ゴーストロールに入るのはいいけど、出なきゃ ・・・FTC11月振り返りその2
11月のFTCは、二つのテーマでワールドワークができました。
(結局、撮影したビデオは、まだ見れてません)
一つ目のテーマは、「知り合い二人が揉めている時、どう関わるか」について。
個人の事例をもとに、展開していったこともあり、細かい流れなどをここでは書かないと思います。
二つ目は「『愛のある暴力・体罰』を認める子ども」について。
ある参加者が中学生対象にワークショップをしたところ、「しつけのためには、暴力・体罰は必要だ」と答える生徒がほとんどだった…というケースが、話題の入口となった。
ワークを進めていくと、「愛のある暴力肯定の子ども」の周りには、当然「暴力を振るう大人」がいて、「暴力を愛で正当化している」と、非難する声が出た。「暴力反対」のロール(立場・役割)と言えるだろう。
一方、暴力肯定の立場からは、誰も発言していない。ワールドワーク用語でいうところのゴースト・ロールです。
ゴースト・ロールの存在に気付いたら、その場に持ち込んでみる…というのが、ワールドワークの基本的な流れ。
他に誰も暴力肯定のロールを取ろうという人がいなかったので、僕が自ら、やってみた。
僕は暴力を肯定しているわけではないけれど、そういう人の思考回路はなんとなくわかると思う。あとはそれを言葉にして、声にしていく。
その役は、演じられる。
しかしやってるとしんどくなる。しんどくなって、そのロールから出てしまったつもりだったが、中途半端だった。
暴力反対の立場からの言葉に対して、何度か、そのロールなら切れるだろうな、暴力を実際に行使しようとするのではないかな・・・という瞬間が何度かあった。
この瞬間はホットスポットだったと思う。
従来、「場の空気が変わる瞬間」をホットスポットとして説明してきたけれど、暴力を行使すれば、場の空気が変わるのは間違いない。
僕がそのロールを演じると、実際に暴力を行使するところまで行かないが、そのとき、僕の体を通して、そのロールが表現しようとしたことを、場に持ち込んでみたほうが良かったと思う。
スローモーションや人間彫刻でその暴力的な衝動を表現して、その衝動のエッセンスを探ったりするやり方があったな・・・と思う。
実際に、暴力は行使しなくても、その衝動を完了させたほうが良かった。
あるいは、このロールはどう見えましたか?彫刻にするとどうなりますか?
・・・と、暴力反対ロールに問いかけてみるやり方もあったと思う。
そうすることで、僕以外の人に彫刻として、そのロールをとってもらい、僕はそのロールから離れることが出来る。
結果的に、そのゴーストロールをやってみるところまでは良かったが、そこにはまり込みすぎてしまった・・・というのが反省点。
キリのいいところで、そのロールから離れる必要がある。
そのためには、どうキリがいいところまで持っていくか・・・というところが課題。
キリがつけば、ファシリテーターのロールに戻って、次の展開に進める。
この時は、区切りをつけないままに、ずっと同じイスに座ってたから、どこかおかしかった気がする。
(結局、撮影したビデオは、まだ見れてません)
一つ目のテーマは、「知り合い二人が揉めている時、どう関わるか」について。
個人の事例をもとに、展開していったこともあり、細かい流れなどをここでは書かないと思います。
二つ目は「『愛のある暴力・体罰』を認める子ども」について。
ある参加者が中学生対象にワークショップをしたところ、「しつけのためには、暴力・体罰は必要だ」と答える生徒がほとんどだった…というケースが、話題の入口となった。
ワークを進めていくと、「愛のある暴力肯定の子ども」の周りには、当然「暴力を振るう大人」がいて、「暴力を愛で正当化している」と、非難する声が出た。「暴力反対」のロール(立場・役割)と言えるだろう。
一方、暴力肯定の立場からは、誰も発言していない。ワールドワーク用語でいうところのゴースト・ロールです。
ゴースト・ロールの存在に気付いたら、その場に持ち込んでみる…というのが、ワールドワークの基本的な流れ。
他に誰も暴力肯定のロールを取ろうという人がいなかったので、僕が自ら、やってみた。
僕は暴力を肯定しているわけではないけれど、そういう人の思考回路はなんとなくわかると思う。あとはそれを言葉にして、声にしていく。
その役は、演じられる。
しかしやってるとしんどくなる。しんどくなって、そのロールから出てしまったつもりだったが、中途半端だった。
暴力反対の立場からの言葉に対して、何度か、そのロールなら切れるだろうな、暴力を実際に行使しようとするのではないかな・・・という瞬間が何度かあった。
この瞬間はホットスポットだったと思う。
従来、「場の空気が変わる瞬間」をホットスポットとして説明してきたけれど、暴力を行使すれば、場の空気が変わるのは間違いない。
僕がそのロールを演じると、実際に暴力を行使するところまで行かないが、そのとき、僕の体を通して、そのロールが表現しようとしたことを、場に持ち込んでみたほうが良かったと思う。
スローモーションや人間彫刻でその暴力的な衝動を表現して、その衝動のエッセンスを探ったりするやり方があったな・・・と思う。
実際に、暴力は行使しなくても、その衝動を完了させたほうが良かった。
あるいは、このロールはどう見えましたか?彫刻にするとどうなりますか?
・・・と、暴力反対ロールに問いかけてみるやり方もあったと思う。
そうすることで、僕以外の人に彫刻として、そのロールをとってもらい、僕はそのロールから離れることが出来る。
結果的に、そのゴーストロールをやってみるところまでは良かったが、そこにはまり込みすぎてしまった・・・というのが反省点。
キリのいいところで、そのロールから離れる必要がある。
そのためには、どうキリがいいところまで持っていくか・・・というところが課題。
キリがつけば、ファシリテーターのロールに戻って、次の展開に進める。
この時は、区切りをつけないままに、ずっと同じイスに座ってたから、どこかおかしかった気がする。
by matsuzoh2002
| 2006-11-18 17:37
| ファシリテーターとして