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身体で思いを形にするワークショップblog

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「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

カテゴリ:大学院(紛争緩和・修士課程)( 67 )

昨日の師匠とのセッションに続いて、今日は別のスーパーバイザーと電話セッション。
今日は日本語なので楽チン。
今月いっぱいまでは在籍している大学院だけど、今日のセッションで実質最後。あとは何の予定もなく、ただ時間切れを迎えるのみ。

最後なので希望の持てる内容のセッションをしたい・・と言いつつ、最近は結構希望の持てることが多いので、特に無理矢理希望の持てる話にもっていくことなく、希望の種はあちこちにあふれてた。

2月11日のドラマチックしゃべり場は、人間彫刻とグループプロセスが上手いこと噛み合って、しゃべりと身体表現のバランスがよかったし。

東京でもワークをやるし。

・・・人の集まりがまだイマイチなのが気がかり。

そう、最近の気がかりは、思うように広まらない、もっと広げたいのに・・・というところに起因する。
その辺はよく落ち込み、絶望感を感じるときもある。

それでも、この前たまたま友達に会いに行ったのが「スローカフェ」という所で、そこで「スロー」をテーマにワークショップをするかも・・・そんな風に、色んなテーマを持って活動しているグループやらお店やらとコラボレーションしていきたいし、その突破口になるかも・・・という話もあるし。

そういう話をしていると、急いで広めたい!と焦るよりも、スローに、無理なく、自然な出会いの中から広げていくのがいいのかな・・・と思える。

あるいは、中退を決めてから、少しずついろいろなところに顔を出すようになって、ビオダンサとか、いい感じの場と出会って・・・という話をしていると、そういうところでの人との「ふれあい」が自分の中では大事なんだなぁ・・・と気づく。
ビオダンサの話をしていると、心の中からあったかい感じがしてくる。
それは、先日受けた「ハコミセラピー」で「マインドフルネス」ということばで表現されたものと似てる。
自分の内面に目を向けて、自分のこころとつながっているときに感じる暖かさ。

それに加えて、身体を動かす楽しさ。
ビオダンサがチリ生まれ。被抑圧者の演劇がブラジル生まれ。そんなラテンの情熱。
でもあんまり情熱的なのは身が持たない。
ほどよい、熱くなる手前の暖かさ・・・そういうのが自分が一番大事にしているところかな・・・と思う。

スーパーバイザーが、その体感する暖かさに焦点をあててみるよう提案してきたので、それに乗ってみる。
暖かさを味わっていると、南の島にいるみたい。
でも暑いところまではいかない。
ポカポカした感じ。
灼熱の太陽というよりも、ひなたぼっこな感じ。
砂浜で、デッキチェアに寝そべるイメージ。
暖かい空気に、暖かい土地につつまれている感じ。

「じゃぁ、その暖かい土地になってみたら?」とスーパーバイザー
ヘッドフォンで通話を続けつつ、寝そべる人から、「土地」に視点をシフトするために、イスから下りて、床に座る。
大地になろうと思うと、そのまま横になる。
その上にデッキチェアで寝そべる人を迎え入れるイメージで。

迎え入れる大地。
浮かんできたのは「旅館の女将」のイメージ。
ホスピタリティ。おもてなしの心。

「『旅館の女将』がファシリテーターをするなら、どうする?」と訊かれ、
さっきから横になったままだったので、さすがに横になって接客は出来ないものの、そういう「くつろいだ心」が大事だなぁ・・・と思う。

くつろいだ心を持って、参加いただく人を迎えるファシリテーター。
すでに出来ている部分もあるけど、今後も心の底からそうしていきたいものですね。

振り返って、こうして書いている今も心の中は暖かい。

被抑圧者の演劇は、プロセスワークと出会う前からやってきた訳だけれど、プロセスワークを多少なりとも本格的に学ぶことを通して、自分の実践により深みを増すことができてきたように思う。

