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身体で思いを形にするワークショップblog

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「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

<   2006年 05月 ( 28 )   > この月の画像一覧

昨日は、昨年に引き続き「あべの子育てボランティア養成講座」の第2回目に、参加者の交流を深めるためのワークショップをさせていただきました。

去年は2時間の講座のうち、前半の45分だけ僕の担当、後半は別のプログラム・・・という構成でしたが、今年はオリエンテーションの時間を除く1時間45分をフルにいただきました。

「去年、参加者同士の関係が深まってとても効果的だったので、今年は去年よりもじっくりとやっていただくことになりました」・・・というようなことを言っていただき、うれしい限りです。

1時間45分のワークを通して、若干緊張感のあった会場の空気は、和やかなものになりました。
やっぱり身体を動かすワークの力はすごいなぁ!

去年のブログに、「こんな風に連続講座の序盤で、参加者同士の交流を深めるように活用してもらえるように、HPなどでも打ち出していこう!」と書いておきながら、何もしてない僕・・・。

今年はやるべし!HP更新!



去年まで住んでいた阿倍野には、久々にお会いする方も多くて、懐かしかったので、講座後の反省会や、次回のための打ち合わせにも、そのままお邪魔しました。

この、「あべの子育てボランティア養成講座」は、市民グループと行政機関との連携のもと運営されていて、講座を通して養成されたボランティアが、自発的にグループを結成するなど、大きな成果を上げている。

力のある市民の方々が、自主的・自発的な活動で実績を上げながら、行政を巻き込んで発展させてきた、素晴らしい実践だ。

打ち合わせも、ちゃきちゃき進む。

次回の講座では、スタッフの中からファシリテーター(話し合いの進行役)を出して、講座を進行していくことにチャレンジしていくという。
さまざまな思いで参加している参加者に配慮しながら進行させていくのは大変だが、この打ち合わせの時のチームワークの良さを見るにつけ、多少の困難は乗り越えていけるだろうな・・・と思えた。

いやぁ、僕もこういう、気持ちのいいチームとともに仕事がしていけたらいいなぁ・・・そう思った。

1人も好きだが、やはりそういう、チームに憧れている事に気づく今日この頃だ。
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by matsuzoh2002 | 2006-05-31 22:40 | ファシリテーターとして
今日は「美術館の遠足」という展覧会を見に、西宮市大谷記念美術館へ行ってきました。

2ヶ月ほど前に雑誌で紹介されていた昨年の企画の記事が、とても好奇心を惹かれる内容で、10年間続いた、1年のうち1日だけの企画が今年が最後ということで、これは行かねば!と思ったのでした。

で、行ってみて、正直、記事のせいで期待値を高めすぎた部分があり、もっと遊び心満載のわくわくする内容を思い描いていたのですが、いたってシンプルで若干拍子抜けした部分もありました。

10年目の最後は、人が押し寄せる事を見越して、あえてシンプルにまとめてしました・・・ということなのかな・・・などと思いつつ。

去年までにも来てみたかったですね。
リピーターも多いみたいですし。

それでも、庭園なども素晴らしく、場の雰囲気は大いに楽しみました。

天気がよかったのが、よかったですね。ほっこり過ごせました。
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by matsuzoh2002 | 2006-05-28 01:09 | つぶやき
4日目の夜。

言語の問題をどうするか委員会のみなさんが議論をしているのを横目に見ながら、僕は6日目の夜にやると決めた「被抑圧者の演劇入門ワークショップ」のポスターの完成のために、部屋に戻り、1人、作業を進めた。

2日目くらいから、試行錯誤をしていたのだが、なかなか進まず、3日目に「最終的には英語がネイティブな人に見てもらおう!」と決めてから、気が楽になった。

とは言え、とりあえず叩き台は自分で創らねばならぬ。

日本では「被抑圧者の演劇」という世界的に通っている名前では、あまりに硬いイメージなので、「からだでしゃべり場」という名前をひねり出して使っているが、ワールドワークの場では、レクチャーなどでも「抑圧(oppression)」という言葉は頻繁に使われているので、きっと興味を引くはずだ。

ただ「具体的に何をするか」ということを、ポスターという限られた大きさの中で、表現するのは難しい。
何となく出来たが、自信はない。

4日にもなると、親しくなって、信頼の置ける、ネイティブのスピーカーの顔も何人か浮かぶ。

適当にうろうろしていれば、そのうち誰かと出くわすだろう・・・。

・・・そう思いながら、うろうろしていると、シドニー到着後、会場に来る前のバス停で出会ったスペイン人の彼、「U」が、女性と一緒にいた。

書き忘れていたけれど、今回から、英語圏でも、ファーストネーム「Hiroki」ではなくて、「まっちゃん」でいくことにした。
ただ、「Mat-chan」は覚えにくいらしいので、略して「Mat」と名乗っていた。

「U」が僕に気づいて、声を掛けてきた。

「おーい、Mat、何を探してるんだ?」

え、僕が何かを探してるって、なんでわかったんだ!?
と、かなりビックリした。

でも、Uは英語のネイティブじゃないしなぁ・・・と思いつつ・・・

「実は、英語のネイティブ・スピーカーを探しているんだ。」と僕。

「なら、彼女にやってもらったらいいよ。スコットランド人だもん」

彼女を見かけたことはあったけれど、話したことはなかった。でもUのおかげで、会話を中断してまで、僕の英語のチェックに応じてくれた。

ネイティブなら、アメリカ人、カナダ人、オーストラリア人、ニュージーランド人、イギリス人・・・と思い浮かんではいたけど、イギリス人の中でもスコットランド人は盲点でした。
そもそも「イギリス人」って無意識に「イングランドの人」みたいに思ってるところがあったよなぁ・・・。
世の中は多様だ。
僕も偏見だらけだ。

そして英語をチェックしてもらった。

スコットランド人の彼女以上にスペイン人のUの方が、いい添削をしてくれるような場面もあってなかなか面白かった。

ありがたいお力添えのおかげで、完成!

