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身体で思いを形にするワークショップblog

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「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

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コロンビアの演劇/集団創作ワークショップ、前半終了です。

限られた時間の中で即興的に芝居を作って、見せるというのはスリリングですが、やっぱ楽しいですね。
細部まで詰め切らないで、大まかな流れだけ決めて、望む本番。

純粋な即興ほど先が見えない訳ではありませんが、台詞とか決めきってない分、練習では言ってなかった事を言ったりして、予定通りに進まなかったらどうしよう、ま、でもなんとかなるだろうという、いい感じのドキドキ感です。

で、見てた人から「価値判断抜き」の評価をもらうのですが、これがこちらが意図していなかったことまで読み取ってくれて、なんかものすごくいいものを作った様な気にさせてくれて、いい気分です。
価値判断されて、否定的なものが来るとへこみますが、今日の評価はやさしくってありがたかった。

特にファシリテータのサンチアゴ・ガルシアさんがほめ上手。
思わぬ見方を提示されて、全然そんなつもりじゃないのに、ありがとう(T_T)って感じです。

”マエストロ”ことサンチアゴさん、80歳。
こんな爺さんになりたいなぁ・・・と思える人がまた1人増えたわ〜
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by matsuzoh2002 | 2008-10-31 02:10 | その他ワークの参加体験
11月3日に行う「人間関係の行きづまりを 右脳と身体で見直す」(詳しくはこちら)参加申込者まだ3名と苦戦中です。

面白い中身なので是非多くの方に体験して欲しいんですけどねぇ〜。

人間関係が行き詰まった時に、「ほんとはこうしたい」「いっそこうなってしまえばいいのに」「でも、こうなったらこわい」という色んな気持ちが自分の中でわき起こってきます。

そんな色んな気持ちを、キャラクターとして表現して整理しようという手法です。

気持ちを整理するやり方として、いろいろな発見があると思います。

3日が空いている方是非ご参加ください!
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by matsuzoh2002 | 2008-10-30 12:56 | ワークショップ開催のお知らせ
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昨日、皇居東外苑を歩いてたら、満開の桜の木が。

こんな時期に狂い咲き?と思って、近づいてみたら、「ジュウガツザクラ」という札が掛かってた。

十月桜!そんなものがあるなんて!狂い咲きじゃないのね~

隣には「冬桜」も咲いてた。

桜もいろいろあるのね〜
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by matsuzoh2002 | 2008-10-30 11:20 | つぶやき
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バスで東京駅に着いたけど、夜のワークショップまでは時間があったので、東京駅近辺を散策しようと思って、たどり着いたのが皇居東外苑。

こんなところが無料開放されてるとは知りませんでした。

しかも、だだっ広い芝生が入り放題とは素晴らしい。
4時半閉園で最終入場4時ぎりぎりに入ったので、ゆっくりできませんでしたが、また来てもいいなと思います。
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by matsuzoh2002 | 2008-10-30 01:42
7時前には家を出ます。

29日~1日がコロンビアの劇団「テアトロ・ラ・カランデリア」の集団創作ワークショップ。

2日はビオダンサのワークショップ。
ビオダンサはチリ生まれ。今回のファシリテーターはイタリア在住のブラジル人、セルジオ・クルーズ氏。

3日は僕のワークショップ。
ブラジル人、アウグスト・ボアールがフランスで発展させた「欲望の虹」という手法で、人間関係に取り組みます。

ラテンアメリカとラテン系ヨーロッパな国の名前ばっかり並んでるよな~。

ビオダンサは特にラテンでもないけど。

欲望の虹も特にラテンではないけど。ましてや僕のファシリテートだし。

僕にとってラテンは永遠の憧れ。
ラテンのノリは好きだけど、自分でそれやろうとすると、エネルギー持たないので。
今回のワークショップもまったりと進めます。

大阪には4日戻ります。

行きも帰りもまったりバスの旅。
楽しんで来ます。
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by matsuzoh2002 | 2008-10-29 00:11 | つぶやき
良い事があってこその笑顔じゃなくて
笑顔でいりゃ 良い事あると思えたら
それが良い事の 序章です
PADDLE(Mr.Children)

