ブログトップ

身体で思いを形にするワークショップblog

karadaws.exblog.jp

「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

<   2006年 07月 ( 31 )   > この月の画像一覧

クレジットカード会社の引き落としの通知が来る。

毎月の事だが、今回はケタが違う!

このたびご入学の修士コース、1年分の学費お支払い!
一括!どど~ん!

家も車も買ったことないので、人生最大のお支払い!

最近プロセスワークよりも、気づき/変革のための演劇の方がやっぱり面白いよなぁ・・・と思うことしきりでありますが、それをより補強してパワーアップさせてくれるものとして、しっかり元をとってくるとしましょう。
[PR]
by matsuzoh2002 | 2006-07-31 23:26 | つぶやき
ワールドワーク@シドニー、6日目午後。

大グループの中で行なうサブグループのワーク。
翌日、最終日はクロージングセレモニーを行なうということで、サブグループのワークはこれが最後。

いくつかのグループがワークをしたいと名乗り出て、ペンを回して選ばれたのは・・・

「LGBT(ゲイ・レズビアン・バイセクシュアル・トランスジェンダーなど性的少数者)で子どもがいる人、または親がLGBTだったり、子どもがそうだ」という人たち。

そういう人もいるのは分かっていたが、そういう人たちがグループになるほどいる・・・というのがまず僕にとっては驚きだった。

250人くらいの大グループの中から、当てはまる(と思っている)人が、自ら輪の中に出てくる。
これが20人とか、けっこうな人数だった。

その中では「子どもがいる」という人が多いようだが、親がそうだという人もいた。

カミングアウトできないまま、男女での結婚をして、その後LGBTとして生きるようになった人もいれば、LGBTとしてカミングアウトした後で、何らかの方法で子どもを持つようになった人もいる。

なるほどなぁ~と思う場面もいろいろあったと思うのだが、ノートがほとんど取れていないし、記憶もほとんどない。

個人的には、この日の夜「被抑圧者の演劇」入門ワークショップをやる事にしていて、そちらがメインイベントだったので、あまり聞けてなかったのかもしれない。

そんな中でも、印象に残って、メモに取ったことを2つほど。

レズビアンで子どもを授かった女性・・・

 「妊娠途中で男の子だと分かった。自分もパートナーも、この子が生きるうえで、モデルになれない。どう受け止めたらいいんだろう・・・と、インナーワーク(瞑想など、自分の内面で行なうワーク)してみた結果、『これで、男性の社会運動にも積極的に関われる!』ということに気づいた。それが大きかった」

これまたレズビアンの女性。

 「自分の息子は、保育園で『うちにはママが2人いる』と公言している。それを聞いた女の子が、別の女の子に『結婚しよう』って言った。言われた子は『女同士じゃ無理よ』。『でも○○君の家はお母さん同士がカップルだよ』『え?そうなの?じゃぁ結婚しよう』(^^)」

・・・こんな会話は楽しいね。

基本的に多様性を認める方向性で大賛成!

結婚制度って、どうも窮屈だし。

午前中の話よりも、子どもがからむことによって、話に広がりで出てきたようなところもあったと思う。
[PR]
by matsuzoh2002 | 2006-07-30 23:11 | ワールドワーク@シドニー'06
「ブロークバック・マウンテン」ですっかり有名になったアン・リー監督の10年位前の作品。

ここでも、「ゲイ」をテーマに扱っていたので、「ブロークバック」のヒットともに話題になるかと思ったけど、そうでもなかったのかな。

・・・と思ってたらDVDが発売になるみたいですね。やはりアカデミー監督賞効果か。

以前見て、相当面白かった覚えがあるので、ワールドワークでゲイが話題になった事もあり、見てみた。(3週間くらい前に見て、感想を書き損ねていたので、けっこう忘れてしまった)

以前見たときに面白かったのは、ゲイを隠しているがゆえに、同じ出来事でも、登場人物同士で全く違うとらえ方をしていたりして、そのズレ方が面白かった・・・という記憶が残っていた。

