押し付けられる伝統と抗う恋の炎 …エルサレム・ワールドワーク報告その10
その9の続きです。忘れた頃に続く報告です。
とびとびに書いてた記事をまとめて読めるように、「ワールドワーク@エルサレム07」というカテゴリを作りました。さかのぼって読まれたい方は、そちらをどうぞ。
さてさて、エルサレムワールドワーク3日目=最終日、2007年5月19日(土)午後。
パレスチナの人の声を主に聞いていこうという流れの中で、ある発言があった。
どんな流れで出てきたのか覚えがない。突然出てきたと言う印象。
それはあるパレスチナの参加者への非難のようなものだった。
パレスチナ・イスラエル以外のある参加者(女性)と、そのパレスチナの参加者(男性)が、結婚もしていないのに公然と「いちゃいちゃ」しているのはけしからん!というのだ。
確かに僕もその場面は、ワークの合間に見かけていた。
「へ~、仲いいんだ」とは思っていたけど、個人的には「まぁ、大胆だね~」とは思えど、「けしからん」とは思わなかった。
しかしイスラムって、男女の関係に関して厳しいんだよな・・・ということは漠然と知ってはいたので、「けしからん」という反応があるのもわかる気はした。
持ち出されてくるのは「伝統」だ。
「人前でのいちゃいちゃ」のみならず、「交際」自体が問題視されている。
「社会が危機にあるときには、文化的・宗教的伝統が心のよりどころになり、それを守ることが重視されることはよくあることだ」とそれをサポートする声が上がる。
なるほど、と思う。
パレスチナが危機にあるのは確かだ。しかし、そんな時に文化的・宗教的な伝統を重視する声・・・いわゆる原理主義ですか。
日本でもモラルやら秩序やらの乱れを嘆いて、戦前を懐かしんだりする声はあるよね。
そういう声があるのは、僕も知的には理解できる部分はあるが、感覚的にはそんな時代遅れのものを持ち出されてもねぇ・・・。われわれの意識や感覚はもうそこには戻れないんだよ!」と思う。
・・・日本の状況に対しては、そう言える。
しかし、イスラム社会、パレスチナ社会は異文化・異社会なので、口は出しにくい。
ただ伝統を持ち出されるのは窮屈だなぁ・・・と思う。
イスラムの女性に惚れた経験はないけど、将来そんな機会がもしあっても、そういう伝統の存在は障害になるだろう。それゆえにあきらめないとも限らない。
伝統を押し付けられることに対するやりきれなさ・・・それに対して、非難を受けた当事者以外の、別の非イスラエル/パレスチナ以外の参加者からも強い反応が現れ、「伝統を押し付けられることで、自分らしく生きることが認められない辛さ」が語られた。それは、イスラエル/パレスチナの対立を越えて、世界各地で起こっている普遍的な問題だと思う。
イスラエルのセクシュアル・マイノリティからもいくつか発言があった。
パレスチナのセクシュアル・マイノリティ・・・そういう傾向もないことはないだろうに、なかなか表には出てきにくいようなことになっているんだろうな・・・きっと。
ジェンダーやセクシュアリティに関しては、非常に抑圧的な「伝統」は多い。時代の変化によって、自分のあり方・生き方を肯定できるようになっているのに、時代遅れの伝統を持ち出されるのはホントに勘弁してほしいと思う。
ワークは、パレスチナの男性が、皆の前で、その女性に対して「愛している」と公然と語る展開となった。
異なる宗教・文化の間での恋愛・結婚には大きな困難だ付きまとうけど、幸あれ・・・と全体的にサポートする雰囲気ができて、終わっていった・・・と思う。もう5ヶ月前だから忘れかけているけど。
パレスチナとイスラエルの人の間にロマンスはありうるのだろうか?と、ふと今思った。
接触する機会がほとんどないから、ロマンスもほとんどないのかもしれない。
今回話題になったのはパレスチナと非イスラエル/パレスチナの2人の間の恋のお話だった(2人はこのワールドワーク以前に知り合ってた)けど、イスラエルとパレスチナの参加者の間に恋が生まれて、ワークの中で話題として取り上げられるほどに、両者の接触が密になるくらいこのワールドワークが続いていくと面白いな・・・とふと思った。
*
来年のエルサレムワールドワークも5月9日~12日で日程が確定したようです。
多分来年も行きます。
今年のワークの報告はもう少しだけ続きます。