笑顔でいりゃいいことがあるかどうかは別にして、笑顔でいると、同じものを見ても笑ってしまいやすいそうです。
昨日TVを何気なく見てたら、茂木健一郎氏が出てて、そんな実験をしてました。
「面白いものを見た→だから笑顔になる」という流れが当たり前かと思いきや、「笑顔でいる→いろんなものがより面白く見えてくる」という逆もまた真なり・・・というのは非常に興味深いです

より厳密に言うと、「笑顔でいる」ではなく「口角を上げている」ならそれで効果ありと。
実験台になったアナウンサーの方は、口に何かをくわえて、無理矢理口角を上げさせられていました。

感情が表情に表れるだけでなく、表情が感情を作り出すのだと。
形から入って、内容が影響を受けるのだと。実に興味深いです。

というのも僕がワークショップで活用する「人間彫刻」も同じだからです。

身体を使ってポーズを取って表現するのが人間彫刻ですが、自分の身体で表現するときもあれば、他人の身体を使って表現するときもあります。

何の説明もなく、ポーズを取ってもらうこともあります。
けれども、自分がどんな姿勢をしているかによって、おのずと感情が湧いてきます。

例えば、部屋の片隅で体育座り*してうつむいているのと、ガッツポーズをすているのでは、おのずと気分も変わってくるでしょう。

*地元名古屋では「体操座り」だったよな。関西では三角座り?

ポーズが先にあって、感情がそれに伴って出てくるということもあるのです。
普通は感情が動いて、それに伴って身体も動いてポーズになるんでしょうけど、逆もまた真なりなのです。

周りで他の人たちが彫刻になっていれば、その位置関係で感情も影響を受けます。

先週金曜のFTCではポーズを取っていると湧いてくる気持ちに従って、「そのポーズだったら、次にどうしたいか」をイメージしてもらって、ファシリテーターの僕が手を1回叩くたびに、コマ送りで1歩ずつ、動きたい方法に動いてもらうというのをやりました。

やっぱこれ面白いですわ。
ポーズを与えられた「人間彫刻」の内面に感情が湧いてきて、その感情とともに、彫刻が動き出す。
即興で動くからこその意外な展開もあったりして、見ている側もいろいろ興味深いです。
もちろん動いている当人にもいろいろな発見があります。

今後も、これはいろいろな形で積極的に行っていきたいですね。
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by matsuzoh2002 | 2008-10-28 13:22 | ファシリテーターとして
先週金曜の宝塚フォーラムシアタークラブ(FTC)では久しぶりにフォーラムシアターをやりました。

「フォーラムシアタークラブ」を名乗っているのに、最近はフォーラムシアターをやっていませんでした。
フォーラムシアターとは、観客参加型の演劇のことです。
問題が起こって、解決しないまま終わる劇を作っておいて、それを見た観客に、登場人物の代わりに劇の中に入ってもらって、解決策を探ってもらうものです。

5年前にフォーラムシアターを作るための連続ワークショップをおこなったところからフォーラムシアタークラブは始まりました。

最近フォーラムシアターを行う機会はあまりありませんでしたが、今回のフォーラムシアタークラブでは出演者2人、(1人は僕)のミニ・フォーラムシアターを行いました。

一緒にやろうと出演してもいいという人がいたら、もっとどんどんやっていきたいですね。

この日は引きこもりの息子とその母親という2人芝居でした。

母親が息子を追い詰め、息子がキレるという流れのお芝居を用意しました。

僕が引きこもりの息子を演じました。
僕自身引きこもり「気味」な所はありますが、実際の経験はないので、どこまで現実の引きこもりをリアルに描いた芝居になったかどうかは分かりません。

