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身体で思いを形にするワークショップblog

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「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

カテゴリ:最近読んだ本( 21 )

サブタイトルは「イスラームの夜を歩く」。

個人的には、以前書いたように、イスラム社会の伝統の締め付けのきつさは、イスラエル/パレスチナのワールドワークで多少垣間見ることができました。そこで見たのは恋愛に対する締め付けでしたが、この本はさらなるタブーであろう、そんなイスラム社会の「性」にまつわるノンフィクション。

イスラム社会の性で思い出すのは、タイ南部のサトゥンという町にワークショップの見学に行ったときのこと。
その町には空港はなく、別の町(ハジャイ)にある空港から車で1時間という辺鄙な町なのだが、ホテルに日本人を発見。
なんでこんな所に?と思って話を聞いてみると、イスラム教国のマレーシアでは女を買えないので、タイまで来たとのこと。空港はないサトゥンだが、船でマレーシアのランカウィ島には行けるのだ。

タイ、特にバンコクは何かと誘惑が多い。三輪タクシーに乗ったら艶かしいチラシを渡されたりとか。
それより前に、マレーシアにも行ったことがあるけど、そういう誘惑はあまり感じなかった。

やはり仏教国とイスラム教国の違いなのだろうか。

・・・そんな体験を思い出しながら、この本を読むと、いきなりインドネシアの少女売春婦のお話。
・インドネシアの宗教的戒律は緩め = 幼い売春婦は以前から存在
しかし
・国際的に人身売買や売春強要が問題視
・イスラム原理主義の台頭
→政府売買春摘発強化 →幼い売春婦はスラムへ潜行

・・・ということのようで。

これがさらに戒律の厳しい、パキスタン・ペシャワールに行くと、少年の男娼が目立つという。女性の娼婦もいるが、自由に出歩けない分大っぴらに行動できる男性娼婦が増えるという。アフガニスタンからの難民がそれを行なっているという。

・・・そんな感じで、どこにいっても売春は存在するし、生きるための手段としてそれが必要とされていることが、いろいろな国で描かれている。

同じペシャワールでは「女として生きることを選んだ男」、「ヒジュラ」についても描かれる。
インド文化圏全体でヒジュラという存在はあるようで、インドでもアウトカーストな存在らしいけど、イスラムにも存在するのは驚き。

さらには、マレーシアでも「レディボーイ」と呼ばれる「女として生きることを選んだ男」の話が登場。ヒジュラは伝統的な存在だが、こちらは日本で言う「ニューハーフ」な感じ。

ここに出てくるレディボーイはインドネシア人。

そんな風に、国境を越えて生きる人たちの話も興味深かった。
ヨルダンのイラク人。レバノンのフィリピン人(ミンダナオ島はイスラム圏)。

国境のはざ間で生きる人々の話も、興味深かったり、イタかったり。
ミャンマーは仏教国のイメージが強いけど、ロヒンギャと呼ばれるイスラム教徒も存在して、弾圧されてバングラデシュで難民化しているのも知らなかった。バングラデシュも貧しい中で、ロヒンギャが受け入れられない話(ロヒンギャは直接出てこない)は、痛々しかった。

イランのクルド人集落の話は過酷な背景もありながら、微笑ましかったり。

パキスタンの「名誉殺人」の話はかなり衝撃的だった。伝統の掟って、なんとむごい!と思う。

また、インドではイスラム教徒は少数派だが、それでも十一億の人口の中で一割強いるので、一億人以上いるという指摘だけでも驚いた。インドネシア、パキスタンの次にインドが多いのだそうだ。人口対策として不妊手術が奨励されて、補助金が出るというインド。それをめぐる切ない話。
さらには、子どもができない妻は、虐待されたり、自殺に追い込まれたりするインドで、そんな不妊の女性たちに不妊治療の薬を作って渡す男の話。イスラム教徒が少数派のインドで、ヒンドゥ教徒による強姦が多いのに、少数派ゆえに警察に訴えるのもあきらめるいう話は、なんとも痛い。