台湾からNYに出てきてる青年が主人公。

アメリカ人の彼氏と暮らしながら、不動産業をしている。

ゲイであることを告げていないので、台湾の両親は「独身」の息子の結婚相手を見つけるのに必死。

主人公の不動産物件の貸し手の中国人女性は、主人公が好みのタイプなのだが、当然ふられている。彼女はグリーンカードがほしい。

お互いの利害が一致し、二人は偽装結婚をすることに・・・というお話。

台湾から両親が来る。アメリカ人彼氏は「親切な大家」役として、やたら2人の近くにいる。
市役所で婚姻届を出すついでの簡易結婚式みたいなのですまそうとするが、両親、特に母親が、これでは哀れ・・・ということで、盛大な披露宴(ウェディング・バンケット)をすることに。

・・・ストーリーの流れだけを書くと、こんな感じだけど、偽装だと知っている3人と、それを知らない両親のズレ方が、初めて見たときは面白かった。

2度目になると、そういう意味での面白さは減少?

ストーリーは楽しめたが、初めて見たときのズレを楽しむという感じは、あまり感じなかった。
見てない方にはお薦めしたいとは思うんですが・・・。

結局、実はお互い知っているのに、最後までお互いの事を隠している・・・という父-息子関係がなんとも印象的だ。

ブロークバックはまたそのうち見ることでしょう。
[PR]
by matsuzoh2002 | 2006-07-30 16:57 | 見た映画
今日はなぜだか、朝もはよから目が覚めた。

何となくTVをつけたら、アンパンマンがやっていた。朝の5時半~6時にやってるんかいな。日曜の朝からそんな早起きな子ども、いる?・・・などと思うが。

2週間前の東京のPETAのワークショップで、アンパンマンと大いにご縁があったのを思い出した。

「持続可能な開発」がテーマだったので、「持続可能」を人でイメージすると誰?という問い掛けがあったのでした。

僕の発想だと、「人は死んじゃうから、持続可能じゃないよなぁ・・・。持続可能な存在って・・・神?」とか思って、最初は「神」って、紙に書いていたのだ。

そのとき、隣にいた男の子(多分、学生さん)が、ボソッと「持続可能って、アンパンマンとか、どうですかね?」みたいなことを言った。

アンパンマン!

パン=自分の顔を人にあげても、また焼いてもらえば、すぐ元通り!
まさしく持続可能!

これは面白い!
学生くんの言葉は、ちょっと不安な感じもあるようだったので、「アンパンマン、いいよ!面白いよ!」と、太鼓判を押しといてあげた。

ところが、「じゃぁ、1人1人、書いた紙を真ん中に置いてください。」ということになると、歴史上の人物や、「母」など自分の身近な人物や、「○○な人」という形容詞での表現などが、出てきた。
学生くんは「こんなふざけたのじゃダメだ!」と思ったのか、アンパンマンをやめて、他の無難なものに変えようとした。
替えるオプションはすぐに出てきたから、いざとなったら替えようと、準備してたっぽい。

僕は「え、うそ~、それでいいのに」と、ワンプッシュしたのだが、彼はあっさりアンパンマンを捨てるようだ。
正直、「神」より「アンパンマン」という答えに、心惹かれまくっていた僕は、じゃぁ「アンパンマンもらうよ」と彼に了解を取った上で、「神」を捨てて、アンパンマンに書き直した。
せっかくだし、下手なイラストつきで。

アクティビティの続きは、「その人のどういうところが、持続可能?特性・特質は?」という問い掛けだった。
アンパンマンに関する答えは、クリア。

「人にあげても、焼いてもらえば、すぐ元通り」

次の問いは、はっきり覚えがない。確か、「持続を可能にするために、その人はどういうアクションをするのか?」というような感じ?

答えは「パンを焼いてくれるように、ジャムおじさんにお願いする。つまり、必要な事は人に頼む(何でも自分でやろうとすると無理が生じる。そうすると続かない)」

次の問い「(自分以外の人に、広く)メッセージを」

「みんなに僕のパンを食べてほしいけど、みんないっぺんには無理だよ。(出来る範囲で、出来る事をしていく。無理しない)」

最後の問い「その人を現すシンボルは?」

パンをあげて欠けているアンパンマンの顔を描いて、隣にジャムおじさんの顔を描いて、ジャムおじさんから欠けている部分に矢印を書いた。

「ジャムおじさんの顔がよくわからないなぁ」ってつぶやいてたら、隣にいた女の子が「私描けるよ!」って描いてくれた。
見よう見まねで、自分で書いてみた。

こういう教え/教えられの交流も、持続可能にはいいと思う。

バッチリっす!

