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身体で思いを形にするワークショップblog

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「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

カテゴリ:プロセスワークの紹介( 16 )

大学院のクラスメイトが東京でオープンフォーラムを開こうという試みに顔をつっこんでることもありまして、オープンフォーラムについて気になる今日この頃。

「オープンフォーラム」という言葉自体は、プロセスワークの専売特許でも何でもないわけで、「オープンフォーラム」でググってみても、プロセスワークに関するサイトは上位には上がってこない。

アーノルド・ミンデルがオープンフォーラムについて書いた本も、日本語訳が出ていないので、プロセス指向のオープンフォーラムってなんなのか、日本語だけでは分かろうにも分かりにくい・・・というのが実情。

そんな中、日本語で読めるオープンフォーラムの実例の記録があるのを思い出した。

プロセスワーカーのマックスを中心としたファシリテーション・チームが、チューリッヒの行政主催で行なったオープンフォーラムの記録→こちら(pdfファイル)

5ページの途中までは理論の説明なので、実例だけを読みたい方は5ページ目の途中からどうぞ。

チューリッヒの広場が、パンクの若者や、薬物やアルコールの依存者のたまり場になっていて、問題行動も多く、特に近隣の商店主が迷惑していて、警察もたびたび出動する・・・という問題に、直接の当事者が集まって行なわれたフォーラム。

それぞれ立場の異なる当事者が、できるだけ集まっている・・・というところがすごいと思う。

もっとも、フォーラムに参加すること自体に反対するパンクが、参加して発言しようとするパンクを非難する場面があるなど、すべての当事者がそこにいたわけではないだろうけれども、できるだけ違う立場の人たちを集めよう・・・というあたりが、まず、深層民主主義的、プロセスワーク的だと思う。

その後の展開はぜひ上記pdfファイルを読んでみてください!

このオープンフォーラムで、例えば、パンクの若者や薬物依存者たちを排除してフォーラムを開催して、その彼らに問題をなすりつけるようなら、けしてプロセス指向のオープンフォーラムとは言えないだろう。

逆に、行政や警察などを目の敵にして、批判ばかりを浴びせても、それもまたプロセス指向でないと思う。

行政が積極的にこんなオープンフォーラムを主催してくれるなんてことは、なかなか出来ることではないと思う。
でも、そんなフォーラムが出来たらいいよなぁ~。

行政主催にならなかったり、当事者を呼ぼうとしても断られたり・・・といろいろなことが起こるだろうけど、その場に来られなかった立場の声も、排除することなく存在を尊重していくのが、プロセス指向のオープンフォーラム・・・ってものでしょう。

日本でもそんな本格的なプロセス指向のオープンフォーラムが、増えていきますように!

※マックスのサイトにあるほかのワールドワーク/グループプロセスの事例も、面白いですよ。こちらからどうぞ
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by matsuzoh2002 | 2007-11-15 19:36 | プロセスワークの紹介
「プロセスワークとは何か?どうして関心を持ったのか?」というテーマで原稿をお願いされてます。

タイトルは自分なりに付け直すからいいのです。
どうして関心を持ったかは、自分の経験を書いていけばいいのですらすら書けました。

でも「プロセスワークは何か?」というのはどこから手をつけていいのか困ってしまう、なかなか大きなお話です。

そもそも日本語に訳せないのかな?という気持ちも出てきて、英和辞典でプロセスを調べたりして。

「過程・経過」というのが日本語でも使われるような意味ですわね。
「プロセスに従う」みたいな言い方をプロセスワークでは良くするのですが、「今起こっていることに逆らわずに従っていく」・・・みたいな意味合いですわね。

でもそれだけではない。「逆らわずに従う」だけだったら、「ほったらかし」同然だが、それだけではない。

「プロセス・チーズ」っていうのがありますよね。加工されたチーズってこと。「~された」だから、ホントは「processd」チーズですが。
この場合は「加工」「処理」って意味合いですね。

プロセスワークは「処理作業」?・・・なんか機械的な響きになってしまう。

「自然の流れに従う」ということが強調されるプロセスワークとはどうも合わない。
どちらかというと、「消化」という言葉がしっくり来るような気がする。

食べ物は、自然にまかせておけば、勝手に消化してくれる。普通は。
たまに消化不良が起こる。
そんな時は消化を助ける胃薬の出番?