そして最後のバングラデシュの売春を生きる手段としているストリートチルドレンの少女の話はせつない。誘拐→人身売買も多発する環境。幼い頃から売春を生きる手段として、大人になってもそのれを続けていく。貧困の出口があるとは思えない状況。



1つ1つのエピソードが生々しく、多くは痛々しい状況の中で、それでも人は生きてるのだなぁ・・・と、読後感は重くもあり、いろいろな世界を垣間見られて興味深くもあり。

身近にとらえようとすれば「重く」、一歩引いて眺めようとすれば「興味深い」・・・そんなところでしょうか。

筆者の石井光太さんは30歳の男性で、この本では2つの目的として「イスラームの"禁圧された性"の掘り起こし」と「自分に何ができるかためしたい」ということがあったそうで。

掘り起こされた物語は、どれも興味深く堪能し、考えさせられました。

「何ができるかためしたい」・・・という部分については、「そんなこと試さないで、客観的に記録することに務めたらいいのに!」という思いがする場面もあるのだけれど、でも、そのように働きかけを試みることが、日本で暮らす僕の意識を書かれている現場へと近づけ、ヒリヒリ・ヒヤヒヤとした感覚を起こさせる効果につながっていると思う。

石井さんののサイトには、本には載せ切れなかった写真と、書ききれなかった文章が載っていて、お得感がある。

興味深い本でした。石井さんのもう1冊の本も読んでみようかな。
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by matsuzoh2002 | 2007-12-13 13:44 | 最近読んだ本
行き帰りのバスの中で読み終えた、「浦河べてるの家」の本。
「心の病」の当事者が、「自分の専門家」として、自分のことを研究する、「当事者研究」についての本。

当事者研究は面白いですね。
研究者の視点で、自分を研究対象として距離を置いて眺めることで、自分の問題にがんじがらめな状態から抜け出すことができる…というのは、興味深いです。
プロセスワークでも自分の視点を離れたところから自分を見てみる…というのが、結構ポイントになったりしますしね。

そして、自分のことを研究する「当事者研究」ですが、自分一人だけでやるのではなく、人とのつながりの中で行われるのも、興味深いところ。「自分自身で、共に」がキーワードだそうです。研究ミーティングで研究テーマ=自分の課題について発表し、話し合いの中で課題への対処方法を検討したり、ロールプレイで実践のための練習をしたりするようです。

ロールプレイも登場してきて、僕が被抑圧者の演劇やプロセスワークを活用してやろうとしていることに非常に近いな…という感じがします。

「当事者研究」の中身として紹介されていることも、僕自身が現在や過去に直面している身近な課題(「淋しさ」とか)も含まれていて、心の病を現に患ってる人だけでなく、その予備軍=僕も含めてあらゆる人!にとって、大事なことが書かれた本だと思います。
そして僕のワークもあらゆる人に向けてアピールしていきたい!とあらためて思うのでした。
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by matsuzoh2002 | 2007-11-26 17:22 | 最近読んだ本
昨日書いた「言い当てようとするようなワーク(セラピー)の進め方は好きじゃない」というお話、

「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」感想その3
スピリチュアルにも「言い当て」系と、「体験・気づき」系があると思ってます。

これについては記事をあらためて書きたいと思います。
と書いておいて、忘れてたこととつながってきますね

僕は「言い当て」系のワークショップであったり、スピリチュアルな実践はどうも好きになれませんね。

「あなたは、こうですね!」とか、決め付けられるよりも、自分の中から湧き出てくる答えを探って生きたい。
答えは自分で見つけたい。

前世とか、あんまり信じてないけど、自分の生まれる前にさかのぼって、「自分は何者なのか」を探っていくことは、自分の人生の物語を豊かにしてくれる面白いものだとと思う。

