歴史から目を背けない勇気…ワールドワーク報告その16…
ただいま東京に向かう新幹線の中。
えらい久しぶりですが、未完のままだったので、ワールドワーク報告の続きを書いてみます。
五日目。五月一日。夕方の大グループの中でのサブグループのワーク。
ここでテーマに選ばれたのは「イギリス」でした。
聞いた瞬間はピンと来ませんでしたが、「大英帝国・植民地主義」というところに焦点が当てられたテーマでした。
イギリスからの参加者はかなりまとまった人数がいました。
今まで、オーストラリアの白人/アボリジニの対立が繰り返しテーマになり、それを目の当たりにするたびに、僕の中では日本人とアイヌや韓国人の問題に変換して身につまされてきたように、イギリス人達は、よりダイレクトに身につまされてきたことだろう。
オーストラリアだけの問題ではない。
この会場には、インドやナイジェリア、ケニア、カリブ海地域等、旧イギリス植民地の国々の人々や、それらの国々からイギリスに移民した人々がたくさんいる。イギリスとは因縁浅からぬアイルランドの人もいれば、イギリスの中でもイングランドの人もいれば、スコットランドの人もいる。かなり複雑だ。
もう2か月以上経ってから書いているので、細かいことは忘れてしまった。
そんな中でも、1番印象に残ったのは、七十歳のイギリス人女性が言った「小さい頃に見た地図は、あちこちがピンク(=イギリス領)だった」という言葉だった。
中学か高校の時の地図帳で、ピンクだらけの世界地図を、僕も見た。
地図上でのイギリス=ピンクという色使いは、歴史のあることだったんだ。
そして、昔のことだとばかり思っていたピンクだらけの世界地図を、その時代に生で見た人が目の前にいる。…このワークが、俄然身近なものに思えてきた。
考えてみれば、大日本帝国というネーミングも、大英帝国に明らかに影響を受けているだろうし、地図の赤い部分を広げて行くイメージもあったに違いない。
このワークは日本のワークでもある。
ワークも五日目になり、だいぶ英語に慣れてきた。この時間はかなりノートが取れている。ノートを頼りに、流れを書き残してみる。
ワークは、「植民者=colonizer」と「植民地化された人々=colonized」というロール(役)が設定され、やりとりが行われた。
とは言え、ここに参加する人達は、イギリス人であっても、植民者としての歴史に反省的な人が多い。
「植民者」のロールを取るのは、すんなりできることではない。「イギリス人であることを恥じている。オーストラリアに来るまで知らない歴史があった」「そんな過去があったということを、感じないように強いられている」
…この辺りのことは、過去に反省的だと、「自虐的」みたいに言われてしまう日本の事情と重なってくる。
ファシリテーターが植民者の正当性を誇る声を出す。「我々は文明を世界にもたらした。オーストラリアに来たのも、宗教や社会基盤や、正しいものをもたらすためだ。」
被植民者からは、反発の声。
植民者からは、大きなため息。「被植民者のことや、被植民者の歴史なんて知りたくもない」
旧植民地出身でイギリス在住の人が「イギリスは私にとっても故郷だ。イギリスの恩恵は私も受けている」…事態は単純ではない。
植民者のロールにいる一人は、被植民者から目を背けている。
被植民者からは、「植民者が何も感じられないなら、感じられるようにしてやる」「植民者は歴史から目を背けるのに大変そう」と声が出る。
やがて、植民者の男性の一人が大泣き。「ごめんなさい。助けて。過去と向き合うのが怖いんだ」
いろいろなやりとりを経て、泣ききった彼は「とても救われた気分だ」
その彼に対して、植民者ロールから出た声は「あんな奴はもうイギリス人じゃない」
この辺りから、この場本来のファシリテーター二人に加わって、アーニー(ワールドワーク/プロセスの創始者、アーノルド・ミンデル)が積極的に介入。
大泣きした彼を、見放すようなことを言った植民者の一人が、彼の方を見ていることをアーニーが指摘。植民者は、彼を避けつつ、同時に、どこか心惹かれていることが明らかに。
ファシリテーターが、「植民者ロールにいると、無意識のうちにサディスティックになること」を指摘。
アーニー「(植民者ロールから離れることに、心惹かれるものがあるなら)変わらなきゃ!」
植民者「どうしたらいいか、わからない」
アーニー「深呼吸して、自分を感じよう」
植民者「自分のことがわからない。ここからどう動いたらいいかわからない」
アーニー「誰かによっ掛かってみれば?」
植民者の一人、その場に倒れ込む。呼吸がだんだん荒くなる。
周りに言う「見ないでくれ!」
「僕を傷つけたいんだろ!」
大泣きした彼「傷つけないよ」
倒れ込んでいた彼は、突然立ち上がって、部屋を走り回り、隅の方で落ち着いた。
アーニー「時間を取っていいよ。僕は見てないし」
走り回った彼「僕は誰かに追われたかったんだと気付いた」
…ちょっと解りにくかったのだが、自分から植民者のロールを離れることが難しいということの現れではないかと思う。
会場の誰か「自分が無力感に囚われてることを認めることが大切だ」
おそらくメキシコの女性「この痛みは、イギリス人に限らず、誰にでもあるものだと思う」
…これは、全くその通りだと思う
これでワークは、一時的な解決へと収束するかと思われたが「大嫌いだ!」という声が、植民者ロールへと向けられた。
すべてが丸くおさまる…ということには、なかなかならない。
それでも、おそらくインド人の男性の「今、熱くはなっているが、復讐心があるわけではない」というひとことで、このワークは終了となった。
