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身体で思いを形にするワークショップblog

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「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

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もう、シドニーでのワールドワークから4ヶ月経ちますねぇ~。

だいぶ忘れてきましたが、まだ完結させようという気が自分の中で残っているので、もうちょっと書いてみます。

ワーク最終日、7日目。5月3日(水)

午前中の大グループのワークも、もちろん、これで最後。

選ばれたテーマは「戦争」だった。

たしか、もう1つ「環境」がテーマとして最後までどちらが選ばれてもおかしくなような接戦で、残ってたような、かすかな記憶。

さすが、最終日となると、テーマがでかいぜ!・・・と思った。

ただ、個人的には、前日の夜に「被抑圧者の演劇」入門ワークショップを成功させたことで、もう「おなかいっぱい」という感じがしていたのも確か。

あまり心ひきつけられるテーマ・・・という感じは正直なくて、見守っていよう・・・という気分だった。

ノートもあまりとってない。

最初の頃は原爆が話題の中心になっていた。

父親(?)が、第2次大戦中に原爆を作るプロジェクトに関わっていた・・・というような人がいて、へぇ~、と思う。

・・・ノートを見直しても、まとまった文章にできるのはそれくらい。

いろいろなロール(役、役割)、いろいろな声が登場して、やり取りが展開していくのをただ眺めていた。

ふと近くにいた白人女性が折り鶴を持っているのに気がついた。

折り鶴・・・前日の夜、ワークショップが終わった後、踊ったりしながらその場に残っていたら、どういうわけか、折り鶴を折りはじめた白人男性がいて、でも、その折り方が、日本で標準的なのとちょっと違ったので、「僕らが知ってるのは、こうだよ」という感じで折った。そしてそれがその場に残っていた・・・

その折り鶴を、その女性が持っていた。

折り鶴の意味するところを、その女性は知っている・・・と思った。

そして、一緒に折ろう・・・と、誘おうと思って、折れる紙がある場所へ、紙を取りに行った。

特に平和を祈って折ろうとかいう意図はなく、ただ、なぜか折り鶴を持っていたこの人と、一緒に折りたかった。

そうしたら、その紙のところに、その女性も来ていた。
彼女も折ろうと思っていたのだ。

そして元いた場所に戻り、鶴を折り始めた。

特に言葉は交わさなかった。

黙々と鶴を折り始める。

周りにいた数人の日本人が、「それもらってもいい?」と、一緒に折り始めた。

黙々と鶴を折る数人。

それとは関係なく、場の中心のやり取りは進んでいく。

鶴折り人たちは、中心からは少し外れたところで折っている。

周りには気づいている人もいれば、気づいていない人もいるだろう。

ファシリテーターたちは、気づいていたのだろうか?

それはわからないが、ともかく、ファシリテーターたちは一言も我々の行動には触れないまま、ワークは終了した。

特に何かアピールしようと思ってやっていたわけではないが、「触れてほしい」という気持ちはなくはなかったので、ちょっとさびしい終わり。

まぁ、ある時は、踊ってても無視されたわけで、結局、声に出さないと、場の注目を集めることってないんだよなぁ、どうも。

大きな声を出すか、感極まって大きく泣くか・・・などしないと、場はそちらには向かない・・・ということがほとんどだ。

結局、ワークが、どういう締めになったのか、さっぱり覚えていない。

終わってから鶴を持っていた女性に聞いてみると、20数年前、高校生のときにイギリスから原爆の日の広島に行ったことがあったそうだ。

なるほど、それで知ってたわけか。

また、遠くで見てた人から、「これって、Origamiでしょ?」と声をかけられたので、「日本では、平和とかいろんな願いをこめて、鶴を折ることがあって、原爆の日の広島や長崎には全国から数え切れないほどの鶴が持ち込まれるんです・・・」みたいなことを説明して、ささやかな交流が生まれた。

全体には取り上げられなかったけど、見てる人は見てた。

それだけでよかった。
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by matsuzoh2002 | 2006-08-31 02:04 | ワールドワーク@シドニー'06
引き続き「サイコドラマの現在」 現代のエスプリ459を読んでいます。