でも、江原さんみたいに「あなたの前世はこうなんですよ」とか言ってほしくない。

前世のワークはしたことないが、瞑想でもして、自分の中から、「前世はこうだったのかな」とお思えるものが浮かんできたら、それは面白いと思う。
そんな風に、自分の中から浮かんでくることを、体験の中から気づいていくこと・・・そういうワークショップが好きだね、僕は。

そんな風に「言い当て」系と「体験・気づき」系(自己探求系といってもいいかも)がスピリチュアルな実践にはあると思う。

香山さんがこの本で批判してるのは「言い当て」系だわね。

江原さんも「言い当て」系。
そしてその延長線上に「オウム」を警戒する。

でもまぁ、スピリチュアルに興味はあっても「言い当て」系がきらいな僕からすると、「スピリチュアル」で一くくりにされてることに、大いに違和感。

「言い当て」系は教祖様的な人が間違った方向へ行ってしまうと、信者的な追従者を引き連れて、とんでもないことが起きるという危険は確かにあるけど、「体験・気づき」系ならそんな危険性ほとんどないと思うし。

確かに今のスピリチュアル・ブームは「言い当て」系の方々に人気が集まってるから・・・という面は強いと思うけど、一緒くたにしてほしくはないわねぇ。

また、香山さんの本では、今のスピリチュアル・ブームが「自分さえ幸せならいい、という利己主義」的だという批判も繰り返されてる。
もっと、自分だけじゃなく、社会にも目を向けろ、っていう主張が強くにじむ。

これも、まぁ、今のスピリチュアル・ブームに関しては、僕も同じように感じてる面はある。

でも「個人的な問題は社会的な問題につながってる」というスタンスの「被抑圧者の演劇」や「プロセスワーク/ワールドワーク」に関わってる僕からすると、個人的な幸せの追求は悪い事ではないと思っている。
個人的な幸せを追求する中で、幸せを実現するためにはいろんな障害があるのに気づき、その障害で苦しんでるのは自分だけじゃない、他にもいる・・・っていうのが社会的なことにつながっていくきっかけだったりするのはよくある話。

今のスピリチュアル・ブームはあんまりそういう社会的な方向性は確かになさそう。
けれども、そういう社会的な方向性を持つスピリチュアルな実践に関わるものとしては、やっぱり一緒くたにするな!と言いたい。

と言うわけで、結論:

 スピリチュアル・ブーム=「言い当て(られたい)」系=利己主義的

 でもそうじゃないスピリチュアルもある!=「体験・気づき」系=社会的な方向性もあり

 香山さんが前者を批判したい気持ちもわかるが、後者を一緒にするな!

 スピリチュアルにもいろいろあるってこと。

・・・っていうことです。
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by matsuzoh2002 | 2007-02-01 16:22 | 最近読んだ本
何かとお世話になっているちょんせいこさんが「人やまちが元気になるファシリテーター入門講座~17日で学ぶスキルとマインド」という本を出版されます。

今のところネット書店では入手不可のようですね。入手できるようならリンクしようと思ったんですが。

関西一円あちこちでファシリテーターとして活動を重ねているせいこさんの、これまでの経験が活かされた本です。

会議のファシリテーションなどはほとんどした事ない僕ですが、そういう点でもとても参考になります。

今日送っていただいたばかりで、まだザーッとしか読んでませんが、ポストイットを活用して意見を出し合うような進め方は、今勉強中の手法と組み合わせてもいいのかな・・・と思いました。

もちろんポストイットを使ったワークは目新しいやり方ではないのですが、今勉強中のワールドワークはポストイットを並べ替えるKJ法と似ていて、人間KJ法と呼びたいな・・・という気分もあって、ポストイットが何だか今の僕には新鮮に映っているような気がします。
(本来のKJ法はポストイットではないだろうし、勝手に名乗ってはいけないみたいですけど)

