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身体で思いを形にするワークショップblog

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「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

生死をさまよう人の前でも、「内なる批判者」に責められる時でも、忘れちゃいけない「遊び心」

昨日のコーマワークの話の中でも、印象的だったのは、Dさんの遊び心あふれるエピソード。

ホスピスでchaplain(患者とその家族の心のケアをする牧師)として仕事をされているDさんは、認定プロセスワーカーではないけれど、プロセスワークを活かして、遊び心いっぱいに昏睡状態やそれに近い患者さんとのやり取りをされた様子を語ってくれた。

物言わぬ患者さんの前で遊び心を発揮するのは、なかなか覚悟がいることのような気がする。

最も、やみくもに、遊んで騒ぐのではなく、患者さんの微妙なシグナルに注目して、それを増幅するような介入を試みて、患者さんの反応(フィードバック)を見て、反応がいいようならその介入を深め、反応がないようなら別の介入を試みるというような流れで、その介入の中に、必要に応じて遊び心も盛り込んでいく・・・というようなやり方です。

「物言わぬ患者さん」=「静・受身な存在」ととらえてしまうと、「まだ完了していない『生』の部分」=「動・能動的な存在」が見逃されてしまう。
その「動」の部分に働きかけ、完了していない「生」を引き出すのに、遊び心が役立つんだと思う。

同様の遊び心は、グループのファシリテーターをしているときも、役立つはず。

3月12日のファシリテーター体験は、自分の中でも苦い経験ですが、そんな風に、自分の中で批判者が出てきて、批判を受けた自分の一部が昏睡状態のように機能停止してしまうとき、やはり同じように遊び心を活かして、自分の中で起こったやり取りを、場に活かしていく事が必要なんですよね。

「『お前みたいなヤツはファシリテーター失格だ!』という声が自分の中に現れて、『失格だ』と言われた方は、すっかり無力感にとらわれてしまいました」・・・というように、自分の中の2つの声のやり取りを、「批判者(このワークの中では『独裁者』」と「無力感にとらわれた人」という2つの立場として捉えなおし、場に提示する。
・・・これが出来れば、ファシリテーターとして、かなりの腕前でしょうね。

心のしなやかさが問われそうです。
by matsuzoh2002 | 2007-03-19 02:55 | 大学院(紛争緩和・修士課程)

by matsuzoh2002