日本ではサイコドラマを実践するのに、特に資格は要りません。

アメリカでは最低でも800時間の訓練が必要だそうです。

サイコドラマ事情に詳しくはない僕ですが、推測するに、この資格が日本でも要求されるなら、多くの人がこぼれ落ちてしまうことでしょう。

その辺りが、サイコドラマの専門家の方々の座談会で触れられています。

「どこかで専門家という制限を設けなければ、ならない部分があって、そうしないと平気で危ないことをやっている人たちがいても、誰にもそれを止める権利はないわけです」

・・・というように、「資格」が設定されないことに関する、危険性も認識されているようですが、

「本来の力を持っている人がそこから抜け落ちて、勉強してただ試験に合格したものだけが資格をとってくるというのに、たいへん抵抗がある・・・(中略)・・・どうやって我々は学んだかというと、外国の人たちのドラマを見て、それから盗んだり観察して、自分なりに工夫してここまできたわけです。本当はそういうことでできるはずなんだろうと思うんです」

・・・というように、試験をクリアした人がサイコドラマの実践家として認められる・・・という制度には否定的なようです。

最初に実践を始めた人たちは、当然制度も何も整備されていない中、試行錯誤しながら、無人の荒野を切り開いてきたわけです。

一度資格が整備されると、そのような開拓者的に勉強して、ものにしていく人が認められなくなってしまうというのは、確かに少しおかしなことのような気がします。

日本のサイコドラマの、そのように、資格に対して大らかなありようは、僕は好感を持って受け止めています。

僕が自力&海外のワークショップ体験で学んできた「被抑圧者の演劇」は、世界的に資格が特にありません。実践家は、名乗ったもん勝ちです。

これは、まだ手法が固まりきっておらず、進化を続けている段階というせいもあるかもしれませんが、「被抑圧者のため/社会変革のため」という目的さえはっきりしていれば、自由に使ってくれ・・・という「手法」よりも「目的」が重視されているような気もします。

資格がないことの危険性を自覚しつつ、それでも自分なりに経験は積み、理解は深めたという前提で、僕も「被抑圧者の演劇」の実践家としての自覚をもっているつもりです。

一方、今勉強中のプロセスワークは、日本でも資格が整備されつつあるところです。

資格を取るためには、金もかかるし時間もかかる。

資格はないのを明示しながら、自分なりに実践経験を積んでいくというやり方を試みている人は、自分の実践の場を「プロセスワーク」と名乗っていのか?・・・というのが、あるところで議論になっています。

「サイコドラマ」の場合なら、それは誰にも止められない・・・というのが実情のようですね。

僕としては、「平気で危ないことをやる」ような人には、やはり気軽に名乗ってほしくない・・・というのはわかります。

でも同時に、自分なりに実践経験を積んでいくことによって自ら力をつけてきた部分は大きいと思うので、資格が整備されると、そういうやり方が認められないというのはどこか窮屈な気もするんですよね。

そんなわけで、どっちの気持ちもわかるとは言え、リスクを背負いながら自力で経験を積むのもあり!というのが僕の気持ちですね。

教習所に通わなくても、運転技術があって、本試験に通れば自動車免許は取れる・・・っていうことでいいんじゃないんでしょうか?
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by matsuzoh2002 | 2006-08-30 22:51 | つぶやき
久々にハリウッドの大作など観てみました。

なぜ見ようかと思ったかといいますと。。。

<以下、ネタバレ>

多重人格を扱った映画がみたいなぁ・・・と思っていたら検索に引っかかったんです。

[映画の精神医学]というサイトいわく
『ロング・キッス・グッドナイト』は、アクション映画でありながら、実はアクション映画ではなく、多重人格映画なのである。
そして、
多重人格者を主人公とした映画は数十本は存在するし、多重人格者を題材にした小説も何冊も出版され、多重人格ほど人々に良く知れ渡った精神障害はないとも思われるが、実際その理解は、フィクションの多重人格者の誤ったイメージで支配されていると思われる。なぜなら、『ロング・キッス・グッドナイト』のような、極めてリアルな多重人格者の描写を見ても、ほとんどの人が多重人格だとは夢にも思わないのであるから。