ポストイットで意見を出し合い、並び替えた上で、人間もそれを参考にしながら、いろんな立場へ移動して、いろんな声を出す。
声を出すのに抵抗が合って、なかなか意見を言えない人には、ポストイットが声を出すための橋渡しになりそうです。

それは結局声が大きい人中心に進んでしまうという、ワールドワークの弱点を補ってくれそうです。

まだ、本はザーッとしか読めてないので、自分の頭の中に浮かんできたことばかり書いてしまっていますが、本はタイトルの通り元気が出る内容です。
じっくり読んで、ひらめいたことがあれば、またここにも書きたいと思います。

そしてやがては僕も本を書こう!と思うのでした。
まだまだ勉強中なので、本を書くほどには考えがまとめられそうにないんですけどね。
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by matsuzoh2002 | 2007-01-29 12:52 | 最近読んだ本
イスラエルとパレスチナのワークに思いをはせつつ、「Beyond War And Peace In The Arab Israeli Conflict」(「アラブ・イスラエル紛争、戦争と平和を超えて」)を再び読んでいる。

前に読んでた頃は、まだこの本の著者が大学院でのアドバイザーになるとは思ってなかったもんね。

イスラエルとパレスチナの紛争をテーマにしたワークを、当地およびアメリカなどで実践してきた経験を中心に、他の場所でのワークの経験も盛り込みながら書かれた本なので、読み応え十分。実際にワークを体験しに行くとなれば、まさに今が読み頃。

今日読んだのは「暴力予防としての『聴く』こと」という部分。

もうタイトルだけで納得。

聴いてくれない人、聴く耳持たない人は腹立つもんねぇ。暴力の芽がそこにあるのは明らか。

対立の当事者になってしまえば、冷静に相手のいうことを聞くことなどままならなくなる。
相手の声など封じ込めて、自分の言いたいことだけ主張したくなる。

そんな時こそ、ファシリテーターは聴く立場に回って、お互いの聴く姿勢を引き出す。

・・・当たり前のようでいて、修羅場になりかねないワークの実例とともに読むと、その当たり前のことが実践するには難しく、しかし実践できれば絶大な効果があるのだなぁ・・・というのがよくわかる。

一触即発のような激しい応酬になったユダヤ・パレスチナ双方出席のワークで、お互いが同時にヤイヤイ言う状況から、粘り強く『聴く』ことにファシリテーターが徹した結果、お互いの言葉に耳を傾けあう状況に場が変化したというのを読むと、そういう現場に立ち会ってみたいなぁ・・・と思う。
日本ではなかなかそこまで激しいことにはならないもんな。
どんな現場に出会えるのだろうか?まずは本で予習予習。
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by matsuzoh2002 | 2007-01-28 00:34 | 最近読んだ本
感想その2の続きです。

立ち読みで気にいって購入した帰り道。

電車の中で確か読んだと思う、冒頭のエピソードは面白かったですね。

精神科医である著者=香山リカさんの診察室を訪れた20代前半の女性の話。

香山さんが話すように促しても、黙っている。

3度呼びかけて、やっと「わかんないですかあ?ねぇ、わかるでしょう?」と第一声。

結局「精神科医なら、深層意識とか前世とか、話さなくてもわかるでしょ?自分の前世に問題があると思うから、そこが知りたい」という方だったようで。

それが3年くらい前(2003年くらいという事でしょう)だったそうで。

その後そういう方が度々診察を訪れるようになったとのこと。

「心の専門家」としてマスコミをにぎわすのは、香山さんも含めて精神科医の方が多いからこういう誤解もあるんだろうな・・・と思いつつ興味深く読みました。

というのも、僕も少しだけ似たような体験をしてるからです。

プロセスワーク(プロセス指向心理学)と出会い、それを応用した「グループのファシリテーション」を本格的に勉強するべくアメリカの大学院コースに行くことを決めるときに、親にも一応話しておこうと思ったけれど、「プロセスワーク」も、「グループのファシリテーション」も、説明するのが難しすぎる!と思って「心理学の勉強をしに行く」としか言わなかったのです。

