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身体で思いを形にするワークショップblog

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「こうなってほしい!」「そのためには、今どうすればいい?」そんな思いを、「体で感じる」ことを重視しながら表現するワークショップの進行役(ファシリテーター) まつぞうのblog

カテゴリ:「ロールプレイ屋」とは( 7 )

ホームページに載せる用に文章を考えてみた。

まだまだ変わっていきそうだが、試みにここに載せてみる。

☆ミ★彡☆ミ★彡☆ミ★彡☆ミ★彡☆ミ★彡☆ミ★彡☆ミ★彡☆ミ★彡

まつぞうの目指す「楽しい変革」とは?


現代では失われがちな、人とのつながり。
人と人をつないでいるコミュニケーション。
中でも特に、失われがちなのが、言葉以外のコミュニケーション。

つないでいくために必要なのは、生活の中で活かせる、手軽で身近な遊びとアート。

アートは、特別な人だけのものではない。

もともと、誰もがアーティスト。
潜在的に表現する力を持っている。
その力を引き出していくための、ワークショップを推進していきたい。
そして、もともと、生活の中にあったアートを取り戻す。

それを活かした、身の周りから、世の中全体への「楽しい変革」

自分たちが世の中を回しているんだ・・・という感覚を手にする。

   ・・・自分たちは、世の中を享受しているだけの、受け身の存在。
     あるいは世の中の犠牲になっている存在。・・・

ついつい、そう思いがちだけど、それだけではない!
世の中は積極的に、変えていけるんだ!・・・という感覚を手にする。
変えていくための想像力と、創造性を身につける。

そして、世の中をよりよい場所へと、より幸せな場へと、変えていく。
そのための力を、一人ひとりが手にする。

・・・そんな夢の実現を目指して、僕自身が、想像力と創造性をフル活用して、いろんな人とつながりながら、自分の身の周りから、世界を変えていく・・・。

楽しい世界に変えていく。

そうしていきたい。
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by matsuzoh2002 | 2006-04-05 14:44 | 「ロールプレイ屋」とは
「楽しい変革のための 創造的ロールプレイ」をホームページのタイトルにしようと書いてから4日。

・・・やっぱり変更!

「まったりロールプレイで 楽しい変革!」にしようかと思います

自分のファシリテーターとしての持ち味が「まったりしている」と、よく言われるので、それを生かしてみようと思います。

からだで表現するとか、そんなことできない!苦手!と思っている人にも、す~っと入って来てほしい・・・というおもいがあるので、「創造的」とかつけることで、構えられてしまうよりも、肩の力を抜いてもらう方がいいかな・・・と。

そのためには、「まったり」いきましょう。
ブログの文章だと硬めに見えるかもしれないけど、生身の僕は、まったり・・・なんですよねぇ、どうも。

「変革」はギャップを演出するために残しておきましょうか。
「まったりとした変革」でもいいかもしれないけどね。

とにかく、出来るだけ、緊張を強いる場にはしたくない・・・特に最初のうちは。ということです。
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by matsuzoh2002 | 2006-04-04 06:22 | 「ロールプレイ屋」とは
・・・というタイトルでホームページをリニューアルしようと思います。

リニューアルしたいなぁ・・・という思いは前からあったのですが、なかなか動き出せませんでした。

「ロールプレイ屋」という自称が、自分なりになじんできたこともあり、「ロールプレイ」ということばは使っていこうと思った。

「演劇」は、いわゆる「演劇」の勉強を積んでないので使いづらい。

「からだでしゃべる」とか「からだで語り合う」という言葉を使ってきたが、今ひとつイメージされにくい。

「ロールプレイ」は心理学方面やいろんなセミナーなどでも、使われているので、まだイメージされやすいかな・・・という感じがするので、これでいってみようと思います。

けれども、ロールプレイの多くは、「唐突」な導入をされて、ぎこちないものになっているケースが多いように思う。
ロールプレイは、普段の自分の視点を離れることで、効果があがる場合も多いのに、唐突に導入すると、普段の自分を引きずったままになってしまって、効果が薄くなってしまうと思う。

