい。アリゾナ州フェニックスとテキサス州の間あたりの、よくわからいどこか。
僕だけでなくて、僕以外の周りの人も同じ状況らしい。
次はなぜかシカゴに行くものだと決めてかかっていた。
ところが突然そこじゃなくてもいいんじゃないの?っていう気がして、最初の拠点からほど近いところにいった方がいいような気がしてくる。
外人っぽい女性が現れて、なんとなく一緒にいてくれて、何を言ってくれたわけでもないけど、その考えを後押ししてくれたようで、どこか安心する。
次にいくのはテキサスのあたりかな、って思案する。
ツーソン、エルパソ、アルバカーキなんて地名が頭に浮かぶ。
周りの人たちがどこかから帰ってくる。
次の行動に移すには「解禁日」のようなものがあるらしく、周りの人たちよりは少し先に行動できているようで、少しいい気分になる。
しかしよくよく見てみると、解禁日はすでに始まっている。周りの人よりは早いからって、他にはもっと早く行動している人もいるんだろうな、って、納得する。
*
そんなあたりで目が醒める。
暗いメロディの、うなるような歌声の音楽を、脳裏に聴きながら。
窓の外からも、それに呼応するような、なぜか男のうなり声が聞こえたような。
外は雨が降っていた。
窓を開けたまま寝てたら、今朝は寒かった。
窓を閉める。
なんとなく、今の夢のことを夢日記に書かなきゃって思いがしてる。夢をあんまり覚えてないので、そんなの書く習慣なんて特にないんだけど、今日は絶対書かなきゃ、って思ってる。
そんなこと考えながら横になったままでいると、救急車が家の前の道を通り過ぎる。夜中なのに。
ふとミスチルの「言わせてみてぇもんだ」が頭に浮かぶ。
さちこさんも、この歌のこと書いてたよなぁ。
しなやまさちこさんの体験記
ちょうどCDウォークマンに入ったままだったので、聴いてみる。
歌詞の節々が、胸に響く。
「自分にしか出来ない事 身に付けようとしているけど
代わり映えしねぇなぁ」
とか、
「どっかの天才をひがんで 皮肉を吐いてみても
何にもなりゃしねぇよ どうすりゃいいの?」
とか
「僕らは遠回りをしてるんだね
なら意味ある遠回りを」
とか・・・自分のこと言っているかのようだ。
ふと「地球の歩き方 アメリカ」を見てみる。
フェニックスは今年の4月に2度トランジットで通過したけど、よく知らない土地。
シカゴも行くかもしれなかったけど、行かなかった。
ツーソン、エルパソ、アルバカーキはウルトラクイズで見かけたから、多少なじみはあるんでしょ。
そこまでして、一気にノートに覚えてる夢を書き込む。
*
今手元にそのノートはないが、苦もなく思い出して、もう1度書ける。
夢からのメッセージ:
無理に遠く(シカゴ)まで行かなくても、近くでできることはあるんじゃない?
・・・ってことかな。
昨日、友だちに「ワールドワーク」のことなど語ったせいだろうか?
お金になるかどうかは別にして、そういうことに興味がありそうな、NPO関係の人に話をしにいくのもいい時期かな、と。
自分が今できるワークショップのことと、ワールドワークのことを併記して。
対立を経て、新しいものが創造される・・・ワールドワークの背景にあるそんな想い・・・そのことを信じたい。