やはり誤ったイメージで支配されたものよりも、リアルな描写を観たい・・・と思って、観てみた。

実際に観てみると、なるほどね、と思う。
「多重人格者」の人格の「解離」と思えば、腑に落ちる部分も、何も知らないで観ると、戸惑うかもしれない。
人格が変わるとともに、もう1つのの人格の記憶さえなくしている・・・という瞬間がたびたびあり、
何も知らずに観ていたら、混乱しそうだ。

詳しい解説は上記サイトにお任せします。
確かに、多重人格(解離性同一性障害)がリアルに描かれているような気がします。

「五番目のサリー」だと、「人格と人格が完全に分離されてる」感じだけど、ここでは、分離がよりあいまいで、「多重人格」ではないような気もしたけれど、上記サイトを見ると、むしろ、こういう場合のほうが多いということだし。

アクション映画としてみると・・・巻き添えを食って人が死にすぎだぁ。
レニー・ハーリン監督だからなぁ・・・。
ダイハード2でも飛行機あっさり墜落させるしなぁ・・・。
派手ではあったけど、スッキリしない感じでした。

上記サイトは、精神医学の観点から、いろんな映画を分析しているようで、面白そうなのでこれからちょくちょく覗いてみようと思います。
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by matsuzoh2002 | 2006-08-30 18:29 | 見た映画
半年ほど前に、「新しい多重人格者」という生き方(仮) ~プロローグ~・・・なんていうことを書いた。

「自分の中にある、いろいろな面を、すべて大事にしながら生きる」・・・みたいなつもりで、「新しい多重人格」なんて書いた。

多重人格(医学的には「解離性同一性障害」)について調べてみると、「人の性格の多面性とは違う」とはっきり書いてある。
それはよくわかったので、もうあらためて「新しい多重人格」なんて言い方をしようとは思わないが、「多重人格」に大いに興味がわいたのは事実だ。

そんなこともあって、最近になってダニエル・キイス「五番目のサリー」を読んだ。
今さら・・・というタイミングではあるけれど、読んでなかったので。

「24人のビリー・ミリガン」のほうが有名な気がするけど、「24人は多すぎる」様な気がして(笑)、こちらを選んだ。

「24人…」はノンフィクションだけど、こちらは小説。

確かに、24重人格なんて、創作するのはややこしそうだ。
5重人格くらいにしとこう・・・というところに落ち着いたのも分かる気がする。けれども現実はそれを上回る。順番としては「5番目・・・」のあと「24人・・・」という流れだったようで。

さて「5番目のサリー」、冒頭から違和感。

5重人格のうちの1つは、「みんなの身に起こったことを全部知っている」という。

そういう存在がいながら、それ以外の人格はそれぞれ独立した記憶を持っていて、お互いのことを知らない・・・なんていうことになってしまうとは・・・人間てホント不思議だ。

面白いなと思ったのは、イスを並べて、自分の中の人格を順番に出していく「グループセラピー」。
グループといっても、1人の中の人格なんだけどね。
サイコドラマに近い感じ。プロセスワークでも同じようなことをできるだろう。
個人の中の多面性を扱う場合でも、この方法は有効。
それが多重人格の場合でも有効・・・というのは面白い。

そんなことを経て、人格を1つ1つ「融合」させていく・・・というのが描かれている解決手段。
「消していく」のではなく、それぞれ活かしていくという方向性は、納得。
それぞれ必然性があって存在しているんだと思うから、排除・消去するのはよくないと思うね。

融合の助けになるのが、インナー・セルフ・ヘルパーと呼ばれる存在。
プロセスワークでいうところのメタコミュニケーターかな。

自分のことを客観的に見てくれるもう1人の自分。
これは大事だわね。

前半の違和感が解消されると、あとは引き込まれて、かなりのスピードで読み進んでいきました。
面白かった。
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by matsuzoh2002 | 2006-08-30 16:16 | つぶやき
昼間は相変わらず暑いが、夜は結構涼しげに。

淀川の堤防に、ウォーキングしに出てみると、虫の音が、すっかり秋っぽくなっている。

1週間前はこれほどでもなかった。

真夏の盛りでも、夜の虫の音は結構秋っぽく聞こえた気がしたのだけれど、今日は音のバリエーションがものすごく豊富になっていて、今まで鳴いてなかったやつがいっぱい鳴き出したなぁ・・・というのがよくわかった。

ちょっと前までは、虫とカエルのコラボレーションだったのにね。

初夏には中音部のカエルが元気だったし、真夏になってもウシガエルは重低音を響かせていた。

そして夏にも鳴いていた虫とのコラボレーション相手は秋の虫たちへと変化。

季節の流れやねぇ・・・。

大阪の残暑はまだまだ続くようだけど、そして来週ポートランドへ行くと、温度はどうなのか?