感謝の気持ちを精一杯述べて、あとはカラフルなペンでポスターを完成させるべく、僕はまた作業へ戻った。



結局、スコットランド人の彼女とは、これ以来話す機会もなかった。
250人もいると、こういうことはざらでしたね。
会う人とは何度でも会うのに、大きなご縁があっても、一度きりだったりもする。

それにしても、彼女と会話していたはずのUに、「僕が何かを探している」というのが、一発でわかったのは不思議だった。
扉を抜けたら、Uがいた・・・という感じだったので、そんな何秒も僕の事を見ていなかったともうのだが・・・。

そんなことを、帰国してからふと思い出していたら、そういえば、Uがプロセスワークと出会ったのは、スコットランド滞在中だと言っていたのを思い出した。

その後、ワールドワークの参加者の名簿を眺めているときに、ふと気になって、スコットランド人の彼女の名前を探してみたら、住所がスピリチュアルな土地として有名な、フィンドホーン

そうか、Uはフィンドホーンでプロセスワークと出会ったのかも知れないな。
多分そうだろうなと思う。

普段、Uと話してて、そんなにスピリチュアルな感じはしなかった。
けれど、この日に限って、直感が妙に鋭いなと思ったのは、このときたまたま、このフィンドホーン在住の彼女と一緒にいたせいだ・・・と思えたら、何だか腑に落ちる。

今のところ、スピリチュアルは「信じる」というよりも、「面白がる」というスタンスの僕なので、フィンドホーンのような、あまりにスピリチュア~~~~~~ルな土地とかには、ちょっと距離を感じてしまうのですが、フィンドホーン、かなり興味が出てきましたよ。
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by matsuzoh2002 | 2006-05-25 01:35 | ワールドワーク@シドニー'06
4日目の午前のワーク終了後、いろいろな人に話しかけられ、「さっきの発言をしたあなたは、私の先生だ。」みたいに言う人までいて、うれしいやら、いやぁそれほどでもないっすよと思うやら、とにかく有り難い事でした。

で、普通に昼食を取ろうとしたら、「え、もうこんな時間!」

今日の午後はフリータイム!ということで、オプショナルの「アボリジニ・ツアー」参加者は1時15分集合なのでした。

気づいた時には、もう集合時間で、1時30分の出発までには間はあるものの、15分間、アボリジニの方がお話をするのがきけなくなってしまう・・・というわけで、この日の昼食は運よく、長めのパン使用のサンドイッチだったので、あわててナプキンに包み、フルーツなどと一緒に、持っていった。

いろいろな人に話しかけられたおかげで、思ったより時間が経っていた。・・・って言うか、時間の感覚を忘れていた。危うくのうのうと昼飯を食べて、バスを逃すところだった。
危ない危ない。

このツアー事前に申込が必要だという事を前日の夕方まで知らなくて、前日の夕方、たまたまいつも座る席の近所で、「もうキャンセル待ちがどうこう」という話が聞こえて、あわせてキャンセル待ちリストに入れてもらって、今朝行ける事になったものだ。

事前に申し込みなしでも行けると思ってて、行けなかった人もいっぱいいる。
飯食ってて、時間忘れてて、逃したら、あまりに間抜け。

バスに乗るまでの説明、もう始まってたので、フルーツを食べながら聞く。

狩猟につかったものなどだろうか、木製の道具を見せながら、説明してくれている。

・・・が、アボリジニの方の英語はなまりがきつくて、分からないのだ(゜o゜)

食べ物で手がふさがってて、写真も撮り損ねる(-_-;)

食べ物持ってることまるバレでバスに乗り込んだら、運転手さんが「バスの中では飲食禁止だよ」・・・とのこと(~o~)
このサンドイッチじゃ、中身がこぼれるのは必至だし(つまり後々バレるし)、禁止と聞いてしまったからには、食べるのはやめておこう。

なかなか思うようにはいかないけど、バスでお出かけ、遠足気分だ。

で、「アボリジニ・ツアー」と聞いて、てっきり、アボリジニの伝統的な歌や踊りを楽しんだり・・・というものを想像していたのですが・・・

・・・歌や踊りは全くなくて、「遺跡めぐり」のようなものでした。

遺跡といっても、建造物のようなものでもない。(おそらく、何百年とか残っているような建造物を立てる文化は、自然との調和を重んじるアボリジニには、ないと思います)

地面の岩に、動物や人間の形を彫って、そこで儀式をした跡が残っているのです。a0035574_23513231.jpg

結構山の方に上がって来たと思ったのに、クジラの形に彫ってあるものもある。

この辺りは海から急激に土地が高くなっていて、海岸線は「リアス式」になっている所のようです。遠めに、湖かと見間違えそうな海が見えました。

写真では「跡」をうまく撮れませんでしたが、かなり硬い岩に、どうやって跡を残すほど彫ったかは、正確にはわからないそうです。

一生懸命説明していただいているのですが、残念ながらよくわからないので、僕はこの空間を体感したる、自然観察したりすることに重点を置くことにしました。

岩の上に寝てみましたが、本当に硬いです。

どうやって彫ったんだろうね・・・と思います。

辺りに生えている草は、日本に生えている似たようなものより、葉っぱが分厚かったり、茎が太かったりします・・・と、僕よりはるかに自然に詳しい人が教えてくれました。
多分、土地が乾いているから、少ない水分を活かす構造になっているんだろうな・・・と言われ、納得!
・・・英語をあきらめて、別行動をしてる人が他にもいてよかった(^^)。ありがとうね!