冗談めかしているようで、「持続可能」ってどういうことかっていう、一面をしっかりつかめた気がする。



今日たまたま見たアンパンマンは、アンパンマンがバイキンマンを直接倒す事はなくて、ホラーマンが大活躍。

アンパンマンはホラーマンや他のキャラの力を引き出すファシリテーターみたいだったね。

いつもそうではないだろうけど、アンパンマン1人がヒーローやっちゃうよりも、他のキャラにもがんばってもらうほうが持続可能だろうね。

・・・これは自分にもいえることだ!・・・
[PR]
by matsuzoh2002 | 2006-07-30 07:18 | つぶやき
Tall poppyと「内なる抑圧」のレクチャーを受けての、大グループでのワーク。

テーマとして選ばれたのは「ホモフォビア」だった。

ホモフォビア・・・日本語に訳せば「同性愛嫌悪」「同性愛恐怖」となるのだろうが、日本語としては、まだそんなに一般的な言葉とはいえないだろう。

それでも「ホモフォビア」でググってみると41,200件ヒット。

「フォビア」は「一般的に『恐怖症』」という意味でよいのかな?「アラクノフォビア」っていう蜘蛛パニックの映画があったな、観てないけど。

なんとなく「生理的に受け付けない」っていうニュアンスがあるような気がする。「~フォビア」ってこんなにあるのかぁ!

自分の中にホモフォビアが全くないことはないと思う。
しかしそんなに積極的に恐怖を感じるわけでもない。
自分から積極的に差別する事はまずないはずだが、ただ、周りが冗談めかしたりして、同性愛を悪く扱うときに、それに乗っかってしまったり・・・ということはあると思う。

ただ、普段はあまりこういう話題を深く考える機会はない。

こういうテーマが選ばれる事自体が「この場ならでは」という気がする。

この1週間のワールドワークの、最初の頃から、同性愛に関する話題はテーマとしてあがりながら、選ばれなかった。

確か、この前の機会(前々日?)では、惜しい所で選ばれなかった。

したがって、この日は、満を持して選ばれたという感じだった。

日本では、このテーマが選ばれる事に遭遇した事はないなぁ。
最初からそういうテーマで集まる催しだと、自分から行こうという気にはならないかもしれない。かと言って、日本で、最初からそういうテーマで集まる催しでないのに、結果的に同性愛がテーマになる・・・ということは、果たしてあるだろうか?

シドニーがサンフランシスコについて世界第2位のゲイ・コミュニティの街ということが、このテーマを呼び込んだ・・・という面もあるかもしれない。

そういえば、サンフランシスコでボアールの「被抑圧者の演劇」のワークを受けにいったときも、ゲイ/レズビアンの参加者が多かったね。少数者にやさしいイベントは、性的少数者も参加しやすいのだろう。結局、「普通のショッピングセンターの婦人服売り場で男性がブラジャーを試着しようとすると何が起こるのか」・・・という「見えない演劇」をやったりしたのですが・・・。

ちょっと脱線しましたが、街自体がゲイを受け入れる空気にあり、ワールドワークというイベント自体が、ゲイを受け入れる空気にある・・・ということで、僕もその場に居合わせさせていただくことが出来た・・・という気がするのだ。

・・・何となくゲイという言葉を使ってきたが、英語ではレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字をとって"LGTB"と呼ぶそうだ。

GLTBという呼び方もあるらしい。まぁ、僕的にはどっちゃでもいい。

検索していたらこんな記事を発見。アメリカでは、消費者グループとして、GLBTが、マーケティングの対象として注目されているんだそうです。
「子供がいないことが多いので、可処分所得も多い」・・・なんて、なるほどねぇ。

