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身体で思いを形にするワークショップblog

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「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

深層民主主義という名の夢とうつつ(現実)

今日の夕方、西の空に見た太陽は白くて、月みたいだった。黄砂、すげぇな。

そんな黄砂の中、大川沿いの桜見たさに、うちから天満橋の手前まで、自転車で往復してきた。
黄砂だから西風が強いのかと思ったけど、風はたいしたことなかった。
桜は満開の木もあれば、まだ咲き始めという木もあり、全体では6分咲きくらいだろうか?
今後数日は、暇があれば、またチャリンコ転がして行こう。



そんな桜を愛でつつ、思いついたことを書いてみる。

昨日久々に関西のプロセスワークのコミュニティ・ミーティングに出てみた。

その体験もからめて思ったのは、プロセスワーク/ワールドワークで大事にされている「深層民主主主義」について。

深層民主主義とは、多数決によって少数意見が消されがちな従来の民主主義から一歩踏み込んで、どんな少数の声、小さな声、声にならない声にさえも耳を傾けていこうという姿勢。

プロセスワーク/ワールドワークに参加する立場からすれば、「他の場ではなかなか聞いてもらえない私の声も、この場では聴いてもらえるはず」という期待が生じるのも当然のことだ。

そんな夢を見ながら参加してみて、現実にはどうか?

セラピスト/ファシリテーターは深層民主主義を意識しながら進める。
しかし、あらゆる少数の声、小さな声、声にならない声が拾えるわけではない。
そこには時間的な制約があり、セラピスト/ファシリテーターの力量や偏りによって限界がある。
これはいたし方がない部分ではある。
グループのプロセスワークで、「一時的な解決」を迎えても、数%から数十%には不満が残るといわれている(完全な解決はないとされている)。そしてその不満の中から次の課題が浮上してくる。
制約や限界を、つまりは現状を、自覚しておくことは大事だ。

参加者の「私の声も聴いてもらえるはず」という期待が強すぎると、「裏切られた」という思いにつながりかねない。
深層民主主義の場のはずなのに、一体どうなっているんだ、と。

「完全な深層民主主義」は見果てぬ夢というか努力目標みたいなもので、セラピスト/ファシリテーター1人や2人の力で、限られた時間の中で、やすやすと実現できるものではない。
過度の期待は禁物だ。
現実のセラピスト/ファシリテーターは、制約と限界の中で、「深層民主主義に基づいて今できること」を実践する存在にすぎない。「完全な深層民主主義」はあくまで努力目標。それを期待してはいけない。

けれども、制約や限界に甘えてもいけない。制約や限界を自覚しながら、できる範囲のことをしつつ、周りの助けも借りながら、より深層民主主義が深まるように努めていきたい。

「完全な深層民主主義」に近づくためには、人にそれを要求するよりもまず、自分がそれを体現できるように努めていかなくっちゃ。

「完全な深層民主主義」を実現して、あらゆる小さな声、声にならない声が拾われていく場を実現していくためには、多くの人が束になって、自覚を高めて、ともに進んでいくしかない。

参加する立場から、学び、実践していく立場に移行していく今、「期待する側」も「期待される側」もどっちも分かってきてるわけですが・・・
「過度に期待する人」には、その期待をセラピスト/ファシリテーターに向けるよりは、水から学ぶ力に変えてもらって、「完全な深層民主主義」のために、「ともに学ぶ人」になってもらえたらいいんだよな。

さしあたっては、「深層民主主義に基づいて今できること」を、よりパワーアップしていきますよ。
なんだか漢字の多い文章になってしまってるけど、ホントは、昨日のミーティングでもキーワードになったような「ラテン系」のノリで、夢に近づいていきますよ~んだ。

「深層民主主義」って、言葉が重いから、もっと軽く言えないもんかね?
by matsuzoh2002 | 2007-04-02 21:51 | プロセスワークの紹介