同じことをしているようで、より深みを持って、真心をこめて、人と接することができるようになってきていると思う。

事前にプロセスワークに求めていたものは、そういう側面とは違ってたと思うけど、結果的にはそういうところに着地した。

真心こめて、スローなところも大事に進めていくと、急速には広まらないだろうけど、ゆっくりじわじわと浸透していくと思う。それでいい。焦らずいこう。

そんな思いとともにセッション終了。
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by matsuzoh2002 | 2008-02-22 14:34 | 大学院(紛争緩和・修士課程)
今日は大学院のアドバイザーとの電話セッション、最後の日。

ワークの現場で起こったことを説明しようとしたりすると、英語ではなかなか思うように説明できず、もどかしい思いをすることも多かったけれど、「師匠」と話をするのは楽しかった。

なんと言っても、僕がやろうとしている、身体表現や動作を交えてグループワークをするということに、とっても興味をしめしてくれて、大いにサポートしてもらってる感じがした。

師匠は無邪気なんだよな。

僕と2週に一度のペースでこうして話すのを、とても楽しみにしてくれていたのが、いつも伝わってきた。

それは学費を払ったからこそ得られた時間であり、中退したところでいったん関係は切れてしまうわけだけれど。

今回のロンドンのワールドワーク、その後のイスラエルのワークは参加しないことにしたので、師匠とは今度いつ会えるか分からないけれど、再会を誓って、セッションは終了した。

なんとかしっかり稼いで、またどこかで会えるようにしていかなくっちゃ。日本には師匠はなかなか来てくれなさそうだしなぁ。

自分の好きなこと、元気になれることでしっかり稼げるように・・・セッションの中で自分のそういう方向性を再確認した。

人間彫刻などの身体表現を活かしたグループワークを師匠は「素晴らしい。これからもどんどんやってくれ」と言ってくれた。
師匠には言えなかったけれど、クオリティを高めて、通訳つきで英語圏でもできるようになれたらいいな。

言葉中心のグループプロセスよりも、言葉の壁を越えて、世界的に受け入れられやすいものを実践していきたい。
世界規模のワールドワークに取って代わるような新しいものを創造するような勢いで。
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by matsuzoh2002 | 2008-02-21 20:00 | 大学院(紛争緩和・修士課程)
3月8日か9日で仕事の打診が入る。

大学院を続けるのであれば、次回渡米の時期に丸かぶり。続ける気なら、日程変更をお願いする所。

けれども中退の決意は揺らいでないので、その日程でも大丈夫とお返事。

一応、もし万が一大学院に戻るようなら、代わりを誰かにお願いできるようにするかもしれないけれど、ほぼ間違いなく大丈夫・・・と付け加えつつ。

もう実際揺らいでないからね。

こうして仕事の予定が入り、代わりの誰かに頼むという面倒くさいことをしてまで、大学院にやっぱり行く!という決断を起こさせるようなことが、起こる気が全然しない。

そんなわけで、気持ちの中に若干の影響を感じつつ、淡々とこの仕事に向かっていくことでしょう。
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by matsuzoh2002 | 2007-11-16 13:47 | 大学院(紛争緩和・修士課程)
「すっぽかされ」かと思いきや、師匠からメールが来て「日程変更してくれってメールしたけど、届いてなかった?」とのこと。

ありゃりゃ。
スパムブロック機能のせいで、はじかれちまったか。この「アドレスは、はじかんといて」…っていう設定もできるけど、頻繁にメールが来る師匠に限って、その設定を忘れてたorz

ありゃりゃのりゃ。


それもこれもスパムが悪いのだ。1日200通とか、アホみたいな量で来やがって。

スパムブロッカーはその200通を一生懸命はじいてくれてるわけだが、たまにこうやって勇み足する。

メールってヤツは、こういうことがあるせいで、100%確実に届かないものなってしまっている。

あ~あ、なんだかな。

師匠を待ってた時間を返せ!腐れスパム達め!
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by matsuzoh2002 | 2007-11-14 20:16 | 大学院(紛争緩和・修士課程)
2時30分から大学院の「師匠」と電話セッションのはずなのだが~。

スカイプオフライン~。携帯・家・オフィス、どこにかけても通じず~。メッセージ残すのみ。

あ~あ(*д*;

ウェブサイトでスケジュール見たら、カナダのビクトリアで12日まで予定が。予定通りならそれでそのあとの予定がすっ飛んじまったかな?