さて、ワークの中身自体は、もはやほとんど記憶がないっす。

ノートを頼りに、印象に残った事などを少しだけ。

最もホットスポット(場の空気が緊迫したり、苦笑したり、大きく変わる瞬間)だった1つは、あるゲイの男性が「(周囲の『ヘテロ[異性愛者]』を)殺してやろうか、と思いながら日々生きている」と発言し、彼の友人の「ヘテロ」の男性が、「友達なのに、ひどいじゃないか」と反応した瞬間だった。

もっとも、そのヘテロの男性が、そのちょっと前に「自分のパートナーへの愛をおおっぴらに表現できないのは、抑圧されているように感じる」という発言をしていたので、ホントは「異性のカップルでも、同姓のカップルでも大っぴらに表現できないことがあるのは同じ」という趣旨の発言だったようなのだが、僕はその人がゲイだと早合点してしまい、その誤解を持ったままホットスポットに遭遇しても、なかなか何が起こっているのを理解できず、混乱した。

明らかにゲイだな、という人もいれば、そうでない人もいるので、何かと難しいときもある。

よくわからない言葉も多く「ながめている」という感じの時間帯は多かった。

日本で僕がいる地点からだと、自分から望んでそういう情報に首をつっこまない限りは、触れないような場だ。ながめられただけでも良かったような気がする。

そのように、触れないようになっている事自体が、日本にある「何か」なんだろうけど。
[PR]
by matsuzoh2002 | 2006-07-29 23:28 | ワールドワーク@シドニー'06
ワールドワーク@シドニー6日目。5月2日(火)

この日は午前中のレクチャーで、オーストラリアの一面を表す言葉として「Tall Poppy Syndrom」が紹介された。

Poppyはケシのことで、日本では栽培するとヤバいわけですが、それは置いといて、成功したり、有名になったりした人を、引きずり下ろそうとする傾向の事だそうだ。

日本では「出る杭は打たれる」というのが、まんま当てはまる。

もちろんこれは、オーストラリアや日本にだけ当てはまる傾向として紹介されたのではなく、多かれ少なかれ、どんな社会・文化にも当てはまるという紹介のされ方だった。

(もう3ヶ月前の事なので、記憶よりも、主にノートと資料を基に書いています)

他人よりも何かをよく知っていたとして、その知識をうまく活用しないと、知識のない人を傷つけ、嫉妬や復讐心から「高いケシ」だと見られて「切られ」かねない。

そんな風に、「他人を切る」人も、自分が切られたことから、そういう復讐心が生まれたのかもしれない。

やがては、「人より高い所にいてはダメなんだ」と自らを抑圧しながら生きていくことになりかねない。そういう面は、誰しもありうるわねぇ~。

「他人を切る」ロール 「切られる」ロール 「切られないように、自分で自分を切る」ロール・・・自分の内側と外側でいろいろな事が起こる・・・

そういうのは日本だけの事ではない・・・というのがオーストラリアで再確認できたのでした。

確かにオーストラリアは、アメリカの自己主張の強い社会とはどこか違う印象。

成功を求めて移民が集まったアメリカと、もともと流刑された人たちから始まったオーストラリアの違いが、こういうところに現れているという話も、資料に紹介されている。

軽微な罪で島流しと言う抑圧にあい、抑圧された人々が、抑圧者に転じて、高いケシを切りあう・・・。
それが平等主義的な社会を生む基盤になっているという説もあり、必ずしも悪いとは言えない・・・という説も紹介されている。それもそうかも知れんが・・・。

けれども、切りあうよりも、「高さ」を生かして開花させていく世の中の方がやっぱりいいと思うよねぇ~
[PR]
by matsuzoh2002 | 2006-07-29 15:40 | ワールドワーク@シドニー'06
この映画を見ようと思ったのは、シドニーでのワールドワークで、「イギリスと植民地主義」がグループ全体の中でのサブグループのテーマとなったのが理由だ。