化学薬品よりは、自然由来の薬品って感じ。

消化できればすっきり。
心理的な消化不良を助けるのがプロセスワーク?
時は身体症状に効く場合もあるし。
人間関係の消化不良もすっきり良好になる場合もあるし。

薬は、化学薬品にせよ、自然由来の生薬にせよ、なんらかの化学反応が起こるんだよね。

プロセスワークも、普通はそこには着目しないだろう・・・っていうようなところに着目して、なんらかの反応が起こるわけですわな。

そうすることで、初めて消化できるようになる。

「処理」や「加工」のように、機械的なものではなく「消化」によって、ちゃんとそこから栄養を吸収することができる。
避けてしまいこと、無視しておきたいことを、ちゃんと消化することによって、そこから意味を学び取ることができる。

・・・そう考えたら、すっきり消化できてきた感じ。

これがそのまま原稿にはならないと思うけど、プロセスワークとは何か・・・ということについて、自分なりの表現ができた気がする。

さて、原稿も消化できるかな?
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by matsuzoh2002 | 2007-07-25 01:09 | プロセスワークの紹介
今日の夕方、西の空に見た太陽は白くて、月みたいだった。黄砂、すげぇな。

そんな黄砂の中、大川沿いの桜見たさに、うちから天満橋の手前まで、自転車で往復してきた。
黄砂だから西風が強いのかと思ったけど、風はたいしたことなかった。
桜は満開の木もあれば、まだ咲き始めという木もあり、全体では6分咲きくらいだろうか?
今後数日は、暇があれば、またチャリンコ転がして行こう。



そんな桜を愛でつつ、思いついたことを書いてみる。

昨日久々に関西のプロセスワークのコミュニティ・ミーティングに出てみた。

その体験もからめて思ったのは、プロセスワーク/ワールドワークで大事にされている「深層民主主主義」について。

深層民主主義とは、多数決によって少数意見が消されがちな従来の民主主義から一歩踏み込んで、どんな少数の声、小さな声、声にならない声にさえも耳を傾けていこうという姿勢。

プロセスワーク/ワールドワークに参加する立場からすれば、「他の場ではなかなか聞いてもらえない私の声も、この場では聴いてもらえるはず」という期待が生じるのも当然のことだ。

そんな夢を見ながら参加してみて、現実にはどうか?

セラピスト/ファシリテーターは深層民主主義を意識しながら進める。
しかし、あらゆる少数の声、小さな声、声にならない声が拾えるわけではない。
そこには時間的な制約があり、セラピスト/ファシリテーターの力量や偏りによって限界がある。
これはいたし方がない部分ではある。
グループのプロセスワークで、「一時的な解決」を迎えても、数%から数十%には不満が残るといわれている(完全な解決はないとされている)。そしてその不満の中から次の課題が浮上してくる。
制約や限界を、つまりは現状を、自覚しておくことは大事だ。

参加者の「私の声も聴いてもらえるはず」という期待が強すぎると、「裏切られた」という思いにつながりかねない。
深層民主主義の場のはずなのに、一体どうなっているんだ、と。

「完全な深層民主主義」は見果てぬ夢というか努力目標みたいなもので、セラピスト/ファシリテーター1人や2人の力で、限られた時間の中で、やすやすと実現できるものではない。
過度の期待は禁物だ。
現実のセラピスト/ファシリテーターは、制約と限界の中で、「深層民主主義に基づいて今できること」を実践する存在にすぎない。「完全な深層民主主義」はあくまで努力目標。それを期待してはいけない。

けれども、制約や限界に甘えてもいけない。制約や限界を自覚しながら、できる範囲のことをしつつ、周りの助けも借りながら、より深層民主主義が深まるように努めていきたい。

「完全な深層民主主義」に近づくためには、人にそれを要求するよりもまず、自分がそれを体現できるように努めていかなくっちゃ。

「完全な深層民主主義」を実現して、あらゆる小さな声、声にならない声が拾われていく場を実現していくためには、多くの人が束になって、自覚を高めて、ともに進んでいくしかない。

参加する立場から、学び、実践していく立場に移行していく今、「期待する側」も「期待される側」もどっちも分かってきてるわけですが・・・
「過度に期待する人」には、その期待をセラピスト/ファシリテーターに向けるよりは、水から学ぶ力に変えてもらって、「完全な深層民主主義」のために、「ともに学ぶ人」になってもらえたらいいんだよな。