あるいは気候条件などで帰れてない?

さ~。

でも5時間くらい前にはスカイプオンラインの形跡。

連絡くれよ~。待ちぼうけ~

時間に関しては、ダブルブッキングだの、行き違いだの、いろいろある人だけど、困るよな~。
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by matsuzoh2002 | 2007-11-14 15:17 | 大学院(紛争緩和・修士課程)
今日は久方ぶりに大学院のコースの一環で、クラスメイト2人と組んで3人で行なうピア・グループ・ミーティングでした。

僕は中退を宣言したのだけれども、これは続けることになった。

そして、僕はグループの1人、アイルランドの男性の英語がいつまで経っても聞き取りにくく、かつ電話が苦手であり、同時にその彼も電話が苦手であることが、前回のアメリカ滞在中に判明。

じゃぁ、苦手な通話を無理に続けることないじゃん!と、今回からミーティングはスカイプの通話ではなく、チャットでやることになった。

実際のところ、3人で通話していても、もう1人のアメリカ人女性が間に入り

僕⇔アメリカ人女性⇔アイルランド人男性

というコミュニケーションになってしまい、

僕⇔アイルランド人男性

のコミュニケーションは希薄になりがちだった。アイリッシュ英語になじみがない上に、彼の声はこもっていて、直接会っても聞き取りにくいし、電話などもう絶望的に聞き取りにくい。

それが今回チャットしてみた結果、入力の手間は掛かれども、聞き取れない歯がゆさよりははるかにマシだった。

ようやくこの3人にとってよいコミュニケーション手段が見つかった感じ。

アメリカ人女性が長く入力したあと一気に送信する傾向があるので、小出しで送信してもらった方がいいと思う。長いのを一気に読むのは大変だし、小出しなら、分からない単語を辞書で引いたりしながら、次を待てる。
そういうことも今後は要望していこうっと。
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by matsuzoh2002 | 2007-11-07 01:11 | 大学院(紛争緩和・修士課程)
さて今日は、アメリカから帰ってきてから初めての師匠=アドバイザーとの電話セッション。

辞めると決めたことによる心境の変化やら、いろいろと新しいことをやろうとしてることを話す。

話していく中で気づくのは、オープンに語れる場、語れる相手は貴重だなぁ・・・ということ。

ここ最近急に仲良くなった友達がいて、その人とは非常にオープンにいろんなことが話し合えるので、とても心地がよい。

その人がオープンであるがゆえに、僕もオープンになれる。自分からオープンになるのはなかなか苦手なのだけれど。
でもその人だって、誰に対してオープンというわけでもなく、僕が相手だからこそオープンでいてくれてる面もあると思うし、そこは相性とか相互作用とか、そういうことだよね。

そして、オープンになれる・・・というのは僕がワークショップに求め、そしてワークショップを通して、徐々にオープンになっていいんだ・・・ということを学び、身につけてきたのだなぁ・・・ということに気がついた。

コミュニケーションに自信もなく、殻に閉じこもりがちだった(部分的には今も)僕が、いろいろな面で成長できたのは、ワークショップのおかげ。特に演劇系のワークは、いろいろな力を引き出してくれた。
そうして引き出された力をベースにオープンに語り合える友が出来たわけだ。
これはとてもありがたく、素晴らしいことだと思う。

そして、僕がファシリテーターとして提供したいのも、まさしくそういう場なんだよなぁ・・・ということにあらためて気づく。

そこの集まった人たちがオープンになれる場。安心してオープンにつながりを深めていける場。そしてそこでいろんな力が引き出され、お互い支えあい、成長し合える場。

そんな場を創っていきたいんだよなぁ。
そしていろんな人にそこに集まってもらって、オープンなつながりをどんどん広げていきたいんだ。

方向性を再確認できたセッションでした。
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by matsuzoh2002 | 2007-10-18 20:54 | 大学院(紛争緩和・修士課程)
その3の続きです。

