世界の片隅で鶴を折る ・・・ワールドワーク報告その21
もう、シドニーでのワールドワークから4ヶ月経ちますねぇ~。
だいぶ忘れてきましたが、まだ完結させようという気が自分の中で残っているので、もうちょっと書いてみます。
ワーク最終日、7日目。5月3日(水)
午前中の大グループのワークも、もちろん、これで最後。
選ばれたテーマは「戦争」だった。
たしか、もう1つ「環境」がテーマとして最後までどちらが選ばれてもおかしくなような接戦で、残ってたような、かすかな記憶。
さすが、最終日となると、テーマがでかいぜ!・・・と思った。
ただ、個人的には、前日の夜に「被抑圧者の演劇」入門ワークショップを成功させたことで、もう「おなかいっぱい」という感じがしていたのも確か。
あまり心ひきつけられるテーマ・・・という感じは正直なくて、見守っていよう・・・という気分だった。
ノートもあまりとってない。
最初の頃は原爆が話題の中心になっていた。
父親(?)が、第2次大戦中に原爆を作るプロジェクトに関わっていた・・・というような人がいて、へぇ~、と思う。
・・・ノートを見直しても、まとまった文章にできるのはそれくらい。
いろいろなロール(役、役割)、いろいろな声が登場して、やり取りが展開していくのをただ眺めていた。
ふと近くにいた白人女性が折り鶴を持っているのに気がついた。
折り鶴・・・前日の夜、ワークショップが終わった後、踊ったりしながらその場に残っていたら、どういうわけか、折り鶴を折りはじめた白人男性がいて、でも、その折り方が、日本で標準的なのとちょっと違ったので、「僕らが知ってるのは、こうだよ」という感じで折った。そしてそれがその場に残っていた・・・
その折り鶴を、その女性が持っていた。
折り鶴の意味するところを、その女性は知っている・・・と思った。
そして、一緒に折ろう・・・と、誘おうと思って、折れる紙がある場所へ、紙を取りに行った。
特に平和を祈って折ろうとかいう意図はなく、ただ、なぜか折り鶴を持っていたこの人と、一緒に折りたかった。
そうしたら、その紙のところに、その女性も来ていた。
彼女も折ろうと思っていたのだ。
そして元いた場所に戻り、鶴を折り始めた。
特に言葉は交わさなかった。
黙々と鶴を折り始める。
周りにいた数人の日本人が、「それもらってもいい?」と、一緒に折り始めた。
黙々と鶴を折る数人。
それとは関係なく、場の中心のやり取りは進んでいく。
鶴折り人たちは、中心からは少し外れたところで折っている。
周りには気づいている人もいれば、気づいていない人もいるだろう。
ファシリテーターたちは、気づいていたのだろうか?
それはわからないが、ともかく、ファシリテーターたちは一言も我々の行動には触れないまま、ワークは終了した。
特に何かアピールしようと思ってやっていたわけではないが、「触れてほしい」という気持ちはなくはなかったので、ちょっとさびしい終わり。
まぁ、ある時は、踊ってても無視されたわけで、結局、声に出さないと、場の注目を集めることってないんだよなぁ、どうも。
大きな声を出すか、感極まって大きく泣くか・・・などしないと、場はそちらには向かない・・・ということがほとんどだ。
結局、ワークが、どういう締めになったのか、さっぱり覚えていない。
終わってから鶴を持っていた女性に聞いてみると、20数年前、高校生のときにイギリスから原爆の日の広島に行ったことがあったそうだ。
なるほど、それで知ってたわけか。
また、遠くで見てた人から、「これって、Origamiでしょ?」と声をかけられたので、「日本では、平和とかいろんな願いをこめて、鶴を折ることがあって、原爆の日の広島や長崎には全国から数え切れないほどの鶴が持ち込まれるんです・・・」みたいなことを説明して、ささやかな交流が生まれた。
全体には取り上げられなかったけど、見てる人は見てた。
それだけでよかった。
