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身体で思いを形にするワークショップblog

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「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

家族の/民族の、もつれをほどく

プロセスワークの英語の本、「Beyond War And Peace In The Arab Israeli Conflict」(訳せば「アラブ・イスラエル紛争、戦争と平和を超えて」)を、web辞書を引きつつ、熟読している。

グループの葛藤解決のためにプロセスワークを応用する「ワールドワーク」を、アラブ人とユダヤ人の両者が顔を合わせる場で行なってきた実践を基に書かれている。

その中(まだp.20)で、"the Semitic people" という言葉が出てきた。
Semitic とは、ユダヤ人もアラブ人も両方含まれる、人種的呼び名。

なるほど、宗教的な違いから対立はしているが、人種的なルーツは同じなんだ。

日本語だとセム人という言い方もあるようだ。
地理オタクの僕に耳なじみがあるのは「セム・ハム語族」。ヘブライ語も、アラビア語も含まれる。「インド・ヨーロッパ語族」に対する概念だ。

そして、semiticの派生語に"anti-Semitism"がある。
反ユダヤ主義。
semitic はユダヤもアラブも含まれるのに、anti-Semitismは歴史的経過から、ユダヤ人をさして使われるようになった。

反ユダヤ主義のピークは、ヒトラー・ナチズムによる排斥・虐殺。
「アーリア人の優位性」を謳い、「劣等人種・セム人」を差別した・・・

ユダヤ人はドイツに暮らしていたから、目に見える形で標的になったのだろう。
アラブ人も暮らしていたなら、同じように標的になっていたに違いない。

思い出すのは、映画
「僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ」だ。
この映画は、僕はバンクーバー留学中に英語字幕で見た。オリジナルはドイツ語かな?

当時は英語の映画を聞き取るよりも、非英語映画を英語字幕で理解する方が、まだ楽だったような気がした。字幕に気を取られすぎて、映画の全体像をつかめてないことも多かったと思うが・・・

主人公は、ユダヤ人の少年なのだが、歴史の荒波にもまれて、ユダヤ人であることを隠しながら、ドイツの学校に通うことになる。

一番印象に残っているこんなシーンがあった・・・



先生がアーリア人種の優位性を誇らしげに語っている。

そして実例を示そう、と言って、主人公を教壇に呼ぶ。

「彼は、黒髪で、瞳も黒い。一見、アーリア人ではないように見えるかもしれないが・・・」と言いながら、骨格的特徴や、いろいろなところを測ったりしながら、

「・・・このように、様々な特徴や数値が示すように、彼も立派なアーリア人だ!」

と、お墨付きを与える。

・・・違うのに・・・



いかに人種と言う概念がいい加減かよくわかる。
しかし、笑いたい気持ちもありながら、笑えない、複雑な心境にさせられるシーンだった。

もう1度観たい映画だが、DVDにもなってないようだ。

違うものを排斥するかと思えば、一緒くたにしたり、近いもの同士が最悪の憎悪をぶつけあったり、人の世は、なんとも騒々しくややこしい。

騒々しさや、ややこしさが、あるからこそ楽しい・・・という面もあるのだが、紛争・戦争・虐殺となると笑えない。

冒頭の本に"semitic"という言葉が出てきたのは・・・
「アラブ人とユダヤ人は、1つの概念でくくる言葉があるような、お互いに近い、家族のような存在とも言える。だから新しいタイプの『家族療法』でも行なうように、感情のもつれをほどいていく必要があるのではないか?」・・・というような文脈でのことだった。

近いがゆえに、もつれてしまうのは、家族も同じ。

家族療法は、プロセスワーク、その他の手法で、最近いろいろな成果が出ている分野だと思う。

その先には、民族紛争の解決も視野にあるわけか。

勉強しがいのある分野です。
by matsuzoh2002 | 2006-03-24 11:20 | 見た映画