しばらく前に、そのワークについての記事を書きました。

そんな訳で、何かイギリスの植民地主義を描いたいい映画はないかな・・・とネットで探してみたら行き当たったのが、この映画。

見たのは1ヶ月くらい前なので、だいぶ忘れてしまった。

「イギリス」のワークの最後は、インドの方の発言で幕を閉じた。インドという、強烈で独自な個性を持つ国を、植民地化する中で何が起こっていたのか、垣間見てみたかった。

「ガンジー」もいいなと思い、見ていないし、見たかったんだけど、たまたま行きつけのレンタル屋にはガンジーはなかったのだ。

そしてこちらはVHSで置いてあった、巨匠、デビッド・リーン監督の遺作である「インドへの道」を見ました。

見てないけど有名な「アラビアのロレンス」とか「戦場にかける橋」の監督さんなのですね。

ネットでの感想をチラチラ見てると、他の作品に比べると見劣りする・・・みたいなコメントも多いのですが、僕は満足しましたよ、この映画。

高校で地理を選択したせいで、世界史を履修できなかった僕は、インドの歴史にも疎かった。

「東インド会社=1600年」みたいな中途半端な知識しかないせいで、インドは300年以上イギリうの植民地にされていたような気がしていたのだが、正式に植民地化されたのは19世紀の後半なのですね。
徐々に支配は進行していたとは言え。

映画をきっかけにインドの歴史を知る事ができた。ありがたい。

300年も植民地化されたら、インドの人もすっかり植民地である事に適応してしまうのでは・・・そんな予断が僕にはあった。

この映画の主人公も、そんな卑屈なまでにイギリス人に過剰にサービスするインド人男性だ。

映画の舞台は1920年代らしいので、何世代にも渡る植民地化のせいで、こんなに過剰なまでに適応してしまったのか?と思ってみていたんだけど、それは勘違いだったんだね。

それにしても見栄っ張りなのか、これでもかと、イギリス人に対してサービスする。

サービスする相手は、傲慢なイギリス人が多い中、珍しく、インドに理解を示す友好的なイギリス人たちなので、そんなに過剰にサービスしなくても・・・と傍目には思うのだが・・・。

そんな過剰なまでのサービスが裏目に出て、まさかのトラブルに巻き込まれる主人公。

主人公に対しては好意的だったはずのイギリス人女性が、特殊な環境で訳のわからないうちに取った行動が、周りのイギリス人の偏見によって、「主人公のせい」にされてしまう。

ここにはジェンダー(男女の社会的性差)の問題もからむ。
現代の男性でも、「痴漢の冤罪」のような事例に巻き込まれて、ひどい目にあう事はありうる。

ただ、この映画のストーリーの場合、そこへイギリス人のインド人蔑視がからむ。
インド人の主人公にはまともな弁明の機会も与えられないまま、当事者のイギリス人女性が、周りのイギリス人の「インド人にレイプされそうになったに決まっている」という予断と偏見によって流されてしまい、主人公は圧倒的に不利な情勢に追い込まれてしまう。

この辺の追い込まれ方が、植民/被植民の不均衡な状況をよく現していると思った。

一方主人公はインド人の反英運動のシンボルのようにもなり、植民地である事に適応する面もありながら、反発が強いのも描かれている。

最終的に、被害者とされたイギリス人女性の証言で、主人公は無罪になる。
錯乱して弱っている間に、周りのイギリス人がインド人主人公を犯人だと決め付けるのに流されていた女性だが、最後には流れを止めて、主人公との間に何があったか思えていないことを証言した。

最初からそう言ってくれれば、この騒動は何もなかったわけだが、当の本人が実はよく覚えていないことが、周りの偏見に押し流されてしまうのが恐ろしい所。

中立的なポジションから、両者に理解を示そうとしたイギリス人男性が、イギリス人社会から居場所を失い、かと言ってインド人主人公からも理解をされなかったところが、なんともせつなかった。
対立の溝が深まるほどに、中立な立場にいる存在は大事なはずなのだが、理解されずに、立場を失いかねない難しい立場だ。

植民地支配なんて、えらい無茶しはりましたなぁ・・・
[PR]
by matsuzoh2002 | 2006-07-29 12:27 | 見た映画
先週のPETAのワークショップは「持続可能な開発」がテーマでしたが、参加者にとって身近な事から、そのテーマに入っていけるようにと、1日目に「個人」と向き合いながら、それを参加者同士で共有し、2日目午前に「地域」について共有し、午後に、個人個人が社会的に「問題」だと思っていることを共有し、その原因や、このままいくとどんな影響が出てしまうのか、それを避けるために個人として具体的に何が出来るのか・・・ということを、探っていきました。