母親を演じた人も母親経験ないですし。

FTCの参加者のみなさんは母親である人たちが多いので、経験に基づかない母親を描いたお芝居がうまく受け入れられないかも・・・と思ってたのですが、何とか受け入れられたようです。

出演者2人以外の参加者は6人くらいで多くはなかったので、全員が舞台に上がって息子か母親のどちらかと入れ替わることになりました。

「気持ちが分かる」と思えば、息子でも母親でもどちらに変ってもいい・・・という呼びかけ方をした結果、現実には母親である人が多いにもかかわらず、息子の役になる人が多かったのが興味深かったです。
母親側から息子に働きかけても、なかなか思うように変化を起こせない・・・という雰囲気があったせいか、母親と入れ替わる人のほうが少なかったです。ちょっと意外でした。

母親にとってリアルな問題とは何か?というところから出発して作品を作ったわけではないから、こういうことも起こりますね。
作品を見ることで、「こんな母親見てられない。この母親の代わりに私だったらこうする」という思いを引き出せれば、母親に代わる人も多くなったことでしょう。

観客にジャストフィットなテーマの作品が用意できればいいのですが、ずれると「そんな作品見せられても・・・」ということになるので、大変です。今回はそこまでのズレはなかったのでよかったですが。

簡単過ぎてすぐ解決できるような問題でも観客には刺激にならないし、難しすぎて解決のしようがない問題だと観客を萎えさせてしまう。
難易度調整も難しいですね。

そういう諸々は、実際に作品づくりと上演を繰り返すことで磨かれていくはずです。
今回も実践したからこそ学びが大きかった。

ぜひこういう経験を積んでいきたいので、一緒にやってくれる人、募集中です。

今回は1人とは言え、一緒にやってくれる人に恵まれました。
もっと大勢で、フォーラムシアター劇団をできたらいいなぁと思ってます。
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by matsuzoh2002 | 2008-10-27 23:14 | ファシリテーターとして
3ヶ月ほど訳し続けてきた本ですが、仮訳がほぼ終わりました~004.gif

今は東京行きの準備のため作業中断中ですが、一山越えた感じです。

今週は東京に行って、人づてに紹介していただいた出版社の方とお会いして、出版の可否を見てもらいます。

まぁ、内容的に相当マニアックなので、否でも全然驚きませんが、べストは尽くしましょう。

だめなら、もう少し出版社のつては探しつつ、自費出版するか、出版せずに、ネットなどでデータで販売する形も探りたいと思います。

出版社の方にお話しするときのために、概要をA4で2枚にまとめました。

話して補うことが前提の概要なので、わかりにくいでしょうけれど、せっかくなのでここにも載せてみましょう。

マニアックですが、興味を持ってくれる人がいたらうれしいですね。



David Diamond 著
“Theatre for Living: the art and science of community-based dialogue”
タイトル直訳:「生きるための演劇:コミュニティをベースにした対話の技術と科学」
タイトル訳(案):「変化を起こす観客参加型の演劇
           ~普通の人が世の中の流れを変えるための表現手段~」

概要:

ブラジル生まれの「被抑圧者の演劇」、特に「フォーラムシアター」をベースに、「Theatre for living(生きるための演劇)」と名づけた独自の活動をカナダで繰り広げる「ヘッドラインズ・シアター(Headlines Theatre)」の実践と理論。

詳細:

◇「被抑圧者の演劇」とは?

ブラジルでアウグスト・ボアールが1970年代ごろからはじめた演劇実践。
演劇人に限らない普通の人たちが、現状を認識しながら社会を変革するための手段として活用されることを指向している。
ボアールのヨーロッパ亡命後世界中に広まる。
代表的な手法は観客参加型の演劇上演、「フォーラムシアター」

◇「フォーラムシアター」とは?