別行動ならではの発見もありました。

アリが面白かったですね。

頭と胴は黒いのに、尻だけ金色のアリがいました。

胴だけ、バイオレットのアリも。

全体的に日本よりデカイ上に、この一部色違いがなかなか興味深かったです。

あと、小ぶりの蜂の巣を拾ったり。
蜂の巣の感触がとっても「クリスピー」でした。
最初なんだかわからなくて、レンジャーみたいな人に聞いたら"wasp"だと言われ、辞書で調べたら「スズメバチ」って書いてあった。それにしては、やけに小さかったのですが・・・

蜂の巣も写真に撮り損ねた。持って帰ってみんなに見せてやろうと思ったのに、バスの中に落としたっぽい orz

それから、メンバーの中に、約2名「トラッカー」という人がいまして・・・
地面に残された動物の(時には人の)足あとを見て、どんな種類の動物でどちら方面に、行ったというのを見分けていくのが「トラッカー」だそうで・・・
何かの足あとを発見して、トラッカー魂に火がついた2人の「これはどっち向きだろう?」とかいう
会話が何だか面白かったです。

そんなこんなで、何となく自然に触れて、バスでの帰り道、また虹が見えました。
僕の座ってる事からは見えなかったんですが、ダブル・レインボーが見えたみたいですね。

後で地図で確認して、シドニーよりだいぶ北にある、(そもそも会場がシドニーより北だが、そのさらに北)Kuringgai chase国立公園に行っていたことがわかりました。

Kuringgaiというのが、このあたりにいたアボリジニの部族の名前だそうで。

連日のワークの合間に、太陽の下で、いい体験が出来ました。
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by matsuzoh2002 | 2006-05-24 00:22 | ワールドワーク@シドニー'06
4日目朝の大グループの続きです。

僕の手を離れて、「言語」をテーマに話は進んでいるようだ。

ふと気がつくと、前の記事でも触れた、僕が何だかわからないままただ眺めていたプロセスの中で、身体(ジェスチャー)で怒りを表現していた女性が、僕のすぐ隣に来ていた。

最初に彼女がいた位置は、僕の居る所からはだいぶ遠かった。
わざわざ来てくれたんだ。

彼女はからだで語りかけてくれていた。
右手の小指を僕の前に差し出していた。
それは、"Shall we dance?"というように受け取れた。

僕がたびたび、この会場の片隅で踊っているのを見てたのかな?

僕も右手の小指を出し、小指と小指を合わせたまま、ささやかなダンスが始まった。

周囲では、「言語」をテーマに話は進んでいた。

踊る僕たちに注目が集まっている様子はない。
議論を邪魔しているとも思えない。

小指に飽きて、薬指を合わせて踊る。
中指、人差し指・・・と移行し、指をあわせるのは終了。

手と手を、つかず離れずのところに保ちながら、踊り続ける。
触れそうで触れない手と手の間に、見えない何かがあるような、そんな不思議な感覚が生じてくる。

見えない「何か」をボールのように持つ動作をすると、彼女も一緒になって「何か」を持つ。
2人でボールのような「何か」を眺める。

こうなってくると遊び心が出てきて、「何か」をいったん自分の両手でつかんでから、相手に渡してみる。
相手も「何か」を渡し返してくる。僕は「何か」がもの凄く「重い」かのように受け取る演技をする。

・・・こういうのは演劇系のワークショップではよくやったりするんですが、何の打ち合わせもなく、何となく2人の間で即興的に出来てしまってるのが面白いですね。

「何か」をボールではない別のもにして、しばらく渡しあう。
伝わってるかどうかわからないけど、活きのいい魚のつもりで渡したり、ジャグリングしながら渡したり・・・。

そして彼女は、「何か」をパイのように僕の顔にぶつけてきた!

僕はどう返そう?と思っていると、彼女は、自分の顔にも「何か」をぶつけた!

何かが完了したような気がして、2人はハグして、終了!

・・・その間にも、周囲では、「言語」に関して議論百出。

「だいたい、ワールドワークはもう10回目だというのに、いまだにこんな風に言語の問題が議論になるって言うのはどういうことなんだ?」
「同時通訳システムとか、導入できないのか?」
「そんなの導入したら、参加費は今のままでは済まないけど、それでもいいの?」
「それは困る」

・・・そんな議論が耳には入ってきた。

しかし、僕は束の間、言葉に頼らないコミュニケーションを楽しんだことで十分満ち足りていた。

今思えば、そんな風に、言葉に頼らないコミュニケーションが今、ここで、楽しめたことを伝えてもよかったかもしれない。

けれども、その場ではそんなこと思いつかなくて、ボーっと、議論されているのを眺めていた。

全体のプロセスは終了した。

どういう幕引きがされたのか、さっぱり覚えがないけど、終了した。

僕にはいろいろと声がかけられた。

とてもアクティブで、このワールドワークを通して1番目立っていた1人であるアボリジニの男性が、「日本語はわからないけど、君の言ってたことは全部わかったぞ!」と言ってくれた。

こういうのは、なんかうれしいね。

そして、別の女性が「今のプロセスの成果を受けて、ワールドワークで言語、特に英語が母語でない人に対してどう配慮していくのかを議論していく有志の委員会を創ることにしたんだけど、あなたもどうかしら?」・・・というような話をしてくれた。

え、そんな話になってたのか!

話は僕の手を離れたところで、進化して、そんな委員会ができるとは!
ビックリ!

さて、委員会の言いだしっぺではないとは言え、話の発端となった僕は、「有志」になる気があるのだろうか?

しばらく、自分に問いかけてみる・・・

・・・ない!

言語についてどうするか委員会は、結局やっぱり言語で、英語で、行なわれてしまうのだろう。

それは、僕にとっては非常に疲れる。

その疲れをおしてまで、委員会に出る気にはなれなかった。

6日目の夜には、自分のワークショップ(「被抑圧者の演劇」入門)をするのだし、そのための宣伝用ポスター作りを今晩はするのだ。
そちら優先だ。

委員会へのお誘いは丁重にお断りした。



委員会に集まった有志の皆さんは、その日の晩、夕食を食べながら議論を重ねていた。

再度誘われた僕は、いったんその場に加わりかかったものの、やっぱり乗り気でなかったので、その場を離れた。

議論の成果は、書類にまとめられて、掲示されるとともに、翌日以降のワークの場にも反映されて、英語がわからない人には、希望があれば、英語がわかる人がボランティアとして隣についたりするなど、配慮がなされるようになった。
ピッタリ隣についてもらわなくとも、周りにいる英語がわかる人に聞いたりするのが、雰囲気的にやりやすくなった。

何の気なしに一石を投じたことが、波紋を広げ、しっかりと受け止められていくのは、なんとも不思議でもあり、うれしいことだった。

しかし、それでもやはり、今になって思えば、僕が本当に訴えたかったのは、「英語/非英語」の問題よりもむしろ、「言語/非言語」の問題だったんだと思う。

英語/非英語の問題は多くの人が思っていたことで、たまたま僕が火付け役にはなったものの、僕が取り上げなくとも、遅かれ早かれ、取り上げられた問題だと思う。

けれども、僕と1人の女性が、非言語のコミュニケーションを繰り広げたことは、2人にとってはとても有意義な時間だったのに、全体の流れからは、見事に無視された。

結局ワールドワークは言語中心に展開して、ときおり動作などの非言語がスポットを浴びることはあっても、基本的には排除されていると思う。

もちろん、「意味のある」コミュニケーションをして「合意」をしていくためには、言語は欠かせない。

けれども、コミュニケーションは必ずしも「合意」が取れている必要はないのではないか?