からだを使ったコミュニケーション・ゲームなどを経て、参加者が準備OKという感じになってきてから、初めて導入するものだと思う。
ゲームが、創造性を引き出してくれて、ぎこちないものから、楽しいものへと変化していく。

そこで「創造的ロールプレイ」とつけてみた。
僕のやりたいことは、「ロールプレイ」と「演劇」の間くらいだと思う。
演劇は一般の人には敷居が高い。
かと言って、ぎこちないロールプレイは面白くない。
クリエイティブに、楽しくいきたい。

そして、目指すは「変革」。
それも「楽しい変革」。

自分を変えるだけでなく、自分の身の周りも変えていこうとする。
身の周りを変えていくことの先には、社会全体・世界全体を変えていこうということを視野に入れている。

アウグスト・ボアールの「被抑圧者の演劇」
は、演劇を通して、社会を変えていこうという実践だ。
僕の実践もそこを下地にしている。

でも、あくまで楽しい実践だ。
「からだを使ったコミュニケーション・ゲーム」は、どれも楽しいものばかりだ。
その楽しさを活用して、自分を、自分の身の周りを、そして社会/世界を、どう変えていくか、楽しく探っていく実践だ。

今勉強中のプロセスワーク/ワールドワークとも矛盾しない。
両者の融合を目指して、自分なりの実践を重ねて生きたいと思う。

・・・と宣言した上で、ホームページの組み立てを考える作業へと向かう。
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by matsuzoh2002 | 2006-03-31 16:31 | 「ロールプレイ屋」とは
先ほどの記事と同じくFTCでのお話。

長年、「いろんな役割を演じてみる」という「ロールプレイ」的なことを続けているわけですが、それが実際に役立ったという、自称「ロールプレイ屋」の僕としては、とてもうれしいお話です。

かなり長い間参加していただいているAさんの、実際にあったエピソードです。



Aさんは、高校生のお子さんをお持ちなのですが、お子さんが学校で、どちらの科目にするかという選択が必要になったようです。
選択によって、新年度の授業の組み方に影響が出るらしく、「1度決めたら個人の都合での変更は認めない」ということだったそうです。

お子さん自身は「特にどっちが好きとかないから、どっちでもいい」という感じ。
Aさんは、ご自身の経験などから、「P」と「Q」のうち、Pの方を薦め、お子さんもPに決めました。

ところが、全員の選択の結果を聞いてAさんはビックリ。
圧倒的多数がQを選んだとのこと。
この場合はQの方が無難で、Pが好きだという積極的な理由でもなければ、Qでしょ・・・と、一般的に言われている・・・という情報を後から聞いて、Aさんは愕然とします。

事前に学校が情報をくれていれば、当然Qを選んだのに・・・という思いから、Aさんはお子さんを励まし、学校に、変更を掛け合います。
しかし、「すでにお伝えしている通り、1度決めたら変更は認めない。」と学校は冷たい対応。

Aさんは言っても聞いてもらえないからって、あきらめてはダメだ。何度も言う方がいい・・・と思いました。
が、お子さんは渋ります。

「あなたに直接関わってくる問題なんだから、あなたが気が済むまで何度も言えばいいのに、なんであきらめてしまうのよ!」・・・と、おそらくAさんも焦れったかった事でしょう。

けれども、Aさんはそのことを子どもにぶつけるのではなく、お子さんの立場を、身をもって味わいながら、今後の対策を考えてみることにしました。

ロールプレイの登場です。

Aさんがお子さんの立場をとり、お子さんに先生役になってもらう。

細かいセリフのやり取りなど必要なく、ただ設定を決めて、その場に実際に立ってみる・・・ただそれだけで、ロールプレイはうまくいく場合も多いです。

Aさんは、お子さんの立場から、先生・学校にそれを言い出していくことが、いかに難しいかを、ロールプレイを通して実感しました。

生徒の立場から言うのは難しい・・・そんなお子さんの気持ちを十分汲み取りながら、それでもやっぱり、「変更したい」という思いを、気が済むまで学校に伝えていきたい・・・