そしたら母親の反応はまず、「そこへ行ったら日本ですぐに仕事につながるような資格とか取れるの?え、何もないの?自分で仕事を創る?そんなのできるの?」というものでした。

「そして、どうせなら、日本で医学部受けて、精神科医になれば?一緒でしょ?」

う~む。しばし絶句しましたね。

「全然違うんだけど。自分のやりたいことをやろうと思ったら、そんな回り道してるヒマはない」っというような事は言いましたけど、どう違うのか、何をしたいのか・・・ということは伝えられずじまいでした。

精神科医はTVでみかけても、心理学の専門家はどうも影が薄い。
見かけても、たいてい心理テストとかにかり出されるのが多くて、専門家っぽくない扱われ方が多いような・・・
うちの母親に限らず精神科医=心理学の専門家・・・という誤解はきっと根強いんでしょうね。

さらに、江原さん的スピリチュアルが広まった今、心理学の専門家どころかスピリチュアルの専門家・・・という誤解まで生じつつあるのかもしれませんね。

ただねぇ、精神科医さんのお仕事は、江原さん的スピリチュアルとは確かに距離感があると思うんですが、それ以外の部分は、広い意味での「スピリチュアル」にはいる部分も多いと思うんですけどね。

精神科医さんの主な仕事は「投薬」かな・・・というイメージがあって、確かにそこは「科学的」な治療のような気がするんですが、それ以外に使われていると聞く各種療法は科学的というよりも、なぜ効果があるかは科学的には説明しきれないもの・・・だと思っているんですが、どうなんでしょ?

wikipediaで「精神療法」を調べたら「心理療法」のページ
転送されて臨床心理学の分野においては心理療法、精神医学の分野においては精神療法と呼ばれるが、実際には同じものを指している。
って書いてあるし。

心理療法はスピリチュアルな療法との境目は限りなくあいまいだし。

結局、精神医学とスピリチュアルは、対極のようでもあるけれど、同時に地続きなんだなぁ・・・という気はします。

スピリチュアルは狭く見れば、江原さん的なものかもしれないけれども、広く見れば、精神科医のお仕事も含まれる・・・と思う。

この「同一視されそう」なあたり、香山さんもわかっていらっしゃるようで、江原さん的スピリチュアル批判を展開するそもそもの理由がそこにあるようですね。

でも、「非江原さん的スピリチュアル」というものもあることに触れてないので、「スピリチュアル」で人くくりにされることに抵抗があります。

僕としてはスピリチュアルにも「言い当て」系と、「体験・気づき」系があると思ってます。

これについては記事をあらためて書きたいと思います。
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by matsuzoh2002 | 2007-01-10 22:58 | 最近読んだ本
「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」香山リカ著の感想その2(この記事の続き)です。

「スピリチュアル」といえば「江原さん」というイメージはかなり広まってしまってますよね。この本も江原さん人気を受けて、世に出てきた訳でしょうし。

そもそも、本屋でこの本を見つけて、目に飛び込んできたのは、本の帯。
江原さんのこと
①大好き!②インチキ!
あなたはどっち?
…というもの。

他に江原さんという名前の有名人も特にいないとは言え、苗字だけで「あぁ、あの人ね」となるだけでもそもそも凄いし。

世間的な評価は、①②のどっちかに二分されてるんでしょうか?