個人 → 地域 → 社会的な問題

問題の原因→現状→持続不能な結果→それを避けるために出来る事

・・・というような流れが組まれていたわけです。

ところが、「地域」が必ずしも流れの中にうまい事ハマらなかった。

打ち合わせの段階で、PETAのファシリテーターと相談の上、大阪市内在住者は少ないだろうし、兵庫県出身者も多いということで、「関西」というキーワードでを選んだ。
そして、関西に暮らす/生きる人々について、替え歌や寸劇を創った結果、「大阪のおばちゃん」をシンボルとすると、昔ながらの地域的なつながり・・・が目立って描かれた。

発表が一通り終わってからの話し合いで、「こんな風に、世話を焼いて地域のつなぎ役になるようなおばちゃんの存在は、他の地域にはないのでは?」という声が出た。
その一方で「私の身の周りでは、そんな人とは出会わない。『関西』という言葉に引きずられて、そういうイメージが出てきたが、私が実際に暮らしている『地域』のイメージとは違う」というような意見も出た。

ワークショップの流れとしては、自分が実際に暮らしている地域について話し合うようなアクティビティになった方がスムーズに次につながったような気がする。

PETAはいろんな地域の人々とワークをしている。その経験から、「地域」をテーマにすれば、自然とその地域の問題が浮かび上がってくる・・・ということを期待して、今回のワークを組み立てたんだと思う。

けれども「関西」は大きすぎた。関西の中に含まれる、それぞれの状況よりも、主に東京との対比などから描かれるイメージが前面に出てしまい、必ずしもここの実感とは合わない(合う人もいれば、合わない人もいる)ことになってしまった。

それはもちろん無駄ではなかったし、そこからいろいろ見えてくることもあったのだが、最終的にもう少し時間があれば・・・という終わり方だったので、午前中はもう少し有効活用できたのでは?という思いも残るのだ。

フィリピンと日本では「地域」の持つ意味合いが違う・・・という、何となくわかっていたことを、あらためて実感した。
あらかじめ判っていれば、打ち合わせの段階でそういう話も出来ただろうな。

午後から、一人ひとりが「問題だなぁ」と思っていることを出し合ったが、ものの見事にバラバラだった。
午前中のアクティビティに直接的に影響されているような問題もほとんど出なかった。
グループに分かれて、「家族」の問題や「地域での子どもの安全」の話も出てたので、午前中の話も無縁ではないのだが・・・。

午前中の話から見えてきたことを、ふくらましていくという流れも、いつかやってみても面白いだろうなぁ。
大阪のおばちゃんに象徴される、「地域のつながり」は、まだまだ健在なようで、消えつつある。大阪以外から出てきた僕のような人間にとっては「あるところにはあるんだろうけど、そんなにあるかぁ?」というのが実感。
それとは関係ないところで生きている人も、関西にはいっぱいいるはず。

地域をつなぐ存在として、演劇のワークショップなどは有効なはず。
それは新しい「祭り」のようなものだと思う。

数年前、東京の「演劇ワークショップアラカルト」で、南村千里さんに「コミュニティ・ダンス」の事を教わった。それは・・・
一般的に、「コミュニティ」というと「地域」または「地域共同体」という意味にとらえられるが、交通や通信手段の目覚しい発達により都市化、大衆社会化、グローバル化が進む現代社会において、その意味は更に広がっている。いまでは障害のあるなしに関わらず、また年齢、性別/ジェンダー、国籍などを超えて、どんな人でもアートを楽しむことができるという考えを表現するのに「コミュニティ」という言葉が使われている。ひとつのコミュニティに集うことで、ダンスを通して自由な表現や共同創作をおこない、コミュニケーションをすることで互いのつながりを深め、個人における発達や社会的なつながりをもたらしていく。