いつの間にか「ことば以外の表現を促す先生」になった僕。

例えば、自分のワークショップでやるような演劇系のゲームをやってみるのもいいよね・・・なにをやろうかな?とぼんやり考えながら、テーブルから降りた。

ファシリテーターが「下に降りて教えるっていうやりかた、私は好き」といてくれた。

僕にとっては極めて普通のことだったので「あ、そうなんだ。」と思う。

僕にとっては、「ファシリテーター」=「参加者と対等の立場で、ともに学びあう存在」・・・ということとして身につけてきたので、下に降りるのは極めて当然でした。
(もちろん「対等」というのはあくまで努力目標で、現実には違うんですけどね。)

プロセスワークでの「ファシリテーター」は「リーダーシップを発揮する」ことにも自覚的で、それまでのファシリテーター像とは違うものが求められているのを感じますが、僕にとってのファシリテーター像は、相変わらず「対等」をよしとする感覚は根強いです。

さて、下に降りてみると、何かを教える間でもなく、すでにもともとフロア上にいた人たちは思い思いに踊ったり動いたりしていた。
「すでに動いている人たちがいるのに、無理に何かを仕掛けて動かす必要なんてないし、何も教える必要なんてない!」
そう思って、そこにいる人たちに教えを乞うように、その動きに合流する。
「いいね!その調子でどんどん動いてよ!」ホント教える間でもない。

その一方で、「権力の奪い合い」をした英語話者2人は、フロア上のダンスからは取り残されたように、依然イスの上で立ち尽くしている。

「無理に動く必要はない!『動かない』っていうのも、動きの1つなんだ。そのまま『動かない』
動きを満喫してくれ!」

やがて、フロアで踊る人から、「ことば以外で表現する人は黙ってよ!」とたしなめられた。
もうどっちが先生だか分からないし、それがいい感じ!

そうこうしているうちに、イスの上で立ち尽くしていた2人のうちの1人が、力が抜けてしまったかのように、周りの人に身を委ね、イスから倒れ始めた。
その1で紹介した、「仕事上での二重の抑圧」を話題としてあげた彼女だ。僕も含めて、何人かが、身体を支え、結局、最終的に彼女は床へうつ伏せで倒れこむ形になった。

うつ伏せになりながら、彼女はこう言った。

「Mat(僕のことね)は、大きなことを教えてくれた。まるでガンジーみたいだ。」

ガンジー!
その言葉があまりに突拍子もなくて、その後の彼女の言葉はすっかり覚えてない。聞き取れなかったか、忘れてしまったのか、よくわからない。

ガンジー。
非暴力運動。

確かに、上に立ちながら、権力を「無自覚に振るう」形で行使することはしなかった。
それがどんな風に彼女の胸に響いたのかはよくわからない。
けれども、ガンジーと呼ばれて悪い気はしない。

暴力も「身体で表現する」ことの一形態とも言える。
僕のは明らかに「非暴力」ではある。

けれども、むしろ「非言語」の方が自分としてはしっくり来る。
非言語運動。Non-nerbal movement.

あるいは「身体の動き」を重視したコミュニケーション。
動き運動。Movement movement.

なんのこっちゃ(゜o゜)

でも何となく、自分が何をやろうとしているのか、明確にさせてもらったような気がする。

誰かがマハトマ(Mahatma)・ガンジーじゃなくて、マットハトマ(Mat-hatma)・ガンジーだって言ってくれた。

なんじゃそりゃ~。恐れ多い!