さしあたっては、「深層民主主義に基づいて今できること」を、よりパワーアップしていきますよ。
なんだか漢字の多い文章になってしまってるけど、ホントは、昨日のミーティングでもキーワードになったような「ラテン系」のノリで、夢に近づいていきますよ~んだ。

「深層民主主義」って、言葉が重いから、もっと軽く言えないもんかね?
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by matsuzoh2002 | 2007-04-02 21:51 | プロセスワークの紹介
今度の渡米時の授業の資料を読む。

「高い立場(ランク)にいるときに表れるシグナル」というのを読んで、やたら納得する文章に出会う。

「人間関係に問題が起こったときに、それは相手の問題だと思う。相手が理解できず、相手は狂っていて、非合理的で、動転していて、怒っていると思う。」

「相手の思いや感情をはねつける傾向がある。次のような事を言いながら『そんなに個人的に受け取るな』『気にしすぎるな』『そんなに感情的になるな』」

あぁ・・・去年、高い立場にいる人から「それは君の問題だ」とか「そんなに感情的になるな」とか言われたなぁ・・・と思いだす。

典型的だなぁ~。

「立場(ランク)の高さをうまく使うには」ということも書いてあって、「自分の弱さや傷を見せることもいとわない」・・・とあった。

そういうのは出来ない人だよなぁ・・・。

いやぁ、参考になります。実例を経験していると非常によく理解できる文章だ。

自分が逆の立場にならないように気をつけます。
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by matsuzoh2002 | 2007-02-18 01:06 | プロセスワークの紹介
このブログではないまつぞうのホームページ(更新休眠中)でワールドワークのことを説明したいがためにひねり出した文章です。「ここがわかりにくい」とか「ここってどういう意味とか」コメントがあれば歓迎です。説明は今後も継続していく予定です。

★ワールドワークとは

グループ(組織・コミュニティなど)の変化を促すためのグループワークの手法です。
グループの中に存在する、さまざまな声を聞き、グループの中に生じている「もつれ」をほどいて、無理のない本来あるべき場所に戻していく・・・というような方向性を持ったワークショップ(参加・体験型の学び・気づきの場)です。

グループの中に存在するどんな小さな声にも耳を傾け、尊重するという「深層民主主義」という考え方に基づき、ワークを進めて行きます。

例えば、一般的に「感情的になるのは良くない」とされているために、表に出す事が良しとされない、感情についても尊重しながら進めていきます。
同時に「感情的になるのは良くない」という声も、排除するわけではありません。その声が存在する理由・意義もあるわけで、両者が排除しあうことなく共存できる道を探っていきます。

「感情的になるのは良くない」と言う声と、「感情的になってもいいではないか」と言う声は対立します。
ワールドワークでは、対立と向き合い、むしろ対立が持つエネルギーを活用して、グループをよりよいものにしていくことを目指します。

(もちろん「対立は怖い・向き合いたくない」と言う声も当然存在します。その声を尊重しながら、対立を活用し、対立と向き合うことを試みます。)
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by matsuzoh2002 | 2007-01-11 23:10 | プロセスワークの紹介
金曜日、朝10時。

メーリングリストを活用したオンラインクラススタート・・・!

・・・のはずが、メールちっとも来ない。

僕も、宿題の途中経過(結局完成できてない・・・いまだに(^_^;))を10時になるかならないかのタイミングで送ったのだが、届かない。

明らかにおかしい。

メーリングリストのHPを覗いてみると、エラー表示。
メンテナンス的なことが書いてある。

一気にメールが来て、ダウン?