日曜のポートランド。こちらによると、最高気温は34℃。

・・・ポートランドも結構猛暑だなぁ・・・と思いきや、最低気温12℃

え゛~!朝夕の気温差22℃。!

日本じゃありえないよなぁ。最低気温12℃なんて、秋も深まる頃ちゃう?

到着予定の9月4日の予報は、最高31℃最低15℃。
その後は、少しずつ下がりそうだけど・・・

昼はTシャツ1枚。夜はセーター着るかな?

温度調整難しそう。持っていく服装のチョイスをどうしよう?

そして、途中、オレゴン州の海岸沿いのヤハッツという町に行くのもコースに含まれているのです。

そこは、この日曜日最低11℃、最高38℃!!!

ありえねぇ・・・。気温差27℃!

でも傾向としてはこっちの町のほうが気温低いみたいです。

8月30日のヤハッツの予報。最低8℃最高15℃。・・・38℃出た日の3日後ですが・・・。

ホント、服装悩むなぁ。

風邪ひかないように気をつけよう・・・
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by matsuzoh2002 | 2006-08-29 00:15 | つぶやき
ノートパソコンのディスプレーがつぶれて、当然、本体ごと修理中です。

データは飛んでないはずですが、バックアップをさぼっていたので、修理中のPCに入っていた、メールアドレス等がわからないままです。

今は入手した別のパソコンで作業していますが、メールに関しては、送っていただかないとアドレスがわからず、こちらからは送れない状況です。

この状況のまま渡米します。励ましがてら、メールいただければ幸いです。

ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします。
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by matsuzoh2002 | 2006-08-28 23:23 | つぶやき
6時頃、パソコンいじってたら、突然画面が真っ暗に!
よく見ると、画面ものすごく暗いけど、映ってることは映ってる。
多分、ハードディスクとかは無事で、ディスプレイの問題。データが飛んだりはしてないだろうけど、作業は無理。
あわてて買った店へ。
修理は三週間から一ヶ月かかるらしい。まあ、しゃーないね。早くても、ちょうどアメリカから帰ってくる頃までは無理やね。
さて、どうしよう?
パソコン、アメリカに持って行こうと思ってたし、行く前にないのも何かと不便。
そう言えば、航空券のエアチケット、印刷してないままだった!
ネットカフェに通う手もあるけど、パソコン二台体制にしようかな…とも思っていたので、これを機会に買おうかな。
修理に出すついでに、新品を見てきた。出費は痛いがパソコンは消耗品だしなぁ…。ある程度しゃあないわなあ…
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by matsuzoh2002 | 2006-08-27 22:13
magicalさんのお薦めで観てみましたが、面白かった。
magicalさんありがとう。

「スパニッシュ・アパートメント」「アメリ」に続いて、オドレー・トトゥ3連発。

3つ並べてみるとなかなか興味深いなぁ・・・と思った。

舞台はそれぞれ、バルセロナ(ただしオドレー・トトゥはパリにいる)―パリ―ロンドン。

「スパニッシュ・・・」はEU内の外国人(主に留学生)の物語。
経済的・社会的に地位の安定している留学生だし(そうでない人もいるだろうが)、「厳しい現実」というのは、そんなに出てこない。

「アメリ」はパリの中で完結した物語。
一部の批評家が、「移民がきれいに排除された復古的、右寄りの映画」と批判した・・・なんていうことがあったようで、確かにフランスの白人ばっかり出てくる。
かと言って、恵まれた人たちばっかりというわけではなく、むしろ逆だけど・・・。