「非合意的」な、夢みたいな部分にもスポットを当てていくのがプロセスワークのはずなのに、ワールドワークがこんなに言語中心になってしまっているのはどういうことだろう?

僕がやってきた演劇系のワークショップと、プロセスワークを融合させるという方向性が、ますます必要なものに思えてきた。

今回のワールドワークでは、6日目の夜にようやく「被抑圧者の演劇入門」のワークショップをやることが出来たが、次回のワールドワークに参加するときは、2日目あたりに、「言葉を使わないコミュニケーションで遊ぼう!」的なワークショップが出来るといいな。

・・・というように次回のワールドワークの事にまで、思いを馳せたりしております。

これは、2年後のアメリカのどこかでのワールドワークも行くしかないね!
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by matsuzoh2002 | 2006-05-22 22:18 | ワールドワーク@シドニー'06
4日目、朝の大グループ・・・の続き。

休憩時間明け、会場に戻ったあたりの記憶があいまいだが、何だかよくわからないうちに、グループでのワークは始まっていた。

前の記事で書いた、「立ちはだかっていた男性」が、もう収まらないという感じで、発言を始めていた。

僕としては、出鼻をくじかれた感じ。

「言語」がテーマとばかり思っていたが、確かに他のいくつかのテーマも「言語」と一くくりになっていて、そこに、この男性がテーマとして提示していた「プロセスワーカーの反抗」というのも、どうやら入っていたようだ。

だからと言って、このワークが、この男性の発言から始まるのは、僕からすれば唐突だ。

男性は英語を話し、ファシリテーターやその他の人も、彼に英語で対応する。
何が起きているのかよくわからない。

『「言語」をテーマにするはずが、なんだよこれ?』
僕の心はざわつきだす。

『「言語」をテーマにしたい』といった人は、彼とは別の、非英語圏の人だ。
当然その人が始まりになると思っていたのに・・・。納得がいかない。

最初の彼の発言はいつしかケリがついたようで、話の流れは別な方にスライドしている。
僕の心はざわつくばかりで、英語は全然耳に入ってこない。
話の流れが変わったところで、流れを引き寄せるべく行動を起こしたかったが、うまいきっかけもないまま、流されてしまった。

何だかよくわからないやり取りが続く。
よくわからないけど、英語のやり取りであるのは間違いない。
「言語の問題はどこへいったのだ?」その思いだけが僕の中で強まっている。

やり取りの中心には1人の男性。

その男性に対してかどうかはよくわからないが、1人の女性が何かを言い、身体[ジェスチャー)で怒りを表現した。

けれども何が起こっているかはわからない。

昨日の「男性と女性」のプロセスの続きなのかもしれないが、僕は聞く態勢になっていない。
「言語の問題はどこへいったんだ?」この思いは強まるばかりだが、場全体はその男性を中心としたやり取りに耳を傾けている感じがして、その流れを断ち切ることの難しさを感じている。

「あぁ、こんなことなら初めのうちに言っておけばよかった」・・・そんな思いも浮かんでくる。
何か、流れを引き寄せるきっかけはないか?
このまま言えないと、前の記事で触れた「表向きはいい顔をして、後で不満を漏らす日本人客になってしまう」・・・そんな思いも湧いてきながら、ジリジリ時は流れていく。

ある非英語圏の人が、「うまく聞き取れなかったこともあるので、今までの発言をまとめてほしい」・・・という発言をしてくれた。

そう!聞こうと努力しても聞き取れないのだ。
「言語」もテーマのはずのこのプロセスで、いったいどうなってるんだ!
この発言は流れを引き寄せるきっかけとして、僕に力を与えてくれた。

その発言を受けて中心の男性が言ったことも、結局まとめなのか何なのかよくわからず、さらに別の人がまとめでもなんでもない発言をそこにかぶせていく。
結局何が何だかわからないままじゃんかよ!

僕は吠えた。
日本語で。
場の注目は集まった。

「何いってるのかわかんないよ。『言語』がテーマのはずだったのに、どこ言ったんだよ?結局全部英語じゃねぇかよ。」
たまたまホワイトボードの前に立っていたのでそこには「言語」って書いてある。そこを指差しながら言う。
ホワイトボードには「言語」の補足として「being silenced (黙らされて)out of existence(存在感がない)」・・・って書いてある。
そこを指差しながら「英語でやられると、英語がわからない人は、being silencedで、out of existenceなんだよ!」

ホワイトボード使ったから、それなりに伝わったかな?

ファシリテーターの2人がこちらに来る。

「誰か通訳!」という声も聞こえるが、自分なりに英語で、今のことをリピートしてみる。
「話の流れを止めたくない・・・という思いも一部にはあったのだけれど、それ以上に『言語』をテーマとして出したかった」と、付け加えながら・・・

しゃべると、一緒になって動作がついてくるのが僕だ。

ファシリテーターが、「今の気持ちを動作にしてみたらどうなるの?」と水を向けてくれた。

不思議なことに、さっき、聞いてもよくわからなかったやり取りの中で、女性が表現していた怒りと同じジェスチャーになった。

そのジェスチャーに注意を向けていくと、それは「聞きたい、わかりたい!でもそれ以上に、表現したい!存在感を示したい!」という言葉が、ジェスチャーに伴ってきた。

「その動作を完了させて」と言われ、大きく「うぉあ~」と叫びながら、腕を上げつつ、前に進む動作になった。

そこへ、ある日本の方がやってきて、「言いたいことはわかるけど、話しの途中で入ってきたやり方はどうかと思う」というようなことを言った。

日本語で言われたので、僕も「それは、僕にも流れを切りたくないという気持ちもあったし、それはわかるけど・・・」と日本語で答えていたのだが・・・

「また日本語で進めるのか?」というような発言が、遠くから入る。

確かにそれは僕も全く望んでいないところだ。
日本語で進めたいのではなく、英語だけで、英語が得意でない人への配慮が乏しいまま進んでいることを、もうちょっと何とかしてくれ・・・というのが僕の発言の本意だ。