けど悪い気はしないな。

来年のロンドンのワールドワークにどんなモチベーションで参加したらいいのか、今回のプロセスで確信を得た感じがしますよ。

非言語運動の旗手として、ワールドワークが英語が分からなくても味わえる「本当のワールドワーク」に少しでも近づけるように、世界をちょびっと揺るがしてきますよ。

あくまで、「ちょびっと」ね。
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by matsuzoh2002 | 2007-10-03 21:17 | 大学院(紛争緩和・修士課程)
その1その2の続きです。

テーブルの上に上り詰め、英語話者よりも高い立場を確保した僕。

当初対立していた英語話者2人を見下ろす立場。

さっきいた部屋の片隅からこのテーブルの上まではかなり距離があった。ここまで勢いよく走ってきた。

さっきいた場所には、さっきまで一緒にいた日本人クラスメイトがいる。「おーい、そんなところにいてもしんどいぞ。こっちの方が気楽でいいよ」とテーブルからフロアに降りてくるよう促す。他の日本人参加者もそこに加わり、一緒になってこっちに呼びかけてくる。

確かに降りたほうが気楽そうなのは知っている。けれども、ここまで上ってきたからには、なにかここでなければできないことがあるような気がする。それに呼んでいる人との距離は遠く、それほど強く呼びかけられているようには感じない。

テーブルの上・・・この世界のてっぺんにいるという感じがしてくる。

世界のてっぺんにいることを、じっくり味わってみる。

他の誰もを眼下に見下ろす立場。

後ろを振り返って見ると、記録用のビデオカメラが回ってる。「ハロー!世界のみなさん」なんて言ってみる。

1度、もう1人テーブルの上に上がってこようとしたが、2人同時に乗るにはテーブルは不安定そう。僕が下りる前に、もう1人が下りた。

そんなことがあってもそこから下りない僕。
「そこにいるとどんな感じがするのか?」「どうして、そこにいるのか?」「そこにいて何がしたいのか?」・・・いろいろな問いかけを受けて、そこにいる意味を考えはじめる。

「ここはランク(地位・立場)が高い場所だ。せっかく高い場所にいるからには、ランクを有効に使いたい」・・・そういう気持ちが生まれてきて、場にそう伝えた。

ではランクをどう使うのか?

ランクを活かして伝えたいことがある。

今朝を、シャワーを浴びながらくっきり思い出した。
シドニーのワールドワーク以来、僕の中で芽生えた夢。
「ワールド」ワークといいながら、英語が分からないと、参加しても満足に理解できない。これじゃ「イングリッシュ・ワーク」じゃないか。
それを真にワールドワークの名にふさわしいものにしていきたい。
そのためには英語を別の言葉におきかえたところで同じことだ。
言葉のやり取りが中心になってしまう「ワード」ワークのままなら、その言語を分からない人ははじかれてしまう。
言葉以外のコミュニケーションにも重きを置いて、誰もが平等に、言葉以外の表現で相互理解を図る・・・そんなことば以外のコミュニケーションが中心になるような時間・空間が、ワールドワークのすべてがそうでなくても、少しでもいいから、あってほしい・・・。

それでこそ、ワールドワークは真に「ワールドワーク」の名にふさわしいものに近づいていくはず。そう信じている。
そのためのアイデアは僕の中にある。

シャワーを浴びてる最中にも、「今日この夢を語ってみたら?」という声が自分の中で響いていた。ワークのテーマをみんなで選ぶ段階でそれを語るのは、大いに場違いな気がして、語らなかった。
けれども場は思いがけずに訪れた。
僕は世界のてっぺんにいて、周りは、それに耳を傾ける態勢にある。

僕はゆっくりとその夢を語った。

「それは素晴らしい。実際にどうしたらいいのか教えてくれ」そんな声が場から聞こえた。

先生が不在だったこの場で、僕はいつの間にか「教える立場=先生」になったようだ。

ことば以外の表現を促す先生・・・さて、どうしよう?