観客参加型で問題解決を考えるための演劇。
問題が解決しないまま終わってしまう劇を用意しておき、上演する。
1度上演したうえで、もう1度上演し、観客に登場人物の代わりに舞台に上がってもらって、解決策を実演してもらう。
解決策を探る中で、問題の現状についての認識を深め、解決のためには様々な選択肢があることが理解されていき、人々の行動力・問題解決能力を引き出していく。

◇「ヘッドラインズ・シアター」の活動

特定の役者がいない劇団で、様々な「コミュニティ」でワークショップを行い、コミュニティが直面する問題についての「フォーラムシアター」を、コミュニティの人々とともに創作し、コミュニティの人々を対象に上演するのが活動の中心。
「コミュニティ」は特定の地域で暮らす人々の場合もあれば、特定の問題に関わりのある人たち(例えば、人種問題、薬物依存の問題、など)の場合もある。
6日間のワークショップでフォーラムシアターの上演までこぎつける「パワープレイ」が活動の大きな柱。年1回ペースのより大きなプロジェクトでは、数週間の準備期間のあとフォーラムシアターを各地で巡回公演したり、テレビやインターネットで生中継して視聴者参加型のフォーラムシアターをおこなったりする。

◇「被抑圧者の演劇」から「Theatre for living」への進化

「被抑圧者の演劇」では、社会的に抑圧されている「被抑圧者」が、「抑圧者」(為政者やブルジョア)の支配をいかに打破するか・・・というモデルに基づく活動だったが、Davidはカナダで活動を進めていくにつれて、どちらが「抑圧者」でどちらが「被抑圧者」であるという2分法ではとらえきれない事例に直面しモデルの見直しを迫られる。

結果として、「抑圧者」も「被抑圧者」必ずしも別々の存在ではなく、同じシステムの中でつながっていて区別できない存在であるという「システム理論」に基づいて、「Theatre for living」という独自の理論と実践を展開させていく。

◇ コミュニケーションのパターンを変えることでシステムが変えられる

万物を機械的なものだととらえ、世界をバラバラに理解していくデカルト的な見方から、すべてがつながっているというシステム理論的な見方へとパラダイム・シフトすることの必要性をDavidは繰り返し説いている。
システムを維持するためにコミュニケーションのパターンが決まってくるが、逆にコミュニケーションのパターンを変えることで、システムに変化を加えることも可能であるという。そのための手段としてDavidは演劇を活用している。

◇コミュニケーションのパターンを変えるための演劇実践の紹介

◆様々なゲーム・エクササイズの紹介

☆フォーラムシアター以外の、より人々の内面に焦点をあてるような手法も紹介されている。
個人の内面に焦点を当てることによって、一見個人的な問題が、実は多くの人に共通していたり、影響を与え合っていたりすることが実感されて、コミュニティの対話がより深まる効果もある。

◆コミュニティでの実践報告

☆カナダの先住民との実践報告が特に豊富。複数のプロジェクトについての報告が収められている。

白人・西洋文化への同化を長年強いられてきた先住民が、屈辱的な過去と向き合い、失われてきた尊厳と独自の文化を取り戻すために「Theatre for living」がたびたび活用されてきた。

☆もっとも細かく報告されている事例は、「ギャングに巻き込まれる若者と、家族のコミュニケーション」に関するプロジェクト。当時マスメディアでインド系の移民のギャングの事件が取りざたされることが多かったため、インド系移民のコミュニティと取り組んだもの。

 人種的な偏見を助長するマスメディアに対して一石を投じるプロジェクトになった

☆その他、カナダに受け入れられた世界各地からの難民の問題、自殺防止、DV、グローバリゼーション、いじめ問題などについての事例も随所に盛り込まれている
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by matsuzoh2002 | 2008-10-26 17:57 | ファシリテーターとして
「先日亡くなったポール・ニューマンが、なぜアメリカであれほど愛されているか」は、この作品があったから・・・とこちらで読んで、観てみました。