そんな思いとともに、Aさんが先生役になり、お子さんが先生に思いを伝えるというロールプレイによる作戦会議・予行演習を、Aさんとお子さんはやってみました。

その上で、お子さんはあらためて「変更を認めてほしい」と学校に伝えました。

そして、その結果・・・「例外的な扱いですが」と強く念を押された上で、PからQへの変更が認められたということです!

お子さんはスッキリし、納得した様子。

Aさんも、お子さんの成長を喜び、今後、困難をお子さん自身で乗り越えていくための自信がつくような、大きな経験になったのではないか・・・と思っています。



今回は学校が認めてくれましたが、結果が出るかどうかは、ロールプレイだけではどうしようもない部分です。

ですが、例え、結果が伴わなかったとしても、その過程で、Aさんとお子さんはロールプレイを役立てて、大きなことを学ばれたと思います。

結果が伴えば、もちろんうれしいですが、結果はともかく、過程をよりよいものにできる・・・。

タイトルの「家庭で役立つロールプレイ!」は、最初・・・

「過程で役立つロールプレイ!」と変換されました。

それもまた、真なり、です。
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by matsuzoh2002 | 2006-03-11 08:23 | 「ロールプレイ屋」とは
「新しい多重人格者」という生き方(仮) ~プロローグ~などということを、しばらく前に打ち出したものの、ちょっと慎重に行きたい。

実際に多重人格だということにされてしまって(現在は「解離性同一性障害」と診断されるそうだが)、苦しんでいる方にとって、僕が「新しい多重人格(者)」などという言い方をすることが、ポジティブな影響を及ぼすかどうかわからない。
ちょっとこの言葉は棚上げしておく。

その代わりに、僕は、自分のことを「ロールプレイ屋」と呼ぼうと思う。

ネット上ではロールプレイヤーという言葉はすでに少なからず飛び交っていて、それは、僕もそうではないかと予想したのだが、ロールプレイングゲーム(RPG)に興じる人たちのことだった。

僕もパソコンでRPGをするのは好きだが、それをする人のことではない。

生身の身体で行なうロールプレイだ。(ボードゲームのRPGでもない)

教育・心理療法(セラピー・癒し)の場などで用いられる、現実、またはそれに近い場面を演じながら、そこから学び・気づいていこうとする手法の総称。
それがロールプレイ。

ロールプレイを活用する手法は、たくさんある。

サイコドラマ、ゲシュタルトセラピー、ドラマセラピー、プレイバックシアター、教育・研修目的の「インプロ」などなど・・・

そして、僕が勉強してきた、ブラジル発で世界に広まっている「被抑圧者の演劇」や、フィリピン教育演劇協会(PETA)など、開発途上国を中心とした「民衆演劇」もここに含まれる。

そして、現在勉強中のプロセスワーク/ワールドワークも含まれる。

それらすべての実践者をすべてまとめて「ロールプレイ屋」と呼んでいけたらいい気はするが、とりあえず、まず僕が名乗っていきたい。

RPGに飲み込まれて、言葉としては目立ちにくいのかもしれないのだが、僕自身がRPGも好きな上に、ロールプレイ屋になったように、橋渡しがしていけるかもしれない。

しばらく考えた上で、おそらくブログのタイトルなど、トータルコンセプトにまとめ上げ、ロールプレイ屋の全貌は明らかになっていくだろう。

まだちゃんと読んでないけど、身近にサイコドラマの現在 現代のエスプリ459
が置いてあることが刺激になって、この記事は生まれた。

「記事」が「生地」って変換された。
生地・・・には、「自然のままの性質」って意味もあるらしい。
ロールプレイ屋であることは、どんどん自分の「生地」を出していくことだと思う。