そして、話の流れの焦点は完全に僕から離れて、どんどん進んでいった。
「言語」をテーマとして。

~この話、まだもう少し続く~
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by matsuzoh2002 | 2006-05-22 00:32 | ワールドワーク@シドニー'06
ワールドワーク4日目。4月30日(日)

昨日の夜、いっぱい踊ったり歌ったりして、身体を動かしたい欲求は満たされた気がして、朝のムーブメントの自主クラスはパスして、ゆっくり寝た。

朝の大グループ。

今日はレクチャーの始まる前から、参加者の1人が、会場の真ん中に立ちはだかっている。
何だかよくわからなかった。
その人は、「コミュニケーションスタイルの違い」について近くにいる人と話すというのが、確かこの前日にあり、その時、話した男性だ。

「基本的には、目を合わせて話す」オーストラリアのコミュニケーションスタイルと、「それは苦手。たまに目をあわすくらいでOK」の日本のスタイルの違いがお互いよくわかり、楽しい時間だった。

その彼が、今日は、どうしちゃったんだろう?
何か不満があるようだが・・・。

この日のレクチャーは「ランク」について。

(ランクとは、人と人の上下関係に関わることで、「社会的ランク」「心理的ランク」「スピリチュアルランク」などがある。
それぞれ、社会的な地位の高低による権力関係や、心理的な上下関係や、スピリチュアルな安定感のあるなし、に関わってくる)

これについても、近くにいる人と話す・・・というのがあり、僕は白人の女性と話をした。

英語で話さざるをえないが、英語が母語でなく、得意でもないので、ランクの低さを感じて辛い・・・という話をした。

その方はギリシャの女性で、英語が母語ではない方だった。ちょっと英語が母語の人かと先入観を持ってしまったのを、僕は恥じた。

日本人の僕を見て、その女性はこんな話をしてくれた。

親戚の人が経営するホテルに、日本人の顧客も結構来るが、よく表向きは何の不満もないような顔をしているのに、あとあと不満が伝わってくる・・・というような事が何回かあった。
今では、それを避けるために、先回りをして、最高級のサービスを用意するようにしている・・・という話だった。
(確か親戚の人がホテルを経営しているという話だったと思うが、本人もその仕事に関わってるのかもしれない。記憶があやふやだが)

・・・コミュニケーション・スタイルのギャップが、過剰に気を使わせる結果を生んでいる。
しかし、その場で伝えられたらいいが、なかなか伝えられない日本人のお客の気持ちもわからないでもないし、英語やその他の言語で伝えるわずらわしさから、自分もそんなことはやってしまいがち・・・。
とても複雑な思いにさせられた。

少しずつ、その複雑な思いを伝えようとしたら、時間が来て、伝えられないままだった。

・・・レクチャーが終わり、グループのワークのテーマを決めることに。

最初に立ちはだかっていた彼は「defiance of processworker」というテーマを上げた。
defianceが判らなかった。辞書で見たら「反抗;挑戦」
プロセスワーカーの反抗?挑戦?
・・・なんだかよくわからなかった。

誰かが「言語」をテーマに挙げた。
僕はそれを熱烈に支持。

雑多なテーマが上がった中で、それぞれ選んでほしいテーマで、声や音を出し、一番大きい音のテーマを選ぶという段取り。

「アメリカの外交政策」「ホモフォビア(同性愛に対する嫌悪)」と並んで「言語」の問題も残っ
た。
3つの決選投票で、最終的に残ったのは「言語」!

ここで休憩に入った。

言語がテーマなら、ひと暴れしてやる!・・・と、僕はやる気満々だった。

2日目の小グループでの言葉を使わないワークや、前日の夜の自分の歌が周りに広がっていった時の手応え。

さらには、去年ポートランドのプロセスワーク5週間コースを受けた時にも、グループワークで、「サボタージュ・テロリズム」がテーマになったときも、日本語を言いながら歩き回ったり、英語でも日本語でもないデタラメな言葉でしゃべりまくって、周りの注目を集めたこともあった。

あれは気持ちよかったし、あれをここでまたやっても面白そうだな・・・と、気持ちは盛り上がっていく。
いろいろな経験が僕を後押ししていた。

事前の心構えがあれば、感情の暴発ではなく、楽しい表現ができるはず。
楽しく暴れたいな・・・と思いつつ。

「ちょっと、ひと暴れするかもよ」・・・と人にも予告しつつ、会場へ舞い戻る。

そして・・・

(長くなりそうなので、いったん切ります)

~つづく~
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by matsuzoh2002 | 2006-05-21 00:59 | ワールドワーク@シドニー'06
ワールドワーク報告を離れて、映画です。

黒澤明です。

昭和27年の作品だということで、実に半世紀以上前です。

これを今見ようと思ったのは、公務員のお話だと言うことを知っていたから。

それも、事なかれ主義で仕事をしてきた人が、癌による死を目前に、ホントにやるべき仕事に目覚める・・・という話だとは聞いていた。
そのせいで、現職の公務員の間は、無意識のうちに避けていたのかもしれない。

しかし、今、何となく見るにはいいタイミングだと思った。

それにしても、シドニーのオペラハウスで見た、イギリスの劇団のお芝居(演出家がワールドワークに参加してた)が、「死と生」をテーマにしたものだった。(ローマ字では記事を書いたのですが・・・あらためて書く予定です)
そのうえ、昨日から読み始めたプロセスワークの英語の本も「死と生」をテーマにした、GaryReiss"Leap Into Living: Moving From Fear To Freedom" だし・・・