僕としては、インチキとまでは思いませんが、テレビ的な演出には多少は乗っかってるんだろうな・・・という感じは持ちつつ、あんな風に直感的にいろんなことを読み取る力も、ある人にはあるんだろうなあ…と思う。けして大好きではないけれど、興味深く眺めてる…そんな感じですね。

で、そんな帯を見つつ、パラパラと立ち読み。

興味深かったのは、本の最後の方、江原さんが靖国問題について「首相の参拝に反対」「分祀」の立場を表明していることに関するくだり。

僕はそもそも、そんな発言がされてることを知らなかったが、雑誌媒体でのことらしい。

しかし、これは、一部でしか話題になっておらず、僕だけでなく、世間的にもほとんど知られていない。

江原さん本人として、むしろそういった社会的な問題こそ本質だと以前から自覚していて、積極的に発言していきたいという思いがあるようだ。

が、女性誌は相変わらず、霊やオーラの観点から江原氏の事を取り上げて、社会的な面は無視。

一方、著者=香山さんが靖国問題に取り組んでいるテレビ局の複数の知人に「江原氏にインタビューしては?」と持ちかけても、「番組自体の信憑性を疑われる」と一笑に付された・・・とのこと。

メディアの硬派な部分からは、うさんくさがられ、女性誌・女性ファンには社会的な発言は届かない・・・。

こんな状況が、とても興味深いなと、読んでて僕は思いましたね。

スピリチュアルという言葉にうさんくさいというイメージが付ききってしまった以上、この言葉をうかつに使うのは全く得策ではないと思います。

よいワークショップ、よいファシリテーションをするためには、言葉では説明のつかないような、それこそスピリチュアルとしか言いようがないような何かが働く必要もあると思っていますが、それをスピリチュアルと呼ぶのはやめとこう・・・という思いにさせられましたね。

うさんくさいイメージをもたれずに、実践を広めていきたいなぁと。

・・・で、この本は、この最後の部分が一番面白かったです。

あとは面白い部分もあれど、ツッコミたい部分の方が多いくらいかも・・・。

そこはまぁ、香山リカさんは精神科医・・・科学者なわけで、江原さん的なものだけでなく、非科学的なものは全般的に批判的・・・という感じが基調なので、科学も大事だけど、そこを越えた何か・・・アートのやコミュニケーションの力(それはある意味「スピリチュアル」な事だと思う)に肩入れしたい僕としては、ツッコミたくなる訳です。

その他の部分の感想は、今後書くかも・・・?どうかな?
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by matsuzoh2002 | 2007-01-09 21:10 | 最近読んだ本
昨日もう大阪に戻っていて、今日は早速、派遣のお仕事。(地下鉄開業イベント続き)

疲れてるので、あらためて続きを書きたいと思いますが、スピリチュアルにハマる人、ハマらない人by香山リカ、読みました。

面白かったところ、ツッコミたかったところ、いろいろあるので、1度で書ききれないかも。

とりあえず、僕は、この本に書いてある意味でのスピリチュアルにはハマらないけど、別の意味でのスピリチュアルにはハマってます。

個人的にはその辺整理するきっかけにはなったかな・・・と。
整理するような事が特に書いてあるわけではありません。あくまで僕にとってのきっかけです。
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by matsuzoh2002 | 2007-01-02 23:21 | 最近読んだ本
心ひらくドラマセラピー 自分を表現すればコミュニケーションはもっとうまくいく! 読了。

著者の尾上明代さんは、米国で公認資格を取った日本で初のドラマセラピスト。
数年来のお知り合いです。

ぼんやりとしかわかってなかった、ドラマセラピーのことが、この本のおかげでかなりわかってきました。

何年か前に、東京でコラボレーション的な企画を一緒にさせていただいて、1日だけドラマセラピーのワークショップを体験して、「自分じゃない役を演じる中で、癒される・成長する」というのはなんとなくわかってました。

臨機応変で進めるから、一言で言い表すのは難しいんだろうな・・・という印象も持ってました。
今回具体的な進め方に触れて、あぁ、面白いなぁ、この間口の広さは自分のやりたいことにかなり近いなぁ・・・と思います。

