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身体で思いを形にするワークショップblog

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「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

2007年 01月 30日 ( 1 )

その6の続きです。
なぜ今さらながらに11月のワークを振り返るかというと、昨日ようやくビデオを一通り見終わったからです。
12月と1月のワークももう終わってるというのに溜め込んでしまっている・・・。

11月のワークが面白かったので、結局パソコンに発言を書き起こす、テープ起こしのような作業をしてしまい、時間がかかりました。
しようと思ってしたわけではなく、見直すのが面白かったので、思わず書き起こしてしまったわけです。いい勉強になりました。

ワールドワークでは「ホットスポット(場にいる人々の感情が大きく動く瞬間)をつかまえ損ねると、繰り返し出てくる」という事が言われているのですが、ビデオで見直してみて、ホンマに繰り返してるなぁ・・・というのがよく分かりました。

11月のワークでは「愛のある暴力を肯定する子ども」が話題になり、誰もそういう立場では発言しないので、「愛のある暴力を肯定する大人」の立場(ロール)に僕が入り、ロールプレイで、「反対」する参加者達とやり取りをしたのでした。
「愛のある暴力を肯定する子ども」は僕の中で、まだつかみきれていなかったので、暴力を実際に子どもに行使している大人を登場させたのでした。

最初に起こったホットスポットは「反対」の立場から「あなたのような人が児童虐待を起こして新聞沙汰になるんだ」という発言が出たときだったと思う。

「愛のある暴力肯定」ロールとしての僕は、激高した。・・・正確には激高しようとしたが、自分の中に無理が生じて演じ切れなかった。
そのとき口から出てきた言葉は「むしろあなたのような(暴力を行使しない)人が、(子どもを押さえ切れないで、子どもが暴走して)新聞沙汰になるのではないか」というものだった。

お互いの自画像と外から見た像がずれているということに、後から振り返って気づく。

「愛のある暴力反対」側から見ると、「愛のある暴力肯定」側は、子どもを傷つけ虐待しているように見える。

しかし、「愛のある暴力肯定」側からみると、「虐待する親」は、愛のない暴力を振るい、加減を知らない過剰な暴力を行使する存在で、自分とは違うと思っている。
「愛のある暴力を肯定する子ども」が登場すれば、「うちの父ちゃんは、そんな新聞に載るような虐待する親とは違う!」といってくれるかも知れない。
少なくとも、「愛のある暴力を肯定する子ども」が存在する以上、「暴力を使ってはいるけれど、これは愛なんだ」と子どもに信じ込ませる事に成功しているわけであり、おそらく暴力以外に愛を感じさせる行動を子どもに対してしていることだろう。

「本当に愛があるのは私(たち)で、虐待する親や、子どもに手も上げられずに甘やかす親とは違う」という、自負が、そこにはあると思う。

一方、「愛のある暴力肯定」側からすると「反対」側は「甘やかしてる」と捉えてるのだろう。
甘やかした結果、子どもがつけあがり、わがままで世間の秩序を乱すような子どもが育つ・・・「愛のある暴力肯定」側はそう見ている。
しかし、「反対」側は、言葉を使って子どもを諭し、しつける事は可能・・・そう思っている。別に子どもを甘やかし、つけあがらせているわけではない。そうしないためには、暴力に頼ることなく、言葉でしつけようとしている。

一見、

愛のある
暴力肯定
 ↑↓
愛のある
暴力反対

こんな対立のようで・・・

・・・実際には

a0035574_12472184.jpg

(このままでは、ところどころ線が切れてて少し読みにくいですが、図をクリックすると別窓で線が切れてないのが出てきます)

お互い、相手の自画像とは少し違った姿を相手に見ているので、話はすれ違い、食い違っているんだろうなと思います。

とりあえずは、それぞれが、自分達とは違うと主張する「甘やかす親」「虐待する親」を場に配置するか、少なくとも言及することで、お互いの自画像と、相手に見ている姿(他画像?)のズレを認識する所から、ワークを進めていけばよかったのかな・・・と思います。
「虐待されている子ども」「甘やかされている子ども」もそれに付随して登場してくることでしょう。

こうして念入りに振り返っていくことで、やがては、ワークの現場でこういう作業が出来るようになればいいなと思います。
by matsuzoh2002 | 2007-01-30 10:37 | ファシリテーターとして