こちらの観客レビューでも評価の平均が7点以上というのは相当高い作品。

でもねぇ、僕はなんだかハマれなかったですね。

「暴力」ってタイトルなので、どれほど派手に暴れまくって、脱獄するのかと思いきや、そんなことは全然なかった。
上記レビューサイトでもいろんな人が書いてる通り、邦題はミスマッチな感じがします。 

確かに刑務所の待遇はひどい。
脱獄したくなる気持ちはわからないでもない。

でもねぇ、最初にそこに入った罪がなんとも、お間抜けで、懲役も2年だし、脱獄失敗のリスクを考えると、脱獄に執着する理由がいまひとつ分からなかった。

刑務所の待遇のひどさを改善したいなら、2年経って出所してから、そういう運動でも起こせば?という気もする。そんな映画つまんないだろうけど。けど現実を変えられるとするなら、そういう行動のほうだろう。
脱獄にこだわったポール・ニューマンの役は何を残せたのか?

「仲間の囚人たちの記憶」というのがこの映画の答えでしょうけど、何か小さい世界の話だなぁ・・・という気が正直してしまうのですねぇ。
いや、普通の人間のなしえることのインパクトなんて小さい世界にしか与えられないものかも知れませんけど、だからこそアメリカで人々に愛されるお話なのかもしれませんけど、なんかもっとスケールの大きな話かと思っていたので、何か拍子抜けでした。

それにしても、上記レビューサイトでは「カッコイイ」「漢(おとこ)だ」という感じの評価の高さに、どうも違和感を禁じえない僕であります。

やはりこれは、男がハマる映画なのでしょうか
どうも世間の男のイメージからはずれてる自分をまた見つけてしまった気分です。

まぁ、同時に僕同様にハマれなかった人たちもそのサイトには少なからずいて、圧倒的大絶賛と言うわけでもないんですが。

ポール・ニューマンの一番よい仲間が「裸の銃を持つ男」シリーズに出てた人なのが、おー、こんな古い映画ですでにおっさん役か、と、なんかちょっと発見でしたけど。そのジョージ・ケネディはこの作品でアカデミー助演男優賞なのですね。

アメリカで愛される映画は愛せませんでした。
そりゃそうだわなって気もしつつ。

★5
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by matsuzoh2002 | 2008-10-26 02:02 | 見た映画
もう観てから1週間以上経っていて、思い出したように記録。

市川準監督が亡くなった後、これと迷って「あおげば尊し」の方を借りたんですが、こちらもDVDのパッケージのあらすじに心惹かれて、やっぱり借りました。

洋服ショッピング依存症の妻を亡くした後、イラストレーターの夫は、亡き妻の大量の服と同じサイズの女性を、制服として妻の服を着ることを条件に、アシスタントして雇う・・・。

ここまでがパッケージに書かれていて、そこから先がどうなるのか、大いに興味惹かれたのでした。

しかし、そこから先の展開もとっても穏やかなものでした。なんだか刺激的な展開をどこかで期待してしまっていたのですが。

そこから先も、それまでも、とっても穏やかで「静謐」な映画でした。

原作の朗読にイメージ映像がついていたかのような独特の進み方。
そういう辺りも、なんかちょっと違和感を感じたんですよね。
人と人のぶつかりあいとか、あまりなくって。僕は結構そういうのを観たいんでしょうね。
静謐な感じを表すにはそういう表現方法があってるような気もしつつ、あまりハマれませんでした。

孤独を当たり前のように生きてきた主人公が、妻を愛し、亡くす。

そこにある孤独は、一度孤独でなくなった分、余計重い。深い喪失感。

孤独感は、僕の中にあるそれと呼応した感じがしました。

振られたことは数あれど、ここまで深い喪失感は未体験ゾーンなので、呼応しませんでしたが、切ない映画でしたね。

しかし刺激的な展開を期待してしまっていたので、若干肩透かしを食らった感じは否めず。

嫌いではないんだけど、ちょっと高く評価しにくい感じ。

★6
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by matsuzoh2002 | 2008-10-25 16:28 | 見た映画