・・・そんなところかな?と思い、もう1つ、全員入っている別のMLに「バイパス」として投稿してみる。

そんなところへ、担当の講師からメールが来た。

'Yahoo Group'が調子悪いので、予定の11時30分まで様子を見よう・・・とのこと。

すでに10時20分頃。

やっぱり、そうか。
18人学生+講師1人いて、時差の関係で2回に分けてやるとはいえ、10人以上は参加してるだろうから、何もメール来ないわけないよなぁ。

僕がさっき投稿した別MLも調子悪い・・・という講師氏の話だったけど、8分で到着。早くはないが、若干遅い程度。そちらの方がまだマシ。

10時半過ぎ、10時ごろに投稿されたメールたちが、僕のも含めてやっと来る。

遅!
30分以上遅れてては、来たメールに反応するのも、なんか違う気がする。

でも、どれくらい遅れて届くか、興味があって、10時35分過ぎ、1通送信。

そうこうしているうちに、10時45分過ぎ、MLがダメなら、直メールがあるぜぇ・・・と、全員のアドレス宛のメールが来るようになる。

そっか、その手があったか・・・と直メールでいくことに。
クラスは11時30分までの予定。すでに半分経過。

直メールであいさつが飛び交い、やっとスタート。

「非言語シグナルの観察」の宿題は、みなさんそれぞれ楽しみ、かつ、いろいろな気づきがあったようで、今度は「18人で同じ人を観察して、それぞれ気づいた事がどう違うのか、どう違う解釈をするのか試してみたい」というような話を中心に議論が進みだした。

隠れてこっそり観察すると、結局、意識的にやっていたのがどういうジェスチャーで、無意識にやっていたのがどれなのか・・・という正解はわからずじまい。
もちろんわからなくても十分勉強になるんだけど、分かればよりスッキリするよなぁ。

あるいは、観察した後で、「こういうことを勉強してる」ということを明かした上で、観察をさせていただいた方に、話を聴いてみたらどうか・・・という声も出た。
う~ん、これはどうなんだろ、やっぱりプライバシーの観点からすると、「面白そう!」と話に乗ってくる人も少ないだろうなと思い、僕が発言する前に、そんな声も出た。

観察してる事を明らかにしたうえで観察すると、自然な動きにならない。
観察してることを明らかにしない上で観察すると、そのまま明らかに出来ないまま。

・・・どっちかだわなぁ。

前半がぶっ飛んでしまった分、「次はYahoo Group以外を使おう。Skype chatがいいかも」などの話も飛び交いつつ、11時30分はやや過ぎた所で終了。

僕的には、90分活発なやり取りをされたらついていけなかったかも・・・という気もして、ある意味ちょうどよかったかも。

それにしても、YahooGroupの不調に気を取られて、混乱してたなぁという印象が強いのだが、冷静に考えてみると、すごいことなんだよなぁ・・・

あらためて数えてみたら、

お昼前の日本から7人、オーストラリアから1人、夕方~夜のアメリカから講師含め4人、深夜(2時~3時半!のはず)のイギリスから1人、計13人でわぁわぁ言ってたんだ。

インターネットさまさまだよ、こんなことできるの。

途中から「YahooGroup」がゴーストロール(その場に影響を与えているのに、誰もその立場で発言していない立場)だということに気づいていたので、最後の方になって、こんな投稿をしてみた。

「YahooGroupの立場なら、こんな事を言う『僕は(メーリングリストだから)そんな風に使うようには出来てないよ。僕はまだ発展途上で、弱いんだ。優しく扱ってよ」

本編の議論は英語だから、ついていくの大変。

大変がっているうちに、そんなちょっとハスに構えた見方が、降って湧いてきたのでした。

次回からは、SkypeChatを使う事になるかも・・・ということもあり、skypeをちょっといじってたら、クラスメイトからコンタクトがあり、1時間ほど英語でチャットしてた。

大人数で英語でわぁわぁいってるのについていくのは大変だけど、1対1はなかなか楽しかった。電話でしゃべるよりいいかもな。

これもまたスカイプさまさまだわよ。いろんな面白い事が出来るようになってるよなぁ。
しかもタダだし(^・^)v

日本時間午前1時から、主にアメリカ・ヨーロッパ・アフリカ在住者対象の第2ラウンドも開講。
やっぱり「観察者が影響を与える事について」などが話のテーマになっていたようでした。

次の日にワークショップの予定が入っていなかったら、参加したところだったけど・・・。

4回シリーズなので、3回目からはどっちも参加できそう。楽しみだ。
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by matsuzoh2002 | 2006-10-08 17:23 | プロセスワークの紹介
mixiの日記で、友達が、「子どもが、過去に起こったことや、見聞きしたことを、何度も話す。それも、脈絡なく突然言うから、、『え?何の話だっけ??』って、よくなる」と書いてるのを読んで、今勉強中の「プロセスワーク」でとらえてみると面白い話だなぁ、と思った。

プロセスワークでは、「現実」の世界と並行して、「夜見る夢」的な世界が、目覚めている間も起こっている・・・と、とらえてるんです。
突然過去の出来事を思い出したり、昔聴いた歌が頭の中で響いたりするのは、現実の隣で並行してる「夢」が、現実に顔を出してくるから・・・って考えると、確かに僕的には腑に落ちます。