きっと素晴らしい日々の始まりだ。
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by matsuzoh2002 | 2006-03-02 07:32 | 「ロールプレイ屋」とは
「新しい多重人格者」の話を少しずつ、書いていこうと思います。

まず何が「新しい」のか、決定的な部分に触れておきたいと思います。

僕はそれは、「メタコミュニケーター」という存在がいるかいないか・・・ということだと思っています。

「メタコミュニケーター」とは、「自分を客観的に見ようとしてくれる、もう1人の自分」とでも言うような存在です。

自分の中にいろいろな部分があらわれるようなとき、例えば「あの人が大好きだ」「でも振られるのが怖くて、告白なんかできない」という2つの気持ちが並存しているときがあるとしましょう。
そんなとき、「うんうん、どっちもわかるよ」・・・と自分の中のそれぞれの部分を、客観的に見て、それぞれ何を感じ、何を思っているのか、同時に把握している部分・・・といえると思います。

「メタコミュニケーター」とは、今勉強中の、プロセスワークの用語です。

ただ、そういう言葉で認識するはるか前に、僕はその存在に気づき、活用しつつも、その存在を不思議がっていました。
必ずしも、誰にもその存在がいるわけではないようだ・・・というのにはうすうす気づいていました。
その存在はいるけど、そんなに重要視してない人が多いのかな?という気はしてました。

いずれにせよ、自分だけ?という感覚がどこかつきまとっていました。
「とっても大事な存在なのにな・・・」と思いつつ。

僕がこの存在をしっかり意識し、かつ、ポジティブにとらえるようになったのは、「ふたり」という、大林宣彦監督(赤川次郎原作)の映画を見たのがきっかけでした。

15年くらい前に見たので、ディテールの記憶があいまいです。
もう1度みたい!という気持ちが高まっているので、近々、改めて観てみて、ここにあらためて、そのことを書きたいと思います。

そして、これからの人生、僕は、この「メタコミュニケーター」に、今まで以上に重視して、フルパワーで活動してもらおうとしています。
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by matsuzoh2002 | 2006-03-01 01:05 | 「ロールプレイ屋」とは
さまざまな気づきが立て続けに起きる中で、ある瞬間、僕はこれからこういう風に生きていくしかない、そう生きていけばいいんだ・・・というものが、驚くほどクリアに見えた。

それには「『新しい多重人格者』という生き方」という名前をつけたら、腑に落ちた。

これは新しい考え方なのだろうか?

もしそうなら、僕はそれを、本にまとめて、世に問う必要があるのかもしれない。

すでにそういう生き方をしてる人はいると思うし、別の名前がすでに存在するのかもしれない。

けれども、少なくとも、今の僕の所には、その別の名前は届いていない。

ならば、苦しんでいるかもしれない、そういう生き方をしている僕以外の人たちに、僕が名づけることで、何らかの福音がもたらされるかもしれない。(福音なんて言葉、初めて使った(^^))

マスメディアで、名前が消費され、揶揄され、ズタボロにされるのが、今、リアルに想像できて、胸が痛んだ。
ただ、これをリアルに想像できるということは、僕の一部が、「すでに書いた気になっている」というのも事実だ。

やっぱり書いて世に問うんだろうか?

・・・今、「世に問う」を打ち間違えて、「世に酔う」になった。
「世に酔う」って打とうとしたら「世に要」になった・

世に問う・・・は大げさすぎるな。

むしろ、アホな本を書いて、世に酔いたい。
でもそれが世の中には必要なんだと言いたい。

書くならアホな本にしよう。それが必要なんだ。
そう思った。
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by matsuzoh2002 | 2006-02-28 08:26 | 「ロールプレイ屋」とは