だいぶ忘れてきましたが、まだ完結させようという気が自分の中で残っているので、もうちょっと書いてみます。
ワーク最終日、7日目。5月3日(水)
午前中の大グループのワークも、もちろん、これで最後。
選ばれたテーマは「戦争」だった。
たしか、もう1つ「環境」がテーマとして最後までどちらが選ばれてもおかしくなような接戦で、残ってたような、かすかな記憶。
さすが、最終日となると、テーマがでかいぜ!・・・と思った。
ただ、個人的には、前日の夜に「被抑圧者の演劇」入門ワークショップを成功させたことで、もう「おなかいっぱい」という感じがしていたのも確か。
あまり心ひきつけられるテーマ・・・という感じは正直なくて、見守っていよう・・・という気分だった。
ノートもあまりとってない。
最初の頃は原爆が話題の中心になっていた。
父親(?)が、第2次大戦中に原爆を作るプロジェクトに関わっていた・・・というような人がいて、へぇ~、と思う。
・・・ノートを見直しても、まとまった文章にできるのはそれくらい。
いろいろなロール(役、役割)、いろいろな声が登場して、やり取りが展開していくのをただ眺めていた。
ふと近くにいた白人女性が折り鶴を持っているのに気がついた。
折り鶴・・・前日の夜、ワークショップが終わった後、踊ったりしながらその場に残っていたら、どういうわけか、折り鶴を折りはじめた白人男性がいて、でも、その折り方が、日本で標準的なのとちょっと違ったので、「僕らが知ってるのは、こうだよ」という感じで折った。そしてそれがその場に残っていた・・・
その折り鶴を、その女性が持っていた。
折り鶴の意味するところを、その女性は知っている・・・と思った。
そして、一緒に折ろう・・・と、誘おうと思って、折れる紙がある場所へ、紙を取りに行った。
特に平和を祈って折ろうとかいう意図はなく、ただ、なぜか折り鶴を持っていたこの人と、一緒に折りたかった。
そうしたら、その紙のところに、その女性も来ていた。
彼女も折ろうと思っていたのだ。
そして元いた場所に戻り、鶴を折り始めた。
特に言葉は交わさなかった。
黙々と鶴を折り始める。
周りにいた数人の日本人が、「それもらってもいい?」と、一緒に折り始めた。
黙々と鶴を折る数人。
それとは関係なく、場の中心のやり取りは進んでいく。
鶴折り人たちは、中心からは少し外れたところで折っている。
周りには気づいている人もいれば、気づいていない人もいるだろう。
ファシリテーターたちは、気づいていたのだろうか?
それはわからないが、ともかく、ファシリテーターたちは一言も我々の行動には触れないまま、ワークは終了した。
特に何かアピールしようと思ってやっていたわけではないが、「触れてほしい」という気持ちはなくはなかったので、ちょっとさびしい終わり。
まぁ、ある時は、踊ってても無視されたわけで、結局、声に出さないと、場の注目を集めることってないんだよなぁ、どうも。
大きな声を出すか、感極まって大きく泣くか・・・などしないと、場はそちらには向かない・・・ということがほとんどだ。
結局、ワークが、どういう締めになったのか、さっぱり覚えていない。
終わってから鶴を持っていた女性に聞いてみると、20数年前、高校生のときにイギリスから原爆の日の広島に行ったことがあったそうだ。
なるほど、それで知ってたわけか。
また、遠くで見てた人から、「これって、Origamiでしょ?」と声をかけられたので、「日本では、平和とかいろんな願いをこめて、鶴を折ることがあって、原爆の日の広島や長崎には全国から数え切れないほどの鶴が持ち込まれるんです・・・」みたいなことを説明して、ささやかな交流が生まれた。
全体には取り上げられなかったけど、見てる人は見てた。
それだけでよかった。
by matsuzoh2002
| 2006-08-31 02:04
| ワールドワーク@シドニー'06