夢の世界って、時間的にも空間的にも、現実ではありえない事が起こるし・・・。

そんな、現実に顔を出してきた「夢」を、大人の場合は、特に人に語ったりする場合は、「なぜか突然思い出したんだけど」などと、前置きをしてから語るけど、子どもの場合は、夢と現実が一緒になりがちなので、そのまま語っちゃったりするんでしょうね。
現実と物語の中の世界が一緒になっちゃたりするのも、同じようなことだと思います。

大人でも寝ぼけてたり、ボーっとしてたりすると、夢的なものをそのまま語っちゃったりするし、夢と現実は切っても切り離せないものですね。
切り離したつもりで、切り離せない部分がいろんなトラブルを巻き起こしたりするんですよね。

忘れたい出来事がトラウマとして残ったりするのも、夢が顔を出すから・・・と思えば、わかりやすい。

「プロセスワーク」は、セラピーの一種ですが、そういう夢的なものも扱っていくので、面白いです。
ただセラピーの一種と言うだけでなく、子どもと遊んだりするのにも、役立ちそうだし。
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by matsuzoh2002 | 2006-04-11 09:58 | プロセスワークの紹介
Gary Reiss著Angry Men, Angry Women, Angry World: Moving From Destructivenss To Creativityを読んでいる。

読んでいるといろいろ、現実に起こっている=怒っていることを思い出して、なかなか読み進めなくなることしばし・・・。
なかなか大変です(^^ゞ
地道に取り組むしかないですね、怒りは。

「怒れる人(男性)の4つのタイプ」というのが興味深かったので、書いてみます。

タイプ1、怒りでコントロールが利かなくなる

 肉体的に怒りを表現し、他傷/自傷に向かいがち。

タイプ2、怒りを抑える

 関係性の中で衝突は少ないが、抑えた怒りはどこかへ向かう。
 身体症状に表れたり、薬物・アルコール依存に陥ったり・・・

タイプ3、怒りを通して学び、成長する

 怒りを表現し、そこから、学んでいく。
 個人的には、学びが深まってよい・・・
 ・・・のだが、相手にとっては、怒りをぶつけられることに変わりはないので、迷惑なタイミングかも。
 関係性を壊すおそれあり。

タイプ4、悟りとともに怒りに接する(怒りを扱う事に関する黒帯保持者)

 自分の心身を護るために、怒りを処理(プロセス)し、表現する。
 自覚を持って、相手のフィードバックに沿いながら、怒りを表現する。
 自分の怒りを表現するだけでなく、議論の中で、相手の立場に立つこともできる。

・・・というような分類がされています。(同書p.33-38)

僕は、大体タイプ3ですね。
もちろん、日常怒りを抑えざるをない場面も多いので、タイプ2でもあるが、必要に応じて、表現して、そこから学んでいる。
肉体的に自他を傷つけることはほぼないので、タイプ1は薄い。

タイプ3は突き詰めるところあるよなぁ・・・。
人にご迷惑をおかけするが、自分は正しいと思っているから、突き詰めるのだな。

しかし、これもめったに発動しない。
無自覚に侵入してくる人に対して、反撃の怒りをぶつけることがほとんだ。
これはこれで、僕的には当然「正しい」。だから、「侵入してくる相手が悪いんだから、これでいい」と、自分を弁護して、このタイプを続けていくことも可能ではある。

しかし、プロセスワークを学ぶということは、タイプ4を目指すということだからね。
自分の怒りを興味深く眺めつつ、活用していき、怒っているのを自覚しつつ、相手の立場をおもんぱかる・・・というところに入っていこうとしているわけだ。

無自覚に侵入してくる相手の立場をおもんぱかる・・・なかなか難しいだろうな。
でもトライしてみよう。
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by matsuzoh2002 | 2006-04-10 23:45 | プロセスワークの紹介
直前の投稿では、少しネガティブに響くであろう記事を書きましたが、実際にはそのMLでは、「やんちゃ」だった僕のことを、僕が想像するより、はるかに暖かい雰囲気で、僕を迎え入れてくれている感じがします。なんてうれしいことでしょう!