いずれも「死と生」について読もう!とか観よう!なんて思っていないのに、「死と生」がテーマになっているなんて、知らず知らずのうちに、僕にとってはホットなテーマなんだなぁ・・・。

そして「生きる」は、やたらとセリフが聞きとり難かったりして、前半はやや苦労したが、後半は多少の聞き取り難さなど、気にならないほどぐいぐい引き込まれ、最後には、ちょっと泣きそうになった。
やはり評判どおりの名作でした。

<以下、結構ネタバレ>

それにしても、癌で希望を失って、すぐにホントにやるべき仕事に目覚めるわけではなくて、底にたるまでのプロセスが、最初はまどろっこしく、でも最後がとても素晴らしかった。

最初はお金の使い道を知らない「市民課長」さんが、遊びに走るのだけど、結局遊びが性に合わない。
ここまではあんまり面白いと思わなかった。

そこでどうなるのかと思ったら、なるほど、そこで「この人」がはまるのか・・・という人物が新たな展開を開き、課長さんも楽しそう。
脚本がうまいと思いました・

その人物を演じるのは、魅力的な女優さんで、僕はこういう人に弱いです。・・・って54年前の女優さんなので、今はどうなのかな・・・と思ったらご存命のようですが、ネットでお写真は拾えませんでした。
どんな風に年を重ねられたのか、ちょっと興味ありですね。

この女性が、仕事の喜びを課長さんに教える・・・ことに、結果的にはなるのですが、課長さんが今の言葉で言えば、ストーカー気味に、この女性に付きまとい、この女性が、今の言葉で言えば、「この人マジキモい」という表情をするあたりのシーンがすごいと思った。
半世紀経っても色あせない、このシーンは鬼気迫るすごいものがある。

そして、「役所では、そんな風にやりがいを持って仕事をするのは無理だ・・・・・いやできるかもしれない」と、その場で変化を遂げる課長さん。

その場から課長さんが立ち去る時に、たまたま隣が誕生日パーティの会場で、同時に誕生日の主役が登場したことで、偶然歌われる「ハッピーバースデイ」。
死を意識して、今までの自分を捨てて、生まれ変わった課長さんに贈られる、誕生の歌・・・この演出もしびれました!

そして、久々に出勤して、仕事に燃え出す課長さん。

その後、仕事のシーンが続いていくのかと思いきや・・・

「それから5ヶ月」というナレーションとともに、お通夜のシーン。

・・・もちろん死ぬことはわかっていたけど、こういう展開にするとは。

そしてお通夜では役所の体質とともに、仕事に燃えてから死ぬまでの主人公の行動が明らかに。

♪命短し 恋せよ乙女

・・・と雪の公園のブランコで歌うシーンは、泣きそうになりました。

この歌のフレーズは、大正時代からあって、この映画を経て、今も時々使われる・・・息の長い言葉ですね。

しかしまぁ、役所在職中に見てしまっていたら、やはり、ため息ついて終わってたかもしれませんね。
課長にたどり着くまでが遠い道のりだもんな。それまでに出来ることは、やはり小さい。

上記「この人」同様、辞めてよかった・・・と思えるタイミングで見てよかった。

役所が働きやすい環境になるには、市長・市民がタッグを組んで、そういう環境を整備していかないと無理っす。

それは必要なことだけど、とりあえずは避けて通ることにしたので、死を意識して、死を「盟友」にしながら、生きていきたいと思います。

・・・ちょっと結論飛躍気味ですが、死を意識することで、生が凝縮したものになる・・・というのは最近よく考えてることです。
この映画もそれを補強してくれた感じです・
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by matsuzoh2002 | 2006-05-20 02:10 | 見た映画
3日目の夜。

夕食後の自由参加イベントとして、"Unintentional Music: Releasing Your Deepest Creativity"の著者、Lane Arye氏による"unintentioanal music"のワークショップが行なわれた。

音楽を使ったプロセスワークの実践についてのこの本は、音楽が専門でもない僕が、英語で読んでわかるかな・・・という心配をよそに、けっこう楽しく読めた記憶がある。
速攻、内容はほとんど忘れているけれど・・・(^^ゞ

Laneはサンフランシスコ・ベイエリア在住ということで、今後ポートランドを訪れる機会があっても、そうそう会える人ではないし、これはぜひ受けておきたいと思った。

音楽を使ったワークショップなら、英語がわからなくても十分楽しめるだろうと思ったし。

ワークショップ開始。

まずは、"unintentioanal music"=「意図していない音楽」とはどいうことか、実践例を交えたお話。

普通、音楽は、「うまく演奏しよう」と思って演奏する。
けれども、時として、うまく演奏することをはばむ「何か」が起こる時がある。
そんな、意図していないのに起こってしまう「何か」を、普通は排除して、なかったことにして、うまく演奏するように努める。

けれども、そんな、普通ならなくしてしまおうとする「何か」に、あえて目を向けて、小さな何かを、意識的に大きく増幅して表現させていき、表現しきって完了させていく。
そして、その「何か」の正体を探り、必要があれば、その何かを取り入れていく・・・そんな実践をLaneは行なっています。

「いい演奏」を意図しているのに、「意図しないで起こる何か」を「意図していない音楽」と呼ぶわけです。

プロセスワーク用語で言えば「いい演奏をしたい!」というのが「一次プロセス」。
なのに起こってしまう「意図していない音楽」が「二次プロセス」。

Laneはこの日、3つほど実例を話してくれた。
おそらく本にも書いてあった話なので聞いててよくわかった。

その1つを紹介します。

あるオペラ歌手とのワーク。

声が時々割れてしまって困っていると言う。

あえて、意図しないで割れてしまう声に目を向けて、それを増幅させてみてはどうでしょう?とLaneが水を向けると、その歌手も同意した。

割れてがさついた声を、大きくしていくと、"ogre"、(日本的に言えば「鬼」かな)が声を出しているようなイメージになった。

自分の中にそんな側面があることに驚きつつも、興味深く思ったが、「この声は、オペラ歌手としては活かすことはできません・・・」と、その歌手。

自分の中にある「鬼のような声」という側面を排除してオペラ歌手を続けるか、それともオペラ歌手をあきらめて、その側面を活かしていくか。

結局、その歌手は、いったんオペラ歌手をあきらめ、ジャズシンガーに転向したと言う。
ジャズなら、鬼のような声も活用する場所があったのだろう。
その後、再び、クラシックの世界にも戻ってきたという。