・・・もう少し続きます。
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by matsuzoh2002 | 2007-10-03 17:18 | 大学院(紛争緩和・修士課程)
その1の続きです。

「二重の抑圧」が話題に選ばれた。
が、僕があげた「英語中心」「ことば中心」だと抑圧されたように感じる・・・という話題よりはむしろ、その「二重の抑圧」という言葉を出したクラスメイトの仕事の話題から進んでいった。

彼女は英語話者であり、当然英語で話は進む。
ついていくのが大変・・・っていうか僕はまったくついていけてない。自分の中のテーマに関心が向いているから、それもまだしょーがないか・・・と思う。「英語中心」で進むこと自体が、僕にとっては抑圧的であることには変わりがない。
英語でのやり取りはかなり早い。集中力があっても聞き取れないかもしれない。僕の気持ちは別方向に向かっているので、もはや聞き取る気もない。

聞き取る気がないならどうしたいのか?話の流れを無視して、「聞き取れないじゃないか!」と叫ぶのは、すでにシドニーのワールドワークでやったこと。同じことをしていては、面白くないし、進歩もない。

何か違うかかわり方はできないか?とぼんやり考えつつ、まずはイスから離れてぼんやり歩いてみる。部屋の真ん中では2人がやり取りをしている。
上下関係のある仕事上のやり取り・・・だと思う。やり取りをしている主な2人を囲むように、ファシリテーターを含む人の輪ができつつあった。

 ●⇔●
○   ○
○   ○
   ○

「何言ってるのか聞き取れず、抑圧された感じ」の僕は、地面にひれ伏しているような感覚が生じてきて、うつ伏せになってみる。
そして人の輪の隙間に、うつ伏せのまま入り込んでみる

 ●⇔●
○   ○
○   ○
   ○
 ↑
 まつぞう

うつ伏せのままでは、ただひれ伏しているだけだ。それではイヤだと思って、仰向けになってみる。
立ってやり取りをしている2人(●⇔●)が視界に入った。
そのまま2人のやり取りをしばらく聞いてみる。2人のうちで地位が低いと思われる立場(ロール)が、相手に「話を聞いてもらってないような気がする」というような発言をした・・・多分。僕は”listen"という単語に反応した。
「僕はこのやり取りを聞こうとしてるんだ。でも聞き取れないんだ、英語のやり取りが早すぎて。」
そして日本語で付け加えた「何言ってるのかわからな~い!」

シドニーでのワールドワークで感情をぶちまけて叫んだときから比べれば、極めて穏当な主張の仕方だったと思う。それでも場の空気は確実に変わった。

他にも日本人は参加していたので、すぐにもう1人味方ができた。

2人が英語でやり取りしているのが場の中心だったのが、確実にシフトして、日本語でやり取りする2人がもう1つの中心として台頭した。

しばらく2人で日本語でしゃべりまくる。場にそのための余地が生まれた感じ。

やがて僕は気づく。「『英語のやり取りが速すぎる!』と非難していたのに、日本語でのやり取りは自然とものすごく速くなっている!」ということに。
思わず笑って、場に英語でそのことを伝える。
ファシリテーターが「母語だと安心してしゃべれるから速くなるんだね」というように、まとめてくれたっけ。
相方の日本人は、それだけではまだまだ満足せず、「英語話者を抑圧してやろう!」とアイデアを出してきた。
日本語を気楽にしゃべれるという勢いで、最初に対立していた2人に、日本語でしゃべりながら迫る。
英語話者2人は逃げ出す。日本語話者2人は部屋の片隅に追い詰める。
思わず「ざまあみろ」なんて言葉が出てきた。そして追い詰めてしまえば、余裕で対応できる。おびえる英語話者を見て、「何をそんなにおびえているの?何か援助が必要なら、私たちは喜んで対応しますよ」なんて、気持ち悪いくらいの余裕しゃくしゃくっぷりをしばし味わう。

やがて追い詰められているのに耐えられなくなった英語話者2人は、部屋の片隅から抜け出し、イスの上に立って、高い立場を再び確保しようとする。

それを見て僕は、もっと高い所があるもんねぇ!という無邪気な心で、テーブルの上へと上り詰めた。日本人相方は、そこへ来なかったので、僕1人になった。

権力の奪い合い。一応、「勝利」したということになるのかな。

長くなったので、さらに続きます
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by matsuzoh2002 | 2007-10-02 23:47 | 大学院(紛争緩和・修士課程)