とびとびに書いてた記事をまとめて読めるように、「ワールドワーク@エルサレム07」というカテゴリを作りました。さかのぼって読まれたい方は、そちらをどうぞ。
さてさて、エルサレムワールドワーク3日目=最終日、2007年5月19日(土)午後。
パレスチナの人の声を主に聞いていこうという流れの中で、ある発言があった。
どんな流れで出てきたのか覚えがない。突然出てきたと言う印象。
それはあるパレスチナの参加者への非難のようなものだった。
パレスチナ・イスラエル以外のある参加者(女性)と、そのパレスチナの参加者(男性)が、結婚もしていないのに公然と「いちゃいちゃ」しているのはけしからん!というのだ。
確かに僕もその場面は、ワークの合間に見かけていた。
「へ~、仲いいんだ」とは思っていたけど、個人的には「まぁ、大胆だね~」とは思えど、「けしからん」とは思わなかった。
しかしイスラムって、男女の関係に関して厳しいんだよな・・・ということは漠然と知ってはいたので、「けしからん」という反応があるのもわかる気はした。
持ち出されてくるのは「伝統」だ。
「人前でのいちゃいちゃ」のみならず、「交際」自体が問題視されている。
「社会が危機にあるときには、文化的・宗教的伝統が心のよりどころになり、それを守ることが重視されることはよくあることだ」とそれをサポートする声が上がる。
なるほど、と思う。
パレスチナが危機にあるのは確かだ。しかし、そんな時に文化的・宗教的な伝統を重視する声・・・いわゆる原理主義ですか。
日本でもモラルやら秩序やらの乱れを嘆いて、戦前を懐かしんだりする声はあるよね。
そういう声があるのは、僕も知的には理解できる部分はあるが、感覚的にはそんな時代遅れのものを持ち出されてもねぇ・・・。われわれの意識や感覚はもうそこには戻れないんだよ!」と思う。
・・・日本の状況に対しては、そう言える。
しかし、イスラム社会、パレスチナ社会は異文化・異社会なので、口は出しにくい。
ただ伝統を持ち出されるのは窮屈だなぁ・・・と思う。
イスラムの女性に惚れた経験はないけど、将来そんな機会がもしあっても、そういう伝統の存在は障害になるだろう。それゆえにあきらめないとも限らない。
伝統を押し付けられることに対するやりきれなさ・・・それに対して、非難を受けた当事者以外の、別の非イスラエル/パレスチナ以外の参加者からも強い反応が現れ、「伝統を押し付けられることで、自分らしく生きることが認められない辛さ」が語られた。それは、イスラエル/パレスチナの対立を越えて、世界各地で起こっている普遍的な問題だと思う。
イスラエルのセクシュアル・マイノリティからもいくつか発言があった。
パレスチナのセクシュアル・マイノリティ・・・そういう傾向もないことはないだろうに、なかなか表には出てきにくいようなことになっているんだろうな・・・きっと。
ジェンダーやセクシュアリティに関しては、非常に抑圧的な「伝統」は多い。時代の変化によって、自分のあり方・生き方を肯定できるようになっているのに、時代遅れの伝統を持ち出されるのはホントに勘弁してほしいと思う。
ワークは、パレスチナの男性が、皆の前で、その女性に対して「愛している」と公然と語る展開となった。
異なる宗教・文化の間での恋愛・結婚には大きな困難だ付きまとうけど、幸あれ・・・と全体的にサポートする雰囲気ができて、終わっていった・・・と思う。もう5ヶ月前だから忘れかけているけど。
パレスチナとイスラエルの人の間にロマンスはありうるのだろうか?と、ふと今思った。
接触する機会がほとんどないから、ロマンスもほとんどないのかもしれない。
今回話題になったのはパレスチナと非イスラエル/パレスチナの2人の間の恋のお話だった(2人はこのワールドワーク以前に知り合ってた)けど、イスラエルとパレスチナの参加者の間に恋が生まれて、ワークの中で話題として取り上げられるほどに、両者の接触が密になるくらいこのワールドワークが続いていくと面白いな・・・とふと思った。
*
来年のエルサレムワールドワークも5月9日~12日で日程が確定したようです。
多分来年も行きます。
今年のワークの報告はもう少しだけ続きます。
by matsuzoh2002
| 2007-10-08 00:29
| ワールドワーク@エルサレム07