えらい久しぶりですが、未完のままだったので、ワールドワーク報告の続きを書いてみます。
五日目。五月一日。夕方の大グループの中でのサブグループのワーク。
ここでテーマに選ばれたのは「イギリス」でした。
聞いた瞬間はピンと来ませんでしたが、「大英帝国・植民地主義」というところに焦点が当てられたテーマでした。
イギリスからの参加者はかなりまとまった人数がいました。
今まで、オーストラリアの白人/アボリジニの対立が繰り返しテーマになり、それを目の当たりにするたびに、僕の中では日本人とアイヌや韓国人の問題に変換して身につまされてきたように、イギリス人達は、よりダイレクトに身につまされてきたことだろう。
オーストラリアだけの問題ではない。
この会場には、インドやナイジェリア、ケニア、カリブ海地域等、旧イギリス植民地の国々の人々や、それらの国々からイギリスに移民した人々がたくさんいる。イギリスとは因縁浅からぬアイルランドの人もいれば、イギリスの中でもイングランドの人もいれば、スコットランドの人もいる。かなり複雑だ。
もう2か月以上経ってから書いているので、細かいことは忘れてしまった。
そんな中でも、1番印象に残ったのは、七十歳のイギリス人女性が言った「小さい頃に見た地図は、あちこちがピンク(=イギリス領)だった」という言葉だった。
中学か高校の時の地図帳で、ピンクだらけの世界地図を、僕も見た。
地図上でのイギリス=ピンクという色使いは、歴史のあることだったんだ。
そして、昔のことだとばかり思っていたピンクだらけの世界地図を、その時代に生で見た人が目の前にいる。…このワークが、俄然身近なものに思えてきた。
考えてみれば、大日本帝国というネーミングも、大英帝国に明らかに影響を受けているだろうし、地図の赤い部分を広げて行くイメージもあったに違いない。
このワークは日本のワークでもある。
ワークも五日目になり、だいぶ英語に慣れてきた。この時間はかなりノートが取れている。ノートを頼りに、流れを書き残してみる。
ワークは、「植民者=colonizer」と「植民地化された人々=colonized」というロール(役)が設定され、やりとりが行われた。
とは言え、ここに参加する人達は、イギリス人であっても、植民者としての歴史に反省的な人が多い。
「植民者」のロールを取るのは、すんなりできることではない。「イギリス人であることを恥じている。オーストラリアに来るまで知らない歴史があった」「そんな過去があったということを、感じないように強いられている」
…この辺りのことは、過去に反省的だと、「自虐的」みたいに言われてしまう日本の事情と重なってくる。
ファシリテーターが植民者の正当性を誇る声を出す。「我々は文明を世界にもたらした。オーストラリアに来たのも、宗教や社会基盤や、正しいものをもたらすためだ。」
被植民者からは、反発の声。
植民者からは、大きなため息。「被植民者のことや、被植民者の歴史なんて知りたくもない」
旧植民地出身でイギリス在住の人が「イギリスは私にとっても故郷だ。イギリスの恩恵は私も受けている」…事態は単純ではない。
植民者のロールにいる一人は、被植民者から目を背けている。
被植民者からは、「植民者が何も感じられないなら、感じられるようにしてやる」「植民者は歴史から目を背けるのに大変そう」と声が出る。
やがて、植民者の男性の一人が大泣き。「ごめんなさい。助けて。過去と向き合うのが怖いんだ」
いろいろなやりとりを経て、泣ききった彼は「とても救われた気分だ」
その彼に対して、植民者ロールから出た声は「あんな奴はもうイギリス人じゃない」
この辺りから、この場本来のファシリテーター二人に加わって、アーニー(ワールドワーク/プロセスの創始者、アーノルド・ミンデル)が積極的に介入。
大泣きした彼を、見放すようなことを言った植民者の一人が、彼の方を見ていることをアーニーが指摘。植民者は、彼を避けつつ、同時に、どこか心惹かれていることが明らかに。
ファシリテーターが、「植民者ロールにいると、無意識のうちにサディスティックになること」を指摘。
アーニー「(植民者ロールから離れることに、心惹かれるものがあるなら)変わらなきゃ!」
植民者「どうしたらいいか、わからない」
アーニー「深呼吸して、自分を感じよう」
植民者「自分のことがわからない。ここからどう動いたらいいかわからない」
アーニー「誰かによっ掛かってみれば?」
植民者の一人、その場に倒れ込む。呼吸がだんだん荒くなる。
周りに言う「見ないでくれ!」
「僕を傷つけたいんだろ!」
大泣きした彼「傷つけないよ」
倒れ込んでいた彼は、突然立ち上がって、部屋を走り回り、隅の方で落ち着いた。
アーニー「時間を取っていいよ。僕は見てないし」
走り回った彼「僕は誰かに追われたかったんだと気付いた」
…ちょっと解りにくかったのだが、自分から植民者のロールを離れることが難しいということの現れではないかと思う。
会場の誰か「自分が無力感に囚われてることを認めることが大切だ」
おそらくメキシコの女性「この痛みは、イギリス人に限らず、誰にでもあるものだと思う」
…これは、全くその通りだと思う
これでワークは、一時的な解決へと収束するかと思われたが「大嫌いだ!」という声が、植民者ロールへと向けられた。
すべてが丸くおさまる…ということには、なかなかならない。
それでも、おそらくインド人の男性の「今、熱くはなっているが、復讐心があるわけではない」というひとことで、このワークは終了となった。
by matsuzoh2002
| 2006-07-15 08:54