・・・というように「つながり」をもたらす事を目指した、「どんな人でも楽しむことができる」ダンスなのだ。

僕が目指す演劇も方向性は重なる。
新たなつながりをもたらし、コミュニティを創る演劇。

コミュニティを創るだけでなく、それをどんなものにしていきたいのか、こうしていきたい!というイメージがあるなら、それを実現するためにはどうしたらいいのか、演劇を通して、わいわいと試行錯誤できる。
新しい祭り。

そんな空間を広げていきたい。
[PR]
by matsuzoh2002 | 2006-07-28 13:21 | ファシリテーターとして
ボアール師匠の自伝を読み返して、気づいた事、もう1つ。

自分から何かをするよりは、人に声をかけられて、何か新しい事が生まれてるのが多い。

アメリカ留学から帰ってきて、自分では「演出家」として自覚がないときに、「アメリカでも演出の経験があるんだって?じゃぁ、うちで演出やってよ」と声をかけられ、演出家に。
そのまま10数年、そこで演出家。

フランスに行くのも、そこで「被抑圧者の演劇センター」を創るのも、声をかけられたから。
フランス行く前のポルトガルでは、「被抑圧者の演劇」に関わる活動がほとんど出来てなかったって言うんだもんな。
フランスで活動は大発展。

ブラジルへ戻るのも声をかけられたから。
市会議員に立候補するのも声をかけられたから。

もちろん、ボアール自らの力で切り開いている部分もあるし、声をかけられたとき、それに答えるだけの力を持っているからこそ、それに乗っかれるんだとは思うけど、自分1人の力ではいけないところへ、ボアールは運ばれている。

他力本願もまたよし。
それに応えられるだけの自力を蓄えておきたい。
[PR]
by matsuzoh2002 | 2006-07-28 08:50 | ファシリテーターとして
フォーラムシアタークラブ@宝塚のお知らせ

◆日時:8月4日(金)午前10時~午後5時

◆会場:宝塚市立男女共同参画センター(宝塚阪急ソリオ2・4階)

※この日は終了後に飲み会を予定しています。参加希望の方は連絡ください。お願いします。

★内容
◆午前中=10時~12時(参加費500円)は、松田による、お話です。

今回のテーマは: 「幸せになる勇気を持とう!」
~世界を変えるための演劇活用法を編み出したブラジル人、アウグスト・ボアールの物語~

・・・です。

松田が行うワークショップの大きな「基盤」になっている、アウグスト・ボアールの話をしたいと思います。

※「幸せになる勇気を持とう!」は、ボアールがリオデジャネイロの市会議員をしていたときの、スローガンです。

ボアールは、 人々が力を発揮して、自分のコミュニティを、社会を、そして世界を変えていくために、演劇を活用した第1人者です。
貧富の差が激しいブラジルで、ボアールが力を引き出そうとしたのは、社会的に抑圧されている貧しい人々でした。
彼の実践は「被抑圧者の演劇」と呼ばれ、さまざまな手法が実践の中から生まれてきました。

松田のワークショップは、ボアールの手法を参考にしながら生まれている部分が多いですが、その手法が生まれてきたエピソードや、ブラジルでの活動→ヨーロッパへ亡命→ブラジルへ戻って→市会議員になる・・・など、劇的なボアールの人生を中心に、話してみたいと思います。

◆午後=1時~5時(参加費700円)は、松田によるワークショップです。

ボアールの手法などを使いながら、その場で参加者の方々から出てくる、話題・テーマを、身体で表現しながら、みんなで語り合ってみよう・・・という時間です。

「最近こんな事があって困ってる・・・」というような話題が出る事が、最近は多いですが、PETAのワークショップを久々に受けてみて、紙とクレヨン/ペンなどで、視覚的に表現するのも面白いよなぁ・・・とも思います。準備が必要ではありますが、こんなことがしたい・・・というリクエストがあれば、事前にお知らせください。
臨機応変に進める場です。

参加を希望される方は、当日直接お越しいただいても大丈夫ですが、事前に連絡いただければ助かります。

matsudah@のあとにosaka.email.ne.jp までメールください
[PR]
by matsuzoh2002 | 2006-07-28 08:40 | ワークショップ開催のお知らせ