実に興味深い話だ。



ワークショップは、当然、話だけで収まらず、実際にやってみようということになった。

まずは、全員で参加できるものから・・・ということで、こんなワークをした。

・・・

全員で目を閉じて、耳を澄ませる。

この部屋の中や外で聞こえる、あらゆる音に注意深く耳を澄ませる。

これをやってるそばから誰かが部屋に入ってきて、歩く音。
イスを引いて座る音。
鳥の鳴き声。
遠くの笑い声。
車のエンジン音。
パトカーのサイレン。

そんなあらゆる音の中で、自分の気をひいたものがあれば覚えておきつつ、耳を澄ませつづける。

では、今、あなたが聴いた音の中から、気のひいたものを、今度はあなたなりに声や、その他の方法で再現してください。

最初は小さく。

だんだん大きく。

どんどん大きく。

出来るだけ大きく。

だんだん小さく。

どんどん小さく。

そしてフェイドアウト。

・・・

普段、音楽と呼ばないものでも、あえて拾い上げて、「合奏」してみることで、音楽みたいなものになった。・・・それを全員で味わう瞬間だった。

「今のは、音楽だろうか、そうではないんだろうか?」Laneが問い掛ける。

ほとんどの人が「音楽だ!」と手を上げる中で、「音楽とは思えない」という人も1人いた。

Laneは「あなたは、今何か自分で音を出しましたか?」と聞くと、その人はサイレン音みたいな音を出した。

そのサイレン音に、Laneはリズムを刻んで加わって、より音楽に近いものに仕立てていった。

「どうでしょう?これが『音楽の始まり』のようなものだと思えませんか?」

さすがにその人も納得していた。あっぱれ、Lane!



続いて、真ん中に1人出てきて実際にセッションしよう・・・ということに。

特にミュージシャンでない人でもOKだというので、僕も面白がって手を上げる。

ペンを回して選ばれたのは、ミュージシャンではない女性。

太鼓を叩くのが好きだというので、誰かが持っていた太鼓を借りて、叩きながらのセッション。

太鼓を叩くのは心地よいが、叩いていると心地よくない人間関係のことが浮かんできた・・・ということで、話は、人間関係へと展開。

太鼓を叩いていると感じられる「自由」な感じを、ある特定の人たちの前では、抑えてしまっている・・・とのこと。

では、その人たちとのやり取りを再現してみてはどうか・・・とLaneが水を向け、ロールプレイになった。

ロールプレイの細かいやり取りは忘れてしまったが、最後には、実際に太鼓を叩いたままロールプレイをしてみようということになって、その人は太鼓を叩きながら自分の思いをいい、Laneがその相手役になって、やり取りをしてみた。

太鼓を叩きながらだと、今までのやり取りと全然流れが変わって、うまくいった。・・・少なくともこの場では。
実際に太鼓を叩きながらコミュニケーションはできないだろうけど、やはり太鼓がもたらす、「自由な感じ」「解放感」が、その人には必要がったようだ。

とっても楽しい音楽療法・・・そんな感じだった。



もう1人、今度は今のと違いを見るために、ミュージシャンの人とやってみようということになり、またペンを回し、「自分のことをミュージシャンだと思いたいけれど、思えない」といいながら、自分のギターを持ってきた人に当たった。

Laneもギターを持ち出し、面白くなってきた。

2人のセッションは、まるで掛け合い漫才をみるかのような面白いものだった。

英語が母語でないその人が発したことばを、Laneは聞いたままコピーする。
そのコピーが絶妙で、笑ってしまう。
コピーしたあと、「どういう意味だ?」と聞き返す。

その人が説明する。「今のは"What is that?"という意味だ」

"What is that?"は、このセッションのキーワードだった。

セッションはやがて観客との関係性へと展開していった。

その人は、最初は緊張している感じが強かったのが、セッションを通して、どんどん観客と渡り合う力を獲得していっているように見えた。
とても楽しいセッションだった。

僕は「プロセスワークは究極の即興アート」だと思っているのですが、Laneのセッションはまさにそれを感じさせてくれるものだった。

プロセスワーカーは究極のアーティスト&エンターテイナー!
少なくとも僕の理想像はそうです。



セッションとしてはそこまで。

けれども残りたい人は残って音楽や踊りを楽しんでもいいのでは・・・というようなことをLaneが言ってくれたこともあり、その場には人がたくさん残っていた。

僕としても、この何か楽しいことが続きそうな雰囲気の中、咳き込みがちな体調もどこへやら・・・

自然発生的に何人かが踊りだす。
僕も、徐々にテンションを上げつつ踊る。

「音楽もほしいなぁ」・・・という声も出るが、自然と手拍子やら、何やらでリズムも生まれだす。
僕もリズムに加わりつつ、踊る。

意図していない踊りが沸き起こり、意図していない音楽がついてきた。

そのうち誰か(・・・って僕ではない日本人が発生源だと思ったが・・・)無国籍の怪しいメロディーを、スキャット(♪ハハハ~)で歌いだす。
妙に場にマッチしていて、僕や他の人たちも加わり、怪しいメロディの合唱になる。
踊りは続いている。
いろんな国の人たちが、思い思いに踊る。
楽しいねぇ~。

やがて怪しいメロディも、飽きてきたのか、自然に止む。
リズムは続いているが、歌がなくなった。
「何か歌がほしいなぁ・・・」と、ぼんやり思ってた。
「この場にはこれだ!」っていうものが何かないか・・・と思っていたら、さっきのセッションのキーワードがあるではないか!とひらめいた。

何となく続いているリズムに乗せて、僕は1人歌い始めた。

"What is that? What is that? What is that? What is that?"

簡単なメロディーに乗せて、まずは歌ってみると、みんな食いついてきて、大合唱。
自分が投げかけたことが、世界のいろんな人に受け入れられて、広がっていくというこの感覚!
気持ちいい!

それがしばらく続いた後、歌詞は"This is that!"に変わり、やがていろんな人が好き勝手に歌ったり叫んだりして、それでも何となくリズムを続き、踊りも続き・・・という状態が続いた。

どれくらい踊っていたかわからないが、楽し~~~~~い!

自然発生の歌と踊りの宴はいったん終わったが、芸達者な人は多いもので、ピアノと歌の宴へと移行。
踊りたい人は、どんな歌でも踊り続けているし、僕も太もも叩いて、パーカッションとして参加しながら、楽しい夜は続く。

各国の歌を披露しよう・・・という流れになって、日本人チームも、歌詞が全員うろ覚えの「花」や、「上を向いて歩こう」を披露。
メキシコやギリシャの歌も聞けた。

"What is that?"の人も、セッションの成果が現れているだろう、力強い歌声を披露した。

もっとその場にいたかった僕だが、咳き込んでしまい、「そろそろ、休んどき」というメッセージと受け取り、11時過ぎに退散。

シャワーを浴びて、湯冷ましして12時過ぎ、寝る前に飲み水を補給しにいこうと、会場近くを通りかかったので、覗いて見たら、少人数ながら、まだ歌の集いが続いてましたよ・・・元気やねぇ

個人的には、自分の歌がその場を変えていくのが、重要なポイントでしたよ。

それは次の日の出来事へと、直結していた気がする。

4日目は僕にとっての大きな山場となりました。

~つづく~
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by matsuzoh2002 | 2006-05-19 14:59 | ワールドワーク@シドニー'06
ワールドワーク3日目=4月29日、土曜日

朝の目覚めはよかったので、昨日に続いて7時からムーブメントの自主クラスに参加。

今日は「支える/支えられる」がテーマ。
大地に支えられていること実感しながら身体を動かしたり、2人ペアになって、1人が支え、もう1人が支えられる・・・というのを味わった。

昨日のにぎやかさはなかったけど、地味に味わい深い時間だった。
ただ、人を支えるという、繊細さも必要な作業は、英語の不安さが、相手をさせるときにも、「このやり方でいいのかな?」・・・という不安として表れがちで、かなりぎこちないもになってしまった気が・・・。



朝食後、午前の大グループ。

はじめにあったレクチャーは「対立の中でのコミュニケーションの違いが果たす役割」について。
その中で、「非難」について、「もし相手の非難が全く正しくないものだと思えても、明日になったらそれが正しいものになるかもしれない!」というのが、なかなか面白かった。
すべては日々変わっていくから、確かにそんなこともあるかもしれない。

そして大グループでのワークのテーマは、今日のファシリテーターが3人とも女性だったこともあってか、「女性」がテーマになった。

男性は聞き役に周り、さまざまな女性が自分の体験を語るということが続いた。

女性同時の対立が発生した部分もあったが、あまり印象に残っていない。

とにかく英語で聞いていると、疲れてしまって、聞ける量のキャパシティをオーバーしてしまった感じだ。

英語が第1言語でない人が、自分の言葉で語って、より英語の出来る人に通訳してもらう・・・という形での発言が2人からあった。
こういうのがもっとあればなぁ・・・とは、思った。

それに、女性の問題は、男性との関係性の中で生じてくるものも大きいはずだから、男性がひたすら聞き役に回っているのは変だと思った。



午前中は、かなり疲れた。昨日同様、食欲が今ひとつで、また食堂メニューから逃れようかとも思ったが、なんとか食べた。

食後は、広い芝生のグラウンドの斜面で毎日のように昼寝していたが、この日は日陰で寝ていたら、日が陰るとともに涼しくなってきて、少し風邪をひいたかもしれない。
風邪をひいたというか、日本から持ってきた風邪が、多少盛り返してしまったみたいだ。
シドニー滞在中、天気がずっと良くて乾燥していたせいもあってか、結局、風邪は治りきらないまま、日本まで持ち帰ってしまった。

午後のスモールグループで、時おり咳こむようになって、横になりながらの参加。
自然と「病人」のロールになってしまった。
・・・って、昨日の夕方の日本人グループでも横になってたから、あまり変わらねぇか?



夕方のサブグループのワークは、男性が手を挙げ、「男性と女性の問題」についてやろう!ということになった。

「それは全員がからむ問題だから、『サブグループ』というのとは、違うのでは?」と思ったが、
午前中があんな形だったから、こういうテーマになるのもわかる気がした。

話し合いたい人が真ん中に出てくる・・・という形になった。

僕は、遠巻きに横になってみていようと思ったが、この部屋は板張りで、靴履きの人がうろうろしているのだから、地べたに横になると、吸う空気はよくない感じ。
たちまち咳が出てきたから、会場から退避。

結局初日のインナーワークでたどり着いたAudio & Visual Roomからプロセスを見守ることにした。

ここからは、音は若干聞こえにくいが、よく見える。

眼下で繰り広げられているプロセスは、「男性ではなく、1人の人間としてありたい。そう見てほしい」という男性に対して、女性が、「そう言われても、過去の体験から、男性は男性としか見られない」というようなやり取りが、繰り広げられている。

そこへ、子守りのボランティアをしている人に連れられて、赤ちゃんが入ってきた。

遠い眼下のプロセスよりも、間近の赤ちゃんに目を奪われる。

男の子だな。

ふと、初日のインナーワークでは、ここで太陽になったんだ・・・というのを思い出し、”Here comes the sun/ son."という言葉が浮かんできた。

確かに赤ちゃんは太陽のようでもあるな。
周りを明るく照らすエネルギーを持っている。

そうこうしているうちに、下で何が起こっているかはさっぱりわからなくなった。

まぁ、いいか。赤ちゃんからエネルギーをもらった。



去年、ポートランドでプロセスワークの5週間コースに参加したときも、思いがけない咳が出て、思いがけないプロセスに発展するということが、ありました。

この日咳が出るようになったのも、思いがけない展開への入り口・・・でしたね、実は。

咳が出るようになり、赤ちゃんからエネルギーをもらい、3日目のクライマックスは、夜やってきました。

~つづく~
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by matsuzoh2002 | 2006-05-18 23:03 | ワールドワーク@シドニー'06