僕が今勉強中のプロセスワークに関して、ぐんぐん学びが深まっている感じがします。

プロセスワーク(プロセス指向心理学)はセラピーの一種ですが、どんなセラピーの一派のセラピストでも、セラピーを行なう際には、どうしても自分の個性が顔を出し、その個性に伴って、対応の範囲が狭まったり広まったりするものだと思います。

僕にとっては、プロセスワークはすべてのセラピー的なものを統合するようなものとしてとらえられており、あらゆる対立的な要素(例えば、「強さ」と「弱さ」など)をあわせ持っていればいるほど、よりしなやかに、様々な事態に対応できると思います。

僕はそれを、あたまでの理解にとどまらず、身体で会得していく・・・どんどんそういう時期が来ています。
まだまだ先は長いのですが、最近のプロセスワークにまつわる体験は、僕を驚くような学び・気づきへと導いてくれています。

対立する要素を、自分個人の中に、あわせ持つ・・・。

わかっちゃいてもむずかしいことです。



ピシッとしてても、同時にフニャっとしたところも持っている。

男性的であり、女性的でもある。

・・・などなど。

すべてをあわせ持つなど不可能ですが、少なくとも出てきやすい「偏り」は、自覚的に対処しておく必要があります。

僕には本格的な修行の日々が近づいています。

厳しいこともあるだろうけど、トータルでは楽しいはずの日々でしょう。
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by matsuzoh2002 | 2006-03-05 03:15 | プロセスワークの紹介
僕がサッカーの対戦相手だと思っていたチームは、実は、すでに、帰る気満々だった。

ユニフォームの片隅に、「ホントは俺たちと対戦するのは有料なのに、なんでお前なんかと対戦しなきゃいけないんだ」って書いてあるのに、僕たちは気づかないままでいた。

しかし、ある時、それに気づいてしまった。

気づいた瞬間、その相手との戦意は喪失された。

有料で強い相手と戦う必要も感じるが、この相手ではないと思う。

他にも相手を見つけられるし、この相手にこだわる必要はない。

ただ、なかなか面白い対戦相手なので、礼を失しない範囲で、観察は続けていきたいと思う。

この相手に集う人たちとの関係は保っておきたいしね。

その人たちとの関係は、僕にとってはかけがえのないものになりつつある。

その中心にいるその人・・・愛すべき人ではあるのにな。

関係が微妙になってしまった。

なんでだろう・・・って思うと、自分が変わったからだと思う。



プロセスワーク用語で、「ダブルエッジ」というのがある。

「エッジ」というのは、「自分が未知の領域に進もうとする時にぶつかる、心理的な壁」のようなもの。

例えば、「マジメだ」と自分を思っているAさんがいるとします。
そのAさんが、「遊びの誘惑」にかられる時、誘惑に負けじと「そっちに行ったら、今まで築いてきたことが台無しになる」というような声が内面で聞こえる・・・というような場合、そこには「遊ぶことに対する抵抗」というエッジがあります。

越えれば、そのAさんは、遊び始める。越えなければ、その人はマジメなままでいる。

何の苦もなく遊べるような人には、そこには何のエッジもないわけで、何に対してエッジがあるかは、人それぞれです。

そして1人の人がエッジを越えた時、その人の周りの人にも影響が及びます。

マジメ一筋だったAさんが、遊ぶようになった。

そのことに何の影響を受けない人もいますが、人によっては、影響を受け、自分のエッジに向き合うことになります。

例えば、Aさんのマジメ一筋が大好きだったBさんは、その人を嫌いはじめるかもしれません。

「Aさんのマジメさが好き。だからマジメでないAさんなど見たくない。」
「Aさんが好き」から「嫌い」へ。
その人を嫌うことに対する抵抗=エッジは、「今一時的に遊んでるけど、あの人のマジメさは変わったわけではない」という声で、その人を好きでい続けるようにするでしょう。
けれども、Aさんが遊び続ければ、Bさんはエッジを越える方へと揺さぶられ、嫌いになってしまうかもしれません。

このように、1人がエッジを越えたり、エッジと向き合うことで、周囲の関係があるもう1人も、エッジと向き合うようになる・・・という状態がダブルエッジ・・・と理解しています。

僕はいろいろなエッジを今すでに越えたり、越えつつある所にいる、と感じてます。
そのことで、すでに僕の周りにあった人間関係は、多少なりとも、影響を受けていくことでしょう。

その影響はぼちぼち表れはじめています。
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by matsuzoh2002 | 2006-03-01 10:40 | プロセスワークの紹介