僕がもともとやってきた、「被抑圧者の演劇」は社会変革のために演劇を活用・・・というあたりが原点ですが、個人の内面の抑圧などの問題にもスポットを当てることも多いので、セラピーとの境目はあまりないような実践です。

基本的に、自分(たち)のことを自分(たち)で演じながら、現実的な問題の解決策を探っていく・・・というような方向性が、「被抑圧者の演劇」にはあり、その点は「サイコドラマ」も近いですね。
僕が最近実践してきているワークショップは「被抑圧者の演劇」と「サイコドラマ」のミックスみたいになっています。

ドラマセラピーは現実とは少し距離を置きながら進める・・・というのを基本にしつつ、でもこの本で紹介されている「心の障害物を乗り越えるドラマ」などは、現実に沿うよな話でも、現実から距離をおいたような話でもどちらでも出来ると思うので、必要に応じて、現実との距離を取ったり取らなかったりしながら、進めていけると思いました。

そういう点では、こういう進め方もあるのか・・・という自分の幅を広げてくれる可能性を感じる本でした。目指すところは結構重なっていると思います。

今は、演劇と少し離れたアプローチのファシリテーションを勉強中なわけですが(ロールプレイなども含まれるのでかなり近いですが)、やはり演劇の力は今後も活用していきたいなと思います。
そう思わせてくれる、元気をもらった本です。

実際に、ドラマセラピストを目指そうとなると、お金も時間もかかって、ちょっとそれどころではないのですが・・・。

尾上さん自身が、ドラマセラピ―と出会い、それを勉強して、セラピストを目指していく過程も、出会う前の部分を含めて、面白いですね。

いつかこういう本を書きたいな・・・という思いも湧いてきました。
いろんな面で参考になりました。
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by matsuzoh2002 | 2006-12-31 18:35 | 最近読んだ本
年末は読書の時間をたっぷりと。

ADD/ADHDという才能という本を読了。

先日おじゃました、とあるところで、「おー、おもしれぇ!」と思い、借りてきたものです。

僕自身ADD/ADHD(注意欠陥(多動性)障害)ではないと思います。
子どもの頃そんなに落ち着きなくあちこち動き回るような傾向はほとんどない子でした。

でも、大人になってから、特に演劇のワークショップに関わるようになってから、身振り手振りの多い人になり、またファシリテーターとしては、直感的・即興的にワークショップを進めることも、楽しくなってきました。

なんとなく、「大人になってから、多動的な傾向も自分の中にあるのが発掘されてきた」・・・という気がしてたのです。

そこでこの本に出会って、ADD/ADHD=ハンター、そうでない人=ファーマーという見立てに妙に納得。

ファーマーに必要な粘り強さ・集中力に対して、ハンターに必要な、注意力を分散してあらゆる方向に瞬間的に飛びつく対応力。

狩猟採集社会から、農耕社会に移行し、さらにはそこをベースに産業社会が発展する中で、狩猟採集社会で必要だった能力は軽視されているが、もともとの人間のベースが違うんだから、ハンター的な才能が必要とされている部分もあるし、教育の仕方もそれに対応する物を提供すれば、ハンターも伸び伸びと才能を発揮できる!ADD/ADHDは障害ではない・・・

・・・根本的な発想の転換で面白いですよね。

人間がはっきり二分されるわけではなく、両方を併せ持つ人が多いわけで、ファーマー社会にそこそこ対応できた僕も、それだけでは気詰まりを感じて、ハンター的な面にも目ざめた・・・というふうに見立てれば、納得です。

瞬間的なひらめき、創造性もハンターの領域というのは納得です。

ファーマーとハンターの共存共栄が世の中を面白くする・・・というのが著者の考え方。
賛成です。

どっちも持ってる人は、両者の橋渡しができるよな・・・と書いて、以前こんな詩を書いてたのを思い出す。

ファーマーとハンターの橋渡しは必要だね。
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by matsuzoh2002 | 2006-12-31 12:08 | 最近読んだ本