そして「堕天使のパスポート」。
主役が不法滞在者と難民。もろ厳しい現実。

オドレイ・トトゥはトルコ人難民。
映画観ただけではわからなかったが、公式HPを見たら、「おそらくクルド人」・・・とのこと。
なるほど。
トルコ人難民ならおそらくクルド人だろう・・・というのは、わかる人には分かるのだろうな。
トルコではクルドの文化は全く認められておらず、同化が強いられているとか。そのあたりがトルコのEU加盟にはネックになっているらしい。

難民には毎週生活費も支給される・・・というのも公式HP情報だが、「25歳以上の単身者は£38.26」とか。
オドレイの役=シャナイは22歳だから少し額は違うかも知れんけど、38ポンドって今のレートで1週間8400円・・・。家賃は無料らしいけど、きついよなぁ!

6ヶ月間は働いちゃいけないし、誰かを同居させてもダメらしい。
シャナイは働いてるし、同居させてるのが、移民局にバレて、どんどん窮地に。

その同居させてもらってるもう1人の主人公は、ナイジェリア人不法滞在者の男性。
彼も、他にもいろいろあって、どんどん窮地に。

・・・レンタル屋では「ラブ・ストーリー」のコーナーに置いてあったけど、置く棚違う気がする。
2人の間にラブストーリーがないこともないけれど、どっちかっていうと、かなりサスペンスタッチ。

そして描かれる、重くて、エグい現実。
生き延びるためには、ホントはしたくないことも選択せざるをえない、厳しさ。
見てて切なくなったわ。

「あぁ、そこまでいってしまうのか・・・」というところまでいくのだけれど・・・うまいこと引っくり返してくれる。

観終わりは、切ないけれども、重くはなかった。

脚本がうまいと思った。
アカデミー脚本賞ノミネートも納得。

そこまで映さんでもええやろ・・・っていう、ホントにエグい場面もあったなぁ。

前にも書いたような気がしますが、「どこかに所属する」ということが苦手だったりするせいか、移民とか、文化のはざまで生きる人には、とても共感するところがある。

この物語もそういう部分に惹かれたし、興味深いところでもあった。
同時に彼らの置かれている境遇は、重く、切ない。そういう部分がしっかり描かれてるような気がする。

おすすめです。
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by matsuzoh2002 | 2006-08-27 14:36 | 見た映画
もう渡米まで10日となりました。早いものだ。

勉強してくる「ワールドワーク」が何なのか、実践を通して伝えていく場が要るなぁ・・・という気が高まってきた。

その一方で、宝塚では平日の昼間に月1回行なっている、演劇を活用したワークショップを土曜か日曜にも定期的にやっていきたい!・・・という気持ちも高まってきている。

ゆくゆくは、「ワールドワーク」と「《被抑圧者の演劇》をベースにした応用演劇のワークショップ」を融合させていこうというのが、野望ではあるが、当面は両方やってみよう!

・・・と思う。

それぞれ月1くらいやりたいな。

どちらかしか来ない人もいてもいいし、両方来てくれる人がいればもちろんありがたいし、まずはやってみようぜ!

人が集まるのか・・・というのが問題だけど、何とかして、集めたい!

たとえ集まらなくとも、まずは集めるよう努力してみる!・・・そういう方向でいってみよう。
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by matsuzoh2002 | 2006-08-27 01:32 | ファシリテーターとして
「サイコドラマの現在」 現代のエスプリ459を読んでます。

まだ途中ですが、とても参考になりそうです。
サイコドラマやプレイバックシアターの実践者の対談から始まっていますが、なかなか興味深く読んでいます。

「1回のワークショップだけでは難しい」という話がされていて、僕がやりたい事も一緒だよなぁ・・・と共感しています。

そうなんですよね。

今「劇的・変化・体感ワークショップ」という名前にHPを変更しようと工事中ですが、「変化」って、1回のワークショップでそう簡単に起こるものではないですからね・・・。

それでも変化を模索していくのが、僕のやろうとしているワークショップの「キモ」だと思うので、「変化」を名前に入れてはいきたいのですが、変化はそう簡単には起こらない・・・というのは同時に強調しておきたいと思います。
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by matsuzoh2002 | 2006-08-26